犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

101さいのさようなら。

2014年09月06日 | おせわがかり日誌


お盆を過ぎてからとても忙しかった。

仕事もなんだけど、もうすぐ102歳を迎える(夫の)祖母が具合悪くて。

8月に入ってから、ほとんどご飯を食べられなくて(食べるのが好きな人だったのに)、

どんどん、衰弱していった。

「じゃあ点滴を」といっても101歳にもなると、

血管が弱ってしまって、何度もできるものじゃないらしい。

飲まず食わずだから皮膚もこわばっていて、針を刺したら内出血。

相当いたいらしくて、お医者さんに、ものすごく怒ったそうだ。

そういう元気があればもしかしたら大丈夫かしら?

なんて言っていたけど、やっぱりそうもいかなくて、先週末に亡くなった。

101歳なので、心がちぎれるような悲しみというよりも、

静かなさびしさと、見送れてよかったという安心で心は満たされていた。

ここ十数年はいつお別れになってもおかしくないという覚悟は持っていたし。

100歳の時に当時の野田首相から賞状とお祝いを頂いた。

もちろん本人が来たわけじゃないんだけど。

大したもんだねえ、身内のほかの誰も、こういうことはないだろうねえ、なんて話してた。

だけどあれだねえ、あたしたちがみんな亡くなって、おばあちゃんだけ生きてるっていうのも、困るねえ。

なんてふざけていた。本当にそうなっちゃうかもしれないくらい、子供たちも年老いてきたからねえ~。



夏場だからもろもろの手配も迅速に進み、週明けにはお通夜と葬儀。

葬儀の時、覚悟の期間が長かったからか、どこか落ち着いていた身内より、

毎日お世話をしてくれていた施設のスタッフのみなさんがつらそうだった。

皆さん棺から離れないので、最後まで近くで顔を見ることができなくて、

それがちょっと残念だったというか、まあでも、身近にいてくれた人たちに、

声をかけられて、泣いてもらって、そのほうがおばあちゃんにはいいのかな、と思うことにした。




介護の現場は大変だ。

よくスタッフが老人に暴力をふるうという事件が起こったりするでしょ。

あれね、認めるわけではないけども、人間が人間である以上、仕方ないのかもしれません。

おばあちゃんは101歳だったので、さほど力がなかったけれど、

そうひどくはなかったけれど、痴呆が進んでいたので、以前の人間性が失われたというか、

こどもにかえっちゃっているようなところがあって、気に入らないとすぐに腹を立てて、

スタッフの方たちを、ひっかいたり、たたいたり、したそうだ。

それでもおとなしい扱いやすい方だったというから、つくづく大変だなあ。

入所している方は60代から90代まで幅があり、体力がある人からの暴力は、怪我するらしい。

腹が立とうと、相手が痴呆老人だからどうしようもないし、スタッフの方たちも、

痴呆老人病棟というわけでないので、専門教育を受けて心の訓練もできている、プロの看護士さんとはわけが違う。

相当根気と体力のいる仕事だ。



そういう事情があるにも関わらず、スタッフのみなさんは、

それこそ交代で何人も来てくださって、辞めた方まで来てくださって、

おんおんと泣いて別れを惜しんでくださっていた。

かわいがられていたんだね、おばあちゃん。

101歳だったからかねえ~。



9月22日に102歳になる予定だったけど、その日は迎えられなかったな。

16日のミグノンの企画、いぬねこなかまフェス

とても行きたかったけれど、102歳のお祝いをするかもしれないというので、予約はしなかった。

102歳のお祝いと比べたら、やっぱりねえ。

町蔵も来るし、シミチコさんのライブもあるし、ああ、行きたかったなあ~、という、

残念な気持ちでいっぱいだったのだけれど、でもそのやるはずのお祝いができなくなって、

そのことのほうが、さびしく、残念な気持ちの今だったりする。




そんなこんなでここのところお留守番が多かったし、

公園もいけなかったし、お父さんは帰ってこないしで、ご機嫌斜めのorekoちゃん。

駐車場の車の前で「あたしどっか行きたい」ストライキをして、

「だめよ」と言ったら、ほんとにほんとに泣いたのである。

「おれこ、ずっとこうえん、いってない~。おとうさんかえってこない~、あいたい~」

目が濡れていたからね。抱っこして家まで連れて帰りました。

オレコはオレコでストレスだったねえ。ごめんねえ。




明日はやっとこさ、ほんとに久々に願いをかなえ、

のびのびしているorekoさんの画像をたっぷりお届けします。

野生児そのもの~。