50歳の育児日記

うつ状態になり休職、復職
子供の誕生、Uターン・・
50代を目前に授かった子供の育児を中心に日々の暮らしを綴ります

勉強するということ

2012年03月24日 | 哲学する?
3/19発売のAERAから
●養老孟司の大脳博物館「『先生』ではなく『後生』
●新浪剛史の前を向いて歩こう「50代は感受性が豊になる次期。生き方を問い直す『哲学』や『歴史』を」


2つとも勉強に関するコラムです。
養老孟司さんのは、大阪市長が進める教育改革に絡んで、「制度をいじってどうなるものではない」「『先生』というのは、『お前が後からきたんだよ』ということを言っているのである」「あとから来ている以上、それより前はどうだったかを見る態度が必要・・」と書いています。先生が生徒を引っ張るのではなく、自分で調べるのが当たり前、「どうやって自ら学ぶ方法を身につけさせるか、くらいの話である。」なんだそうです。

一方、新浪さんのは、中年の方に対し、「50代は第二の人生を考え出すべき大切な時期」「まずは自分の生き方や考え方を問い直す『哲学』や『歴史』を学ぶといいと思います」なんだそうです。

ともに、自ら学ぶことの大切さ、自分を深めることの重要性を説いているように感じました。

私の入った大学は、最初の新歓コンパで、先生に「私のことを先生と呼ぶな」と言われました。
「先生と呼ぶと師弟関係になって、自分が正しいと思うことも言えなくなるから」
「大学では先生も学生も一研究者だ」

それは、先生も先輩も共通の認識でした。
良い大学に入ったなと、今でも感謝しています。
随分失礼な言動もしたと思いますが、先生や先輩方は寛容に接してくれました。
もちろん、私自身、先生や先輩方への尊敬の念は忘れていませんでしたが。

誰かが導いてくれるんじゃない、先人の知識や経験に触れ、自らの答えを出すのだ、先生は道を外れないように見守ってくれるだけ、コラムを読んでそんなことを考えました。

病気を受け入れる

2012年03月24日 | 休職の日々
うつ病の患者さんは、自分がうつ病であることを受けられない人が多いと聞きます。
診断されるまで気がつかない、診断されても自分がそんな病気の訳がない、と思うのだそうです。


誰でもなる可能性がある病気、自覚症状がないまま進行する病気、進行すれば致死率100%の病気、それがうつ病だと思います。


私とほぼ同時期にうつ病になった友人は、自分がそんな病気になるとは思えないと困惑していました。
でも、診断を受け入れないと、治癒することもありません。そんな病気のハズがないと悩むと、ますます病状が進行するように思います。


私は、自覚症状があったので、診断をすぐに受け入れることができました。そして、楽になりました
外傷や疾患のように、目に見える変状や自覚できる痛みがある訳でもなく、うつ病にかんする偏見や誤解もまだまだ多いように思います。
診断を受け入れることが難しい病気、でも診断を受け入れることが治る近道なんだと思っています。

心地よい店員のかけ声

2012年03月24日 | 休職の日々
築地銀だこで、たこ焼きを買うと
「おいしく召し上げレますように」
と声をかけてもらえます。


最初に聞いたとき、あ~これを考えた人はすごいな~、と思ったものです。
マニュアルで言っているのでしょうが、声をかけれるほうも、多分かけるほうも気持ちイイんじゃないかと感じるのです。


お笑いで「はい、喜こびすぎて!」とネタになっているものをはじめ、お店のかけ声はいろいろありますよね。
反対に、これはどうだろうと思うかけ声の。


●こだまするかけ声
店員のひとりが、入ってきた客をみつけるて「いらっしゃいませ!」
すると、それを聞いた他の店員も次々に「いらっしゃいませ!」
店中を「いらっしゃいませ!」がこだまします。
でも、「いらっしゃいませ!」と叫ぶ店員のほとんどは、お客さんを見ていないんです。
ただの店員の自己満足なんじゃないんですかね~。
お客を見ないで叫ぶ「いらっしゃいませ~」、不要です。というか、むしろ不快。

●全員で復唱
オーダーを店員全員で復唱するお店ありますよね。
オーダーを間違えないように。そして、店員の一体感や士気を高めるために?
でもね、タリーズでやられた時に、すげー違和感を感じたんです
コーヒー飲むお店は、リラックスするために、静かな時間を楽しむために店にいるのに、そんな雰囲気が壊れるような気がするんです。
多分ですが、他の店で働いて復唱するマニュアルでやっていた人がチーフになり、始めたんじゃないかと思うのです。だって、前はやってなかったし。

●ただの大声
寿司屋や居酒屋でよくあるパターン。
「いらっしゃいませ!」「ありがとうございました!」
大声で威勢がいいのはいいんですが、うるさいんです、近くで叫ばれると
買い物をする店ならまだしも、食事をしているすぐそばでやられると落ち着かないんです。
大きい声 → 威勢がいい → 生きがいい
ということなんでしょうが、うーん、これも自己満足なんじゃないかと・・・


テイクアウトばかりしていたスタバで、「今度はお店でもお召し上がりください」を声をかけられたことがあります。覚えていてくれてるんだという、こそばゆいような、嬉しい気持ちになって、今度は店で飲もうかという気になりました。
単純ですよね、私。
でも、客を見て声をかけるのが基本なんじゃないかと。