かしょうの絵と雑記

ときどき描いている水彩スケッチや素人仲間の「絵の会」で描いている油絵などを中心に雑記を載せます。

遅ればせながら謹賀新年

2010年01月07日 | スケッチ、油絵、写真
   今年も趣味のスケッチを続けるつもりです。
   時どきこのブログを覗いて頂ければ幸いです。


   年末年始は故郷・佐渡に帰省し、介護付老人ホームから一時帰宅の母と一緒に過ごした。 
   今回はスケッチでなくその時のこと。

    母が3か月の予定で入所した老人ホームはかって金山で栄えた相川の海岸沿いにあった。
    外は”暴風雪”で海には高波が押し寄せていた。しかし、中は暖かく、母たち入所者の様子も明るくホットした。(写真)
    母は今年102歳。昨年亡くなった小林多喜二の恋人だった田口タキさんと同年。
    一緒に施設に迎えに行った母の孫(といっても立派な大人)は「娘時代が蟹工船の時代か!」と感嘆する。
    母は娘時代に北海道古平町の親戚にニシン漁のシーズンにはその手伝いに行き「バケツで浜に転がっているニシンを
    拾い集める仕事した」とかって話していた。
    そのころは多喜二が小樽の銀行員だったのかもしれない。
    しかし、もう息子の私の名前も定かでなく、そのことを確認するような対話はむりだった。
    1年前、このブログに母が娘時代に務めたというNHKの前身・東京放送局(JOAK)のあった港区の愛宕山のスケッチを載せた(08年11月)。       
    その絵をもとに東京時代の話も再度聞きたかったが無理だった。
    しかし、機嫌がいいと昔話を一方的にする。
    アルバムを見ながら20年位まえの写真を指して「私の葬式の時はこの写真がいい」という。
    母は80歳の時に弟が滞在しているドイツ・ジュッセルドルフに一人旅をした。
    飛行機も海外も初めてだったが、そんな勇気のある明治女で、その時のアルバムをみるのが楽しそうだった。
    正月はさらに100歳近い年齢差のひ孫にも会いご機嫌だった。
    しかし、食事もトイレも一人では無理なので、短い正月を自宅で過ごし、施設に戻ってもらった。 
    そのために介護タクシーに同乗しながら、無口になった母をみているとどうしてもかっての”姥捨て山”の物語が想起され
    辛かった。
    この日も佐渡はときどき吹雪の荒れ模様だったが、老人ホームにつくと馴染みになったヘルパーさんたちに迎えられ、
    嬉しいことにお互い笑顔で別れることができた。
    この施設は公的な特養ホームではなくお金もかかるが、それ以上に部屋がなかなか空かなく長期入所の契約に
    なっていないのが問題。
    

     この正月は母と一緒に昔を思い出しながら、自分を含めた高齢化社会と貧しい福祉介護の現状を考えさせられた。

     ということでスケッチブックは持って行ったが、佐渡ではスケッチは一枚も描けなかった。
     コタツに一緒に入り、すぐに横になる母を見ながら、もう少し若いころに母をスケッチしておきたかったなどと考えた。

         

      ”佐渡は荒海”老人ホームのあるのは相川町の名勝・七浦海岸の一角。

        

        
   この施設は荒波が寄せる断崖の上にあるが、中は暖かく明るかった。

        


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