
野火止用水ー野火止緑地(用水をはさんで小平市、東大和市)にて
近くの秋を探して、今回は自転車で野火止め用水を訪ねた。
野火止用水は玉川上水を開削した川越藩主・松平信綱がその功績で許可され、自らの領地・野火止台(現埼玉県新座市)に玉川上水から分水したもの。
小平市から東村山市、東久留米市、新座市を通り志木市の新河岸川にそそぐ25キロの用水。
関東ローム層からなる武蔵野台は”乏水地帯”とよばれ、野火止用水は飲料・生活用水として開削され、その後、新田開発にも使われたという。
350年もの間、武蔵野台の住民の生活に貢献したこの用水は住宅等の開発が進む中で1960年代には汚染がひどく、分水も中止された。
東京都が”清流復活事業”で玉川上水を復活させたのにつづき、野火止用水も1984年に復活し、今は住民に憩いをあたえている。

白鷺も来る上流
野火止用水は新青梅街道をこえ中流になると車が走る用水通りが並行しているが、玉川上水から分かれての小平市内の上流は歩道や自転車のみの箇所が多い。
富士見橋(写真下)から車の通れない道を行くと下流で白鷺を見た。鴨と一緒に清流を楽しんでいた。

スケッチした野火止め緑地では水辺に降りられた。玉川上水では柵を越えて水辺に行ける場所はどこにもない。
近くの秋を探して、今回は自転車で野火止め用水を訪ねた。
野火止用水は玉川上水を開削した川越藩主・松平信綱がその功績で許可され、自らの領地・野火止台(現埼玉県新座市)に玉川上水から分水したもの。
小平市から東村山市、東久留米市、新座市を通り志木市の新河岸川にそそぐ25キロの用水。
関東ローム層からなる武蔵野台は”乏水地帯”とよばれ、野火止用水は飲料・生活用水として開削され、その後、新田開発にも使われたという。
350年もの間、武蔵野台の住民の生活に貢献したこの用水は住宅等の開発が進む中で1960年代には汚染がひどく、分水も中止された。
東京都が”清流復活事業”で玉川上水を復活させたのにつづき、野火止用水も1984年に復活し、今は住民に憩いをあたえている。

白鷺も来る上流
野火止用水は新青梅街道をこえ中流になると車が走る用水通りが並行しているが、玉川上水から分かれての小平市内の上流は歩道や自転車のみの箇所が多い。
富士見橋(写真下)から車の通れない道を行くと下流で白鷺を見た。鴨と一緒に清流を楽しんでいた。


スケッチした野火止め緑地では水辺に降りられた。玉川上水では柵を越えて水辺に行ける場所はどこにもない。
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