かしょうの絵と雑記

ときどき描いている水彩スケッチや素人仲間の「絵の会」で描いている油絵などを中心に雑記を載せます。

60年前の5月19日(続)=岸は退陣、安倍は?

2020年05月23日 | 雑記ー自分のこと、世の中のこと

 

  60年前の5月19日、500人の警官を国会内に導入しての強行採決で新安保条約は批准されたが、その日をもって焦点は「民主主義を守れ、平和・民主の憲法を守れ」に移り、生協関係でも取り組みが広がった。当時は労働組合との関係が強い地域勤労者生協が多く、安保闘争でも群馬労生協や鶴岡生協などが地域の共闘組織のなかで大きな役割を果たしていた。6月3、4日に開催された日本生協連の総会では大学生協連と東京、群馬、山形、福島の各県生協連から共同で「安保条約改定反対・岸内閣退陣・アイク訪日反対・ゼネスト支持の決議と国会請願」が提案され、4日の総会終了後、総会参加者は国会に向けての請願デモに参加した(写真)。この日は統一行動として総評、中立労連が「6・4ゼネスト」を行い、時限ストなどに460万人が、中小企業、商業、学生や市民の諸団体の100万人が集会等に、計560万人が参加したと発表された(参加数等は日高六郎「1960年5月19日」から)。
これまでの総評傘下労組の安保反対のストなどは賃金や権利等の要求と合わせて取り組まれることが多かったが「6・4ゼネスト」は対政府に向けた政治ストであった。5・19の岸内閣の暴挙はそのストを強く支持するほどに国民の怒りをかっていた。私が学生理事だった早大生協は国鉄労組の始発からの時限ストを激励・支援するため労組員と生協の呼びかけに応えた学生の400人が新宿駅に前夜から結集した。全学連の学生は共闘から排除されていたため、この時は生協の学生を代表して私が連帯の挨拶をしたが、政治的な演説など嫌いで下手な自分が街宣車の上に立った時は「ここまで運動が広がったのだ」と自らを励ました。5・19以降は「声なき声の会」の女性たちなど、これまで政治的な行動に参加していなかった人々の参加が一気に増えていた。
  国民会議の統一行動は第18次第1波(11日250万人参加)、第2波(15日580万人参加)と続き、15日には国会突入をはかった全学連と警官隊の衝突で東大生の樺美知子が死亡した。その直前、請願デモの後尾にいた劇団など文化人グループに日本刀を振りかざす右翼・維新行動隊をのせたトラックが突っ込んだ。その襲撃で80人の負傷者がでたが、大学生協東京地連の学生と生協労組員はその最後尾におり、早大と東大の生協職員3人がケガを負った。デモの責任者だった私はその対応で忙しく、樺美知子死亡のことなどは後で知った。維新行動隊は「警察に頼まれた」と弁明したが、この日の警官隊や右翼の暴挙はさらに国民の怒りをかうこととなり、抗議集会・デモが全国で展開された。
訪日のためのアイクは18日に台湾、19日に沖縄に来たが、東京はあきらめ帰国した。6月19日、新安保条約は参議院で自然成立し、翌20日、岸首相は引退を表明した。それに抗議する22日の統一行動には6・4ストを上回る620万人が参加し、翌7月14日には最後の第21次統一行動が行われ、18日には「所得倍増」を掲げる池田勇人が首相になった。
   60年前の安保条約改定と、2014年7月の「集団的自衛権」に関する憲法違反の解釈変更にはじまる15年9月19日の戦争法(安保法)=安全保障関連2法の強行採択は、国民の反対や疑問が多いにも拘らず欺瞞的、暴力的、反民主的手法で行われたことが共通する。5年前の9月19日、国会を取り囲んだ人々とともに議事堂内の動きを聞きながら60年前の5月19日のことを思い出していた。安倍首相は新安保条約の成立をアイクと握手しながら祝いたかった祖父岸の無念な思いをどのように聞かされ、現在の政治に生かそうとしているのだろうか?と嫌な気がした。
60年前の安保闘争は総評を中心とする労組、過激な行動で批判された全学連と後半からの全学連反主流派学生をはじめ学者・文化人、婦人、市民のさまざまな団体・個人、商業者などに広がり、保守反動のシンボルだった岸の退陣を実現した。ストで国鉄や私鉄の電車がたびたび停まる安保闘争は国民にとって他人事として傍観していられない出来事であった。今は、社会問題や政治にかかわりを持とうとする労働運動や学生運動が消えて久しい日本の現状では、60年前の安保阻止国民会議のような強力な行動力をもつ共闘組織と闘い方は望めないし、この間の「戦争させない・9条壊すな!総がかり実行委員会」を中心とする取り組みは“60年安保闘争“とは様変わりしている。
   しかし、戦争反対・平和と民主主義・憲法守れの国民の意思は60年前と変わらないし、個人の人権意識、社会的な市民意識は60年前にないものになっていると思う。集団的自衛権や秘密保護法などを契機に結成あるいは活発化した組織を束ねて2015年から総がかり実行委員会が活動を始めたが、それは既存の政党や全国団体などではなく個人が呼びかけ、賛同者が運営に参加するものであり、60年前の国民会議とは異質のものであった。集団的自衛権を契機に仲間と一緒に“生協だれでも9条ネットワーク”を立ち上げ、総がかり実行委員会の毎月19日の行動を中心に活動に参加しているが、60年安保闘争の経験者としては、その行動や規模に心細さを感じているのは事実である。しかし、国民の個人としての権利意識がエゴではなく、政治的主権者意識として高まりつつあること、それは集団としての行動としては見えにくくとも政治を変える大きな力であると考えられる。かっては「今日は200万人がストや各種の集会、デモなどに参加した」との発表に、今は「抗議のツイッターが600万を超えた」にもろ手を挙げている。政治的意思表示はデモや集会だけでなく、SNSなどを活用してどんどん広がる状況になっている。
もう一つ60年前と違うのは「市民と野党の連帯」に支えられ、野党共闘が国政選挙から議会活動で広がっていることである。60年前は岸は倒したが自民党政治は変えられなかった。今はまだ野党の力は弱いがその連帯は強まっており、そこに新しい政治を期待し、新型コロナで支持率を落とし、検察庁法で大失態をしている安倍に退陣を迫っていきたいと思う。

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