しばらく絵のブログを休載して申し訳ありません。覗いて頂いた皆様にお詫びします。
4月4日に風邪で、我が家から歩いて10分余の多摩済生病院の外来へ(この時はタクシーで)。待合室で待っているうちに熱が上がり、名前を呼ばれて立ち上がったらヘナヘナ。台車みたいな移動ベットに載せられ、レントゲンや心電図やCTなど検査のあげく「個室がひとつ空いてるから」と勧められ、入院、昨15日退院。
レンタルのパジャマでベットに横になって、やっと医師がくる。どうもその時のレントゲンは異常がなかったようで「○×感染症か?」と頭をひねって、また明日検査をするということになる。
その夜と翌日は40度の高熱、そのせいか3日目に「軽い肺炎」との宣告。それを堺に熱は下がりはじめ、あとは初めての入院生活を半分楽しみながらの1週間だった。とはいえ、夜中はせき込みが激しく「胸の痛みに耐えかねてーー」の時間がしばらく続いた。
実は父が亡くなったのは肺炎。佐渡まで見舞いに帰り、大丈夫だと言われて帰京したが回復しなかった。そのことを思い出していたら作詞家川内康範さんが肺炎で死亡のニュース。父は77歳、川内さんは88歳だが、すこし真面目に医師や看護師の言うとおりに過ごすことにした。
入院の経験は中学生のころの盲腸手術いらい。点滴や日に3回の看護師による検温、検診、おいしくない食事などすべて初めて。廊下をはさんで反対がわは3人と6人の大部屋が並んでおり、当方の個室もふくめ部屋のドアはあけて、看護師がいつでも覗けるようになっている。妻は「お父さんの10年後の感じの人がならんでいる」と言い、若い看護婦が脈をとりながら「かしょうさんは若い」といったが、我が内科の病棟はかなりの先輩ばかりだった。
病院生活で感じたことを書いて、この間のご無沙汰をお詫びしようと考えたが、先ほど飲んだビールで作業が困難になった。10日余の禁酒生活で、ビールはコップ一杯が限度になったか?たばこは止めることにしたが、ビールまではやめたくないがーー。続きは明日にさせていただきます。
4月4日に風邪で、我が家から歩いて10分余の多摩済生病院の外来へ(この時はタクシーで)。待合室で待っているうちに熱が上がり、名前を呼ばれて立ち上がったらヘナヘナ。台車みたいな移動ベットに載せられ、レントゲンや心電図やCTなど検査のあげく「個室がひとつ空いてるから」と勧められ、入院、昨15日退院。
レンタルのパジャマでベットに横になって、やっと医師がくる。どうもその時のレントゲンは異常がなかったようで「○×感染症か?」と頭をひねって、また明日検査をするということになる。
その夜と翌日は40度の高熱、そのせいか3日目に「軽い肺炎」との宣告。それを堺に熱は下がりはじめ、あとは初めての入院生活を半分楽しみながらの1週間だった。とはいえ、夜中はせき込みが激しく「胸の痛みに耐えかねてーー」の時間がしばらく続いた。
実は父が亡くなったのは肺炎。佐渡まで見舞いに帰り、大丈夫だと言われて帰京したが回復しなかった。そのことを思い出していたら作詞家川内康範さんが肺炎で死亡のニュース。父は77歳、川内さんは88歳だが、すこし真面目に医師や看護師の言うとおりに過ごすことにした。
入院の経験は中学生のころの盲腸手術いらい。点滴や日に3回の看護師による検温、検診、おいしくない食事などすべて初めて。廊下をはさんで反対がわは3人と6人の大部屋が並んでおり、当方の個室もふくめ部屋のドアはあけて、看護師がいつでも覗けるようになっている。妻は「お父さんの10年後の感じの人がならんでいる」と言い、若い看護婦が脈をとりながら「かしょうさんは若い」といったが、我が内科の病棟はかなりの先輩ばかりだった。
病院生活で感じたことを書いて、この間のご無沙汰をお詫びしようと考えたが、先ほど飲んだビールで作業が困難になった。10日余の禁酒生活で、ビールはコップ一杯が限度になったか?たばこは止めることにしたが、ビールまではやめたくないがーー。続きは明日にさせていただきます。
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