ウクライナでの戦争も、まだ続いています。
以前より、祈る回数が減ってしまっていることに気が付きました。
今日の教会のお説教は、ライブ礼拝でした。
SDA東京中央教会の礼拝に参加。
牧師さんではなく、教会の女性長老が話されました。
長老といっても、まだ50代だと思います。
S子さんは、長くアドラジャパンのお働きをなさっていました。
現在は、ピースウィンズ・ジャパンという国際協力NGOに参加。
フェイスブックに、その活動の様子などが掲載されることもありました。
今日のお説教では、パレスチナへの援助活動をしている仲間のこと。
日報がおくられてきて、その動静が知らされるようです。
ガザの自宅からまだ脱出できていない女性。
住んでいるところを、ついに戦車が何台も来て、包囲されたという報告を最後に、音信がとだえた男性。
私たちは、テレビのニュースで知るだけですが、
S子さんは、会ったことがある人だったり、連絡を取り合っている仲間だったり。
涙をこらえきれずに話される場面もありました。
「神さま、もう終わりにしてください。これ以上人が死ぬことがありませんように」心からの叫びのお祈りをされました。
平和を求める祈りをしています、私も。
でも、S子さんほどの熱意・情熱を持って、必死で祈るところまではしてない。
なんだか、涙が出てきてしまうお説教でした。
マタイ福音書 5章9節
平和をつくりだす人たちは さいわいである。
彼らは神の子と呼ばれるであろう。
敵を愛することのむずかしさ。
マタイ福音書 7章12節 ルカ福音書 6章31節
だから何事でも人々がしてほしいと望むことは、
人々にも そのとおりにせよ。
互いに愛し合いなさいと、イエス様は言われました。
自分のためにではなく、純粋に真心から、人を愛することができたら。
苦手だと思う相手にも、真心から親切にできたら。
戦争で、攻撃してくる敵を愛することは、とてもむずかしい。

仙台のある公園の鐘 (親愛なる教え子 杉浦譲治君からお借りしました)
「誰がために鐘は鳴る」という映画を思い出しました。
弔いの鐘が鳴るのでした。
戦争で亡くなる多くの人たちのことを 思います。
「わたしを忘れないで」と言い残して音信が途絶えた
見知らぬパレスチナの男性のことを思います。