風と光と大地の詩

気まぐれ日記と日々のつぶやき

小説(夏の小さな贅沢)

2019年07月13日 | 小説
    夏の小さな贅沢

「軽井沢にでも行ってみようか」 
 日曜の遅い朝食をとりながら、その日の予定を話し合っていた妻に、圭一は名案が浮かばないまま苦しまぎれにそう言った。言っておいてから自分でも確かに行きたい気持ちが湧いてくるのが不思議だった。 
 夏になると何となく軽井沢に行きたくなる。別荘があるわけではない。なじみの宿や行きつけの店もない。
  ただ旧軽井沢銀座の通りをぶらぶら歩き、店を冷やかしたり、アイスクリームを食べたり、写真館で昔の軽井沢の風景や町並みを写したモノクロ写真を眺めたりする。
  そして、つるや旅館のところまで行って同じ道を引き返してくる。ときには脇道にそれて、テニスコートで紳士淑女がボールを打ち合う音を聞きながら、木立の深い別荘街に入っていく外車を眺めて、自分とはついに縁のなかった世界にほんの少し妬みと諦めを感じる。
  そんな庶民が背伸びをして普段は入らない洒落たレストランに思い切って入り、よくわからないメニューを眺めて、ナイフとフォークを使って上品な料理を食べる。ほんのいっとき贅沢な気分を味わう。ただそれだけのことだった。 
 妻は以前ショッピングモールで買ってあったサマーセーターにロングスカートを穿いて、それなりのよそ行きの恰好になった。圭一は相変わらずの不調法でボタンダウンのシャツにチノパンという近所のスーパーに出掛けるのと変わらない出立ちで、妻にまた呆れられた。 
 国道一八号を西に向かう。
  安中の市街地を抜けるまでは信号や交差点の多い道で、普段であれば嫌気のさす混雑も旅行となるとそう苦にならない。助手席の妻の話も自ずとはずんだ。 
 松井田あたりから信号が少なくなり、山もぐっと近づいて、カーブや坂が多くなる。妻の口数も自ずと少なくなる。
  横川から碓氷バイパスに入るとすっかり山岳ドライブの趣きだ。長い坂を登りどんどん標高が上がる。大きなカーブが右に左に続く。
  濃い緑の木々に覆われた山の斜面が近づいたかと思うと、ガードレールの先に空が開け、妙義の奇岩が迫って、その向こうにどこかの街並みが白っぽく小さく霞んで見える。
  センターラインをはみ出さんばかりの勢いで対向車線をトラックが下りてくる。バックミラーにスポーツカーの小さな影が映ると、見る見るうちに背後に迫り、あわてて登坂車線によけて先にやり過ごす。
  幸い助手席の妻は居眠りをして連続カーブで車酔いする心配はなさそうだった。 
 碓氷峠の最高点を過ぎ県境を越えて下り坂をエンジンブレーキで降りてゆく。眼下にゆったりした高原が広々と開け、奥にはいつも榛名や妙義の脇で小さく控えている姿とは全く違う堂々とした山容の浅間山が、悠然とここの土地の主人であるかのようにどっしり腰を据えていた。
  道がまっすぐ平らになって、山道の緊張も解け、碓氷バイパスから旧軽井沢に向かう道に曲がると、妻も目を覚ました。
 「あら、もう着いたの。早かったわね」 
 道沿いにレストランやカフェが並び、すっかり下界とは違う避暑地の気分が満ちている。
  周りの車も全国各地のナンバーの高級車が目立つ。平凡な国産車のハンドルを握りながら、肩身の狭い思いをする。
  夏の装いの人々が歩道を闊歩し、テーブルに憩う人、自転車を漕ぐ人、犬を連れた人、老若男女それぞれの流儀で避暑地の時間を楽しんでいる。 
 旧軽井沢銀座は都会の喧噪をそのまま持ってきたような賑やかさだ。
  夏の陽射しは下界と変わらないが、高原の空気は心なしか乾いていて、日陰などひんやりする感じがする。 
 堀辰雄の「美しい村」の面影を追うことは時代錯誤と知りながら、ひとたび脇道に入り、人ごみと喧噪から外れ、深い木立の陰の夏でも湿っているような道を歩くと、苔むした庭、古びた別荘が見え、山の方から清冽な水が流れてくる。室生犀星の住んだ小さな家が深い木立の中にひっそり佇んでいる。 
 旧軽井沢銀座がかつての中山道の通りだとすれば、つるや旅館を過ぎて更に奥へ道をたどれば、昔の碓氷峠に至るはずだった。峠の頂上には神社と茶屋と見晴らしの良い場所があるというのをいつか観光ガイドで読んだ記憶がある。 
 「この道をずっと行くと昔の峠で、見晴らしのいいところがあるらしいんだ。一度行ってみようか」 
「ああそう。いいわよ」 
  妻はどうでもいいという感じで同意した。 
  車で旧軽井沢銀座を走るのは、道幅が狭く歩行者が気ままに歩いているので危ない。横道にそれると人通りは少なくなるが道は一層狭くなる。
  テニスコート、教会、しゃれた店が点在する。さらに奥へ進むと、別荘が林の奥にたたずんでいる。
  木立が深くなり、登り道になってカーブの多い、誰も通らない寂しい道が続く。
 「本当にこの道で間違いないの?」 
  新緑の時期には遅いが、それでも広葉樹の葉は滴るような鮮やかな緑だ。木漏れ日が漏れるが、斜面の下の方は木々に遮られて見えない。
  頂上まで上り詰め、空き地に車を置いて、展望台に続く最後の坂を妻を先に歩いて登る。 
「わあ」と圭一は思わず歓声を上げた。 
「こんなに景色のいい所があったなんて、知らなかったわ」 
  今まで無関心の様子の妻も感嘆の声を漏らした。
 関東平野が遮るものなく目の前に大きく開けている。利根川の流れがうねるように果てまで続いている。
  近くに妙義の奇岩。中ほどに榛名や赤城の山や低い丘陵。その先に野や林や町が霞んでいる。
  展望台にやってきた人々が口々に歓声を上げる。途中の登り道で追い越した自転車の集団も着いた途端、大きな声を出した。 
  江戸時代の旅人もこの雄大な景色を堪能しただろう。山の中の道である中山道を京から信州まではるばる辿ってきて、この碓氷峠を登りつめ、眼下に開ける見たこともない広大な平野を眺めた時の気分はいかばかりだったろう。当時は江戸の町まで見えただろうか。 
  さらに遥かに遡れば、「あづま、はや」とヤマトタケルノミコトが詠嘆したのも、旅路の果てに、この峠から東の野と空を仰いだときではなかったか。
  昔の人たちが大変な苦労をしてやっと味わったこの貴重な眺めを、こんなにたやすく気軽に味わうことができるのだ。お金では買えないこの夏一番の贅沢をした気分だった。

     


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