八戸に別れて、新青森駅へ。
改札を出ると、すぐ学生寮時代からの友人が待っていた。
19歳からだから、何十年になるんだろう。続く人とは続くものです。
学生時代の記憶も自然に蘇り、話にどんどん花が咲く。
この人がまた古い学生寮の卒寮文集や、私の古い小説らしきものも持っていて。
詩集を出すとき、寮で募金活動をしてくれた。
寮から出るというのに、引越しの手伝いをしてくれた。
鬱で苦しんでいるとき、図書館の前で相談に乗ってくれた。
出会うべき人とは出会っていたんだ、と、改めて思いました。ありがとう。
で、翌日、彼の運転する車で斜陽館へ。
太宰治の生家がそのまま保存・公開されており、重要文化財。
明治四十年(1907年)にできたというから驚き。
地主で、貴族院議員で、300人近い小作人に金貸もしていた。そのカウンターやソファも生々しく残っていた。
そんな父を持った太宰(本名は津島修治)が、金に甘かったのはうなずけた。
もちろん、環境ばかりで人格は決まりませんが。
手紙も展示されてましたが、どうも太宰の言葉は心に残らないのです。
芯の弱さの現れなのでしょうか?
だからこそ、「人間失格」という題名にも引かれて、若者たちを一度は招く存在なのかもしれません。
佐藤春夫は、種差海岸に魅せられた文学者の一人ですが、彼は太宰に芥川賞をあげなかった。
ちなみに、石原慎太郎に芥川賞を授与することにも反対していた。
んー、わかる。
改札を出ると、すぐ学生寮時代からの友人が待っていた。
19歳からだから、何十年になるんだろう。続く人とは続くものです。
学生時代の記憶も自然に蘇り、話にどんどん花が咲く。
この人がまた古い学生寮の卒寮文集や、私の古い小説らしきものも持っていて。
詩集を出すとき、寮で募金活動をしてくれた。
寮から出るというのに、引越しの手伝いをしてくれた。
鬱で苦しんでいるとき、図書館の前で相談に乗ってくれた。
出会うべき人とは出会っていたんだ、と、改めて思いました。ありがとう。
で、翌日、彼の運転する車で斜陽館へ。
太宰治の生家がそのまま保存・公開されており、重要文化財。
明治四十年(1907年)にできたというから驚き。
地主で、貴族院議員で、300人近い小作人に金貸もしていた。そのカウンターやソファも生々しく残っていた。
そんな父を持った太宰(本名は津島修治)が、金に甘かったのはうなずけた。
もちろん、環境ばかりで人格は決まりませんが。
手紙も展示されてましたが、どうも太宰の言葉は心に残らないのです。
芯の弱さの現れなのでしょうか?
だからこそ、「人間失格」という題名にも引かれて、若者たちを一度は招く存在なのかもしれません。
佐藤春夫は、種差海岸に魅せられた文学者の一人ですが、彼は太宰に芥川賞をあげなかった。
ちなみに、石原慎太郎に芥川賞を授与することにも反対していた。
んー、わかる。