泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

斜陽館

2019-09-26 21:05:48 | 

八戸に別れて、新青森駅へ。
改札を出ると、すぐ学生寮時代からの友人が待っていた。
19歳からだから、何十年になるんだろう。続く人とは続くものです。
学生時代の記憶も自然に蘇り、話にどんどん花が咲く。
この人がまた古い学生寮の卒寮文集や、私の古い小説らしきものも持っていて。
詩集を出すとき、寮で募金活動をしてくれた。
寮から出るというのに、引越しの手伝いをしてくれた。
鬱で苦しんでいるとき、図書館の前で相談に乗ってくれた。
出会うべき人とは出会っていたんだ、と、改めて思いました。ありがとう。
で、翌日、彼の運転する車で斜陽館へ。
太宰治の生家がそのまま保存・公開されており、重要文化財。
明治四十年(1907年)にできたというから驚き。
地主で、貴族院議員で、300人近い小作人に金貸もしていた。そのカウンターやソファも生々しく残っていた。
そんな父を持った太宰(本名は津島修治)が、金に甘かったのはうなずけた。
もちろん、環境ばかりで人格は決まりませんが。
手紙も展示されてましたが、どうも太宰の言葉は心に残らないのです。
芯の弱さの現れなのでしょうか?
だからこそ、「人間失格」という題名にも引かれて、若者たちを一度は招く存在なのかもしれません。
佐藤春夫は、種差海岸に魅せられた文学者の一人ですが、彼は太宰に芥川賞をあげなかった。
ちなみに、石原慎太郎に芥川賞を授与することにも反対していた。
んー、わかる。

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種差海岸

2019-09-26 19:16:55 | 

松原を抜けると、これぞ種差という景色が広がる。
昔は馬の放牧地だったそうです。
鮫角灯台の隣には、タイヘイ牧場があります。馬の産地でもあったんですね。
私も、放牧状態。
三人組で走っている少年たちもいた。
海外からの観光客もいた。
海と岩と、今度は芝生。この組み合わせも新鮮すぎて、脳が喜んでいる感じと言えばいいでしょうか。
さすがに15キロほど歩いたのでお腹も空き、食堂へ。
そこの「磯ラーメン」がまた最高だった。
ラーメンにウニ!
ホタテ、エビ、ワカメ。ワカメがまたシャキシャキで、磯の香りが食欲をそそる。
少し休んで、次はカフェでアップルパイ! これもまた美味しい。
帰りはバスで。
また来たい。
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淀の松原と白岩

2019-09-26 18:54:24 | 

海岸沿いをずっと歩いていく。
長い砂浜を歩き抜け、小さな漁港も二つ越え。
すると、松原が現れる。左手には白岩。
ここの岩は、黒っぽいのがほとんど。
なのに白いのは、海鵜の巣があるからなのだそうです。
浜菊もずっと咲いている。
凸凹な道の途中に、ぽっかりと心に収まる景色と出会う。
残る映像に言葉をつけていく。
小説もまた旅だ。遠足なんだと気づく。
胸いっぱいに潮風を含んで。
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浜菊

2019-09-26 18:31:23 | 

中須賀と言われる場所。
今の季節は、浜梨(はまなす)の赤い実と、浜菊が目立った。
特に浜菊。満開で、私を「待ってました!」と言わんばかり。
ちょうどこの撮影地の左手の道は、東山魁夷が「道」という絵のモデルにした。
この道を歩けば、己の道が見える。
確かに、自然に後押しされて。
今その道は「うみねこライン」と言われ、5月には「うみねこマラソン」が行われているそうです。
走ってみても最高だろうなあ。
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海と岩とススキ

2019-09-26 10:26:10 | 

海と岩とススキの組み合わせを見るのは人生初のような気がする。
岩は、およそ1億年前の溶岩が冷え固まったものと言われています。
大きな隆起が3回あったらしく、海から段状に平地が広がっている。
そこに様々な植物が入り乱れているのも、種差海岸の稀有なところ。
海流も、黒潮と親潮がぶつかり、さらに津軽海峡を抜けた津軽暖流も合流する。
さらに山の豊かさが、川から栄養となってたっぷり注ぐ。
ウニやアワビが名産なのは、良質なワカメやコンブがいるから。
鉄や琥珀や翡翠など、様々な鉱物が取れるのは、火山活動のお陰。
活発な火山活動は温泉の恵みともなるけれど、津波と地震の源でもある。
豊かさに触れて、自分が洗われる(表れる)ようでした。その心地よさは、歩いてみないとわからない。
豊かさとは、異なるもの同士が出会うところに生まれるのかもしれません。
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鮫角灯台と八戸線

2019-09-26 10:15:14 | 

次は、鮫角灯台へ。ちょうど公開日で、中に入ることができました。
76段の螺旋階段を登り切ると、絶景が。
しかし、高い! 怖い!
ガイドのおじさんは悠々と歩いてましたが。
子供達も、走ったりしてましたが。
無理。早々に退散。
灯台は、遠くから眺めるもの。
ありがたい、道標。
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蕪島

2019-09-26 09:57:54 | 

22日の日曜日、5時55分の電車に乗って八戸へ。鮫という駅で降り、海岸沿いを歩きました。
まず、目に入ったのがこの蕪島。ウミネコの繁殖地で、国の天然記念物。
しかし、ウミネコたちは8月で旅立ったようでがらんとしていました。
おまけに神社も再建中で立ち入り禁止。またの機会に。
ウミネコは、蕪島神社が祭る弁財天の使いとして、漁場を教えてくれる大切な存在として共生してきたそうです。
「ミャーミャー」鳴く、海の猫。やっぱり、会ってみたい。

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千年希望の丘

2018-10-15 17:40:25 | 
 東北・みやぎ復興マラソンの会場にあった。
 この小高い丘は、宮城県岩沼市が、様々な方たちの協力を得て進めている千年希望の丘。
 海沿いに点在しています。
 丘は、東日本大震災で発生したガレキでできている。
 次の津波が来た時の避難場所かつ減災施設。
 合わせて植樹活動も継続されています。
 この写真の左下の奥に海がある。
 どんだけの津波が来たか、標識があると一目瞭然。
 改めて、信じられない。
 自然は人を超えている。
 だから人には、慢心などありえないのだ、と思う。
 人だから慢心するのだ、と思う。
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仙台文学館

2018-10-15 14:11:42 | 
 
台原森林公園を案内板を頼りに、道なき道を行くと、仙台文学館がある。
 ここには大学卒業間近に行った。詩のボクシングの宮城県大会予選で。
 17年振り。そのときは、たぶんバスで行ったのだろう。森を分けて歩いた記憶がないので。
 自作詩の朗読をやったわけです。何をよんだか、もう覚えていないけど。
 なんだかとにかく恥ずかしくて、終わったらそそくさと帰った。
 まあ恥をかき捨て抜いて一人前だから、恥をかく第一歩を踏み出した場所と言える。 
 当時は常設展を観る余裕などもちろんなく、ほとんど初体験という感覚。
 常設展は充実していた。
 館長を務めた井上ひさしさんが巨樹として大きく紹介されていた。
 彼だけでなく、現在活躍中の作家、詩人、歌人で、仙台にゆかりのある人たちも展示。
 あー、この人も、えー、こんなところに、など発見があった。
 島崎藤村と土井晩翠の詩の聴き比べもあってよかった。
 私も、仙台で文学に目覚めた。
 その意味で、彼ら、彼女らには親近感がわく。
 というか、勝手に、こんなにも心強い仲間たちがいた! という感想。
 その晩には、学生時代からの友人と再会して、蕎麦をすすりました。
「次はどこに行くの?」と聞かれ、私は一瞬わからなかったのですが、東北巡礼のことを意味していました。
 で、わかったのですが、これでとりあえず、胸につかえていたものはなくなった。
 巡礼の最後が、この仙台文学館でした。
 終わりは始まり。
 一回りして、私は、私の文学に還る。
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台原森林公園 茉莉花

2018-10-15 13:54:49 | 
 土曜日、仙台へ。
 まず向かったのは、地下鉄南北線で台原。
 おぼろげな記憶を頼りに、台原森林公園へ。
 迎えてくれたのが、この「茉莉花」。舟越保武作。
 仙台は彫刻の街です。その環境に合った彫刻をオーダーメイド。
 森林公園を歩いたことはあるのですが、この「茉莉花」は記憶にない。
 歩いていると実感してくる。なんて清々しいのだろう。
 駅を出たときから空気がおいしかった。
 歩いてこんなに心地よいところは、松島の福浦島以来かもしれない。
 息苦しくなったら、またこの公園に行こう。
「茉莉花」が待っている。
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横浜スタジアム

2018-08-24 11:00:59 | 
昨日は横浜へ。
元書店員の方と久々に会う。
中華街でおいしいランチをいただき、ぶらぶら歩きながら、神奈川近代文学館へも足を伸ばす。
夏目漱石や芥川龍之介や山本周五郎や中島敦や、多くの作家たちの生原稿に興奮する。
みんな、原稿と向き合ってきたんだよなあ、と実感。
きれいに修正なしの原稿などなかった。元同僚は「それでいいんだよな」とこぼす。
訂正や改定や傷のない人生などないのと同じように。
石井桃子展も開催されていた。
「クマのプーさん」を翻訳された方。
私の読書体験の始めにプーさんがいる。もう一度読んでみよう。
元町というきらきらした通りを抜けて、横浜スタジアムへ。
立見席しか取れなかったけど、意外と穴場。十分に野球を楽しめました。
というのもベイスターズが完勝したから。筒香のすごいホームランも二回見れて。
東も初回のピンチを切り抜けるとリズムよく投げ込んだ。守りも引き締まって。
球場に足を運んで応援するチームが勝つのは初めて。
やっと運が向いてきたなと思う。
楽しい小旅行に付き合っていただいた元同僚に感謝。
敬礼。
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塩釜神社

2018-05-14 09:28:08 | 
 
12日土曜日は、仙台へ。駅でいったん改札を出て、また入る。東北本線の小牛田行きに乗る。
 小牛田。懐かしい。大学生のとき、気仙沼線の乗り継ぎで立ち寄った。
 おばあちゃんに会いに行く途中でした。小牛田駅の周りは何もなく、寒風吹きすさぶ。
 ホームのベンチで寒そうにしていたのでしょう。隣の見知らぬおばさんにあったかい肉まんをもらった。確か。
 そんな記憶も蘇る中、今回は国府多賀城駅で下車。東北歴史博物館へ。
 奈良の東大寺の仏像などが来ていて、その招待券がたまたま本屋にあったので。
 東大寺といえば大仏。その建設のため、東北は金の産地でもあったので、ずいぶん支援したそうです。
 支援は縁となって、現代まで通じている。
 仏像もおもしろかったのですが、常設展にもっと引かれた。
 東北歴史博物館だけあって、東北の歴史が縄文時代からわかるように展示されている。
 民俗にも詳しく、わら人形の多彩ぶりには驚いた。
 米が命だった。不作は即死に直結した。
 だから祈る。祭る。わら人形に負を背負わせ、海に流した。焼きもした。
 仏像もそうですが、人は人の身代わりを作らずにはいられない。
 戊辰戦争の遺物も興味深かった。旗や甚平など。
 そもそも多賀城は、平安時代、京から蝦夷(えみし)と名指しされた中央政権に従わない現地人を支配する拠点として築かれた。
 戊辰戦争も西からやってきた。東北の人たちは結束し、抵抗したけどいずれも敗れた。
 それでも、何か、魂だけは支配されてこなかった。東北に行くと、私の中にもあるその何かが活性化する。
 私は、より私になっていく感覚がある。根っこが、より深く、心地よく根差していくような。
 塩釜神社は、平安時代の前からあったようです。どちらの味方というわけでもなく、守護の象徴として、ずっと大事にされてきた。
 近づけば、森のしんとした空気が濃くなってくる。参道に電線はなく、灯篭が道を照らしている。
 基本的には港町なので、海の安全を祈願する人たちが多いようです。海は「産み」へと通じ、安産の神ともなった。
「むすひみくじ」は吉。「変化に富むときは、必ず一歩立ち止まってから歩き出す方が得」
「歩く」は、「止まる」と「少し」の組み合わせ。まさに今だなと感じる。
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逓(てい)―昨日・今日・明日―

2017-10-02 10:10:59 | 
今年二度目の仙台へ。
 駅からぶらぶら大学まで歩く。
 母校の東北大学は、開学110周年記念のホームカミングデーでした。
 付属図書館でお宝を披露していたので卒業以来でしょうか、図書館に入る。
 その土地はかつて青葉城の二の丸。掘ればいろんなものが出てくる。
 青葉城の後は、日本軍の第二師団司令部が置かれた。戦後はアメリカ軍に占領された。
 そんな激変の土地の上で勉強していたんですね。当時はまったく無知でしたが。
 で、ピストルとか薬瓶とか、お歯黒壺とか皿とか櫛とか。
 もう一つの宝は古文書。「史記」や「類聚国史(るいじゅこくし)」は国宝。土井晩翠宛てのアインシュタインの手紙や伊達政宗の文もあり興奮する。
 政宗は筆まめでもあったのですね。和歌にも通じていたようです。
 金銀泥で濃紺の和紙に書かれた仏教書(今回は「大智度論」)は、確か山寺でも見ましたが、何度見ても感動します。
 当たり前のことですが、書き損じなどないのです。一字一字、渾身の力で書いているのがよくわかる。
 やはり、基本は手書きだなと納得。
 次に、二の丸の下の三の丸跡にある仙台市博物館に行く。
 出迎えてくれたのが、写真の「逓」です。藤原吉志子作。
 面白かった。「逓」という字は中学校で習うらしいのですが知らなかった。
 たがいに、かわるがわる、次々に伝え、めぐる、という意味。
 郵便配達人が手紙をらせん状に上へ上へ届ける様。搭は扉付きの箱になっている。
 こうやって今、生きているんだと実感できた。
 博物館の中で印象に残ったのは二人の人物。
 一人は支倉常長。政宗の命を受け、太平洋を渡ってローマまで航海した人。
 常長は異国の地で洗礼を受ける。しかし母国では、江戸政府によってキリスト教が発禁されてしまう。
 帰国後、キリスト教禁止の嵐は強まるばかりで、常長は不遇のままどこで亡くなったのもわからない。
 支倉家から邪宗門(いやな言葉ですね。豊臣秀吉が作った)が出たということで、一家が断絶する。
 それでも異国から持ち帰って大事に保管され続けた宝は、今では国宝になり、仙台市博物館にある。
 ちなみに、私が一人暮らしをした場所は「支倉町」でした。そこは、島崎藤村が詩作を始めた地であり、北杜夫が住んでいた地でもあるとか。
 このお二人の作品は、まさにこれから読もうとしていました(「破戒」「楡家の人びと」)。
 もう一人は菊田伊州という仙台藩の絵師。絵を観てびっくり。
 仙台藩の絵師を菊田家が勤めていたとは。
 やはり、深い縁があるようです。だから何度でも行きたくなるのでしょう。
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仙台駅東西自由通路

2017-05-18 16:00:38 | 
昨年の3月18日に開通。
ビフォーを知っているだけに、やはり強い印象を受けます。
調べるとただの「通路」ではなく、「自由通路」でした。
そこに入り、留まっていたい空間がある。
ただ押し出されるだけじゃなく。
お土産も充実して、屋上の広場も発見したりしてあっという間。
名残惜しかったけど、物語には終わりがある。
再会を約束して、握手して、手を振って、見送られて。
またお会いしましょう。
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瑞鳳殿

2017-05-18 14:16:07 | 
青と金の鮮やかな色が目に留まりました。
西洋との交易を独自に行っていたから、その影響、独特の文化を感じました。
脇には小さな搭が立っています。何かと思えば、殉死した部下たちの墓。
正宗は、屈服した武士たちを殺さず、領地に住まわせたことから食糧難になったという。
だから実のなる木を庭に植えさせた。自給自足せよと。
それが杜の都の原型。仙台空襲で焼け野原になったけど、正宗の意を継いだ人たちが青葉通りや定禅寺通りのけやき並木を作った。
青葉まつりは、正宗の命日である5月24日に行われる。
今でも敬愛される正宗。だから本人は、自分が死んだからといってまだある命を絶ってほしいなど考えなかったはず。
なのに15人も死んだ。
2代目の忠宗の死後も殉死は行われた。
しかし、3代目のときは行われなかった。頭を剃り上げ、100日間喪に服せば代わりになると考えるようになった。
でも、太平洋戦争では、神である天皇に命を捧げることをよしとした。またしても本人の意など関係なく。
この日本人の思想はかなりやっかいだ、と改めて思った。
根本にあるのは何だろう。
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