泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

参道

2017-05-18 13:38:38 | 
 13日の土曜日、1年振りの仙台へ。
 4月から、学生寮時代からの友人が仙台に戻っており、車を出して足になってくれました。ありがとう。助かりました。
 冷たい雨と風でした。この時期、仙台の雨は珍しいようですが、墓参りにはちょうどよかったのかもしれない。
 この石畳は、仙台藩主の伊達政宗の霊廟へと続いています。
 建物は戦争で焼けて建て替えられたものですが、石畳は戦火を免れたそうです。
 杉も立派で、樹齢380年を超えるものもあるそう。風が吹き抜けると杉のいい香りがしました。
 学生時代の前半を過ごした学生寮は八木山にあったのですが、正宗の墓も同じ山にあった。
 しかし、初めて訪れた。仙台を離れてからより仙台を知り、愛するようになり、原点には正宗がいた。
 あいさつに行かなくては始まらない、という感じで。
 骸骨からお顔の復元模型も作られていました。生誕450年と思えない現代にもいそうな凛々しい顔立ち。
 身長は159センチ。武将は勝手に大柄な人というイメージも覆りました。
 正宗の書が残されています。

 入そめて くにゆたかなる みぎりとや 千代とかぎらじ せんだいのまつ

 正宗が来る前、仙台は千代(せんだい)と呼ばれていた。
 その地名と千代(ちよ)をかけ、1000年と言わず永年に栄あれと願いを込めた。
 だから「仙台」そのものを正宗が作ったのでした。
 学生時代、こんな知識と感謝の念を持って過ごせていたらなあと思わずにはいられません。
 でも、仕方のないことです。
 とんちんかんなことを沢山して、させてもらって、やっと自分が見えてきた場所だから。
 
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気仙沼大島大橋

2017-04-20 16:34:50 | 
愛称は鶴亀大橋。
3月29日、念願の橋がかかりました。
大島出身の父が子供のころから話が出ていたという。
橋の向こうの川は大川。
その近くでうなぎをたくさんとったそうです。
橋がかかっても開通は2年後の予定。
まだまだ整備しなくちゃならないところだらけです。
大島に橋がかかるのは確かに必要でしょう。
しかし、観光客が増えたとして、駐車場が足りない。
駐車場を増やすために、緑の真珠と言われる自然を壊すのか?
人材の流出と高齢化も止まらない。
課題はたくさんあります。
どうなっていくのか。継続して関わりたいと思います。
母も、大島ではないけど気仙沼出身。
戦後の混乱と食料不足の中、両親を育んだ気仙沼がなければ私も生まれなかったのだから。
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亀山山頂

2017-04-20 16:16:22 | 
いつの間にか三陸復興国立公園になっていた。
その前の名前は、連れて行ってくれたおばさんも忘れていた。
時代が変わるとはそういうことなのだと思う。
養殖いかだも見えます。
山肌には片栗が咲いていました。
元リフト乗り場の近くには椿も。
花を見るとぱっと明るくなる。
亀山は生きている。
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震災の傷跡

2017-04-20 10:50:20 | 
二年ぶりの気仙沼大島へ。
宿が亀山荘ということもあり、何十年振りかで亀山を登る。
以前は小学生か中学生のとき。そのときはまだリフトがあった。
木々が伐採されて痛々しい。残った松も、幹が焦げているものもあった。
気仙沼湾には石油タンクが並んでいた。
津波で流され、爆発し、湾は火の海になった。
火は大島にまで達し、亀山を焼いていった。
住民が総出で火消しに努めた。ポンプ車さえ流されて使えなかった。
落ち葉をどかしたり、火を打ち消したり。
ヘリコプターからの散水などもあり、何とかとか食い止めたけど、こんなにも傷跡が生々しく残っているとは思わなかった。
右手に見える砂浜は田中浜。
ちっちゃなちっちゃな松たちが植えられています。
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那珂湊おさかな市場

2017-01-30 21:22:49 | 
海門橋を渡って、右手に進むとおさかな市場。
いいにおいが漂っている。
かにみその甲羅蒸しとか。
でも、時間がなくて、マラソン前だし、また次に機会に。
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夜明け

2017-01-30 21:15:48 | 
翌朝は日の出に合わせて海へ。あいにくの曇り。
それでも、少しずつ、確実に明るくなるのが感じられました。
潮風を心地よく受けられるのは、やはり船乗りの祖父の血でしょうか。
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那珂川と海門橋

2017-01-30 21:04:40 | 
サーファーたちを眺めながらさらに行くとアクアワールドという水族館があります。
立ち寄る時間がなかったのでさらに歩を進め、那珂川に出る。
ここは釣り人たちの楽園でした。
近くのうなぎ屋で上うな重をいただく。絶品。
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大洗海岸海水浴場

2017-01-30 20:56:44 | 
磯前神社にお参りし、さらに行くと海水浴場が。
ここの解放感、ゆったり感は、写真では伝えきれないでしょう。
座り込んでしばしぼーっとしていました。
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灯台

2017-01-30 20:50:45 | 
海沿いを北上すると小さな灯台が目に入る。
岩の上に立ち、波しぶきに抗う。
引きつけられました。
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大洗フェリーターミナル

2017-01-30 20:30:56 | 
水戸から鹿島臨海鉄道に乗って大洗へ。
大洗リゾートアウトレットの食堂で腹ごしらえし、マリンタワーの展望台へ。
やっぱり、高いところは怖いですね。
さんふらわあ号を撮って早々に降りる。
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福浦島の見晴台より

2016-05-12 17:23:02 | 
長い朱塗りの橋を渡ると、県立自然植物園に指定されている福浦島。
この福浦橋は、別名「出会い橋」なのだそうです。後で知りました。
最初に渡ったのが、五大堂の「縁結び橋」。次が雄島の「縁切り橋」。最後がこの「出会い橋」。
これから訪れる方は、少し渡る順番を考えた方がいいかもしれません。
自然植物園らしく、緑が豊かで、島であることを忘れます。
が、吹き抜ける風は、確かに潮の香りがする。
今まで歩いた道の中で、一番心地よかったと言える。
沖縄の久高島も忘れられない素晴らしい道がありましたが。
松島に行ったら、ぜひ歩いてみてほしい島です。
心身が透き通るようなすがすがしさです。
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雄島の松

2016-05-12 17:08:21 | 
橋で渡れる島の一つ。
洞窟があり、それは松島全体に言えることですが、お坊さんたちが修行に励んだ場所。
かつ、人々が埋葬され、祈りが捧げられた墓所。
山寺と同じように、あちこちに石仏があります。
そして、松。
松竹梅と言い、松が一番めでたい理由がわかった。
その根のたくましいこと。見えたのは一部だけだけど、きっと隅々まで入り込んで、島をがっちりと抱いているのだろう。
潮風に吹かれて傾いても、青々とした葉を茂らせ、実を結んでいた。
松って、こんなにも強かったんだと見直した。
昔の人たちはすでに松の生命力の強さを知っていて、縁起物の一番に押したのではないでしょうか。
東京駅の前にも松が生えていますが、やっぱり、松だな、と、改めて思います。
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円通院 瞑想の庭

2016-05-12 16:50:22 | 
瑞巌寺に続いて訪れた円通院。
正宗の孫、光宗の霊廟。
庭の美しさにほれぼれした。
中でも奥の瞑想の庭は、いつまでもいたいと感じさせた。
さわやかな風ときらめく光と木々と苔の新緑。
見たことのない野草もたくさんあった。
ちなみに円通院を入ってすぐ左に縁結び観音がおり、ためらった末におみくじを引く。
大吉でした。
よし。
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仁王島

2016-05-12 16:34:48 | 
遊覧船に乗って松島めぐり。
すれ違う船の人々と手を振り合ったりして。
260もの島々が点在するので、「続いて右手をご覧ください。次に左手に見えますのは……」と、アナウンスに沿ってけっこう忙しい。
島々は、元は陸で、地震や津波や波で削られ、残っているものたち。東日本大震災でも崩れた島はたくさんあった。
被害が少なかったのは、海底が10メートル以内であることと、島々が波を砕いたから。
仁王島も、仁王様に見えるからとのことですが、私にはクジラに見えた。
長い年月の風化浸食の結果が奇岩として残っている。いつ崩れてもおかしくない。
触れるところで地質にも触れましたが、とてももろい。
伊達政宗の時代以前から大切に守られてきた日本三景の一つは、宮島に通じる聖地でもありました。

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松島 五大堂からの眺め

2016-05-12 16:27:28 | 
3日目は松島へ。
松島も学生時代以来。忘れもしない学生寮の伝統行事、松島夜間歩行以来。
夜10時に歩いて出発し、松島で日の出を見るというもの。
風流に聞こえるかもしれませんが、当時の私には苦痛以外の何物でもなかった。
だから松島に着いても、ただ疲れ果てていて、つまらない必修科目を取ったとしか思えず、さっさと帰った。
見るべきものは、山ほどあったのに。
今まで松島に行っていなかったのが不思議なくらいです。
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