泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

Wild cherry blossoms

2023-04-15 12:18:53 | 写真
山桜
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Extend to the sky

2023-04-15 12:15:12 | 写真
空へ伸びる
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Unbreakable cherry blossoms

2023-04-15 12:09:58 | 写真
折れない桜
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Mimosa, Women's brilliance

2023-04-15 12:03:07 | 写真
ミモザ、女性の輝き
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Eyes of the stars in early spring

2023-04-15 11:55:32 | 写真
 早春の星々の瞳
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Blue sky, blue lake

2023-04-15 11:47:06 | 写真
 青い空、青い湖
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土筆(つくし)

2021-03-18 16:30:54 | 写真
 暖かくなり、桜も開花してきました。
 ゆったりと走って、春を感じました。
 その一つがこの土筆。
「つくし」は澪標(みおつくし・河口や港で航路を示す標識)の形に似ていることが由来だとは知らなかった。
 どうりで好きなわけだ。
 土の筆でもあるし、船の標識でもあるし。
 子供の頃は、いためて食べられるほど沢山見かけた。
 今はもう近所で二カ所しかいる場所を知らない。
 花は土から咲く。そしてその土は、多様性の母。
 ああ土筆。来年もまたお目にかかりたい。
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3・11✖️10

2021-03-11 18:58:27 | 写真
 10回目の3•11。じわじわと実感してきました。
 今日も走って、途中、足を止めた花を撮る。穏やかで、暖かかった。
 東日本大震災があって走るようになった。
 走るようになって伸びた一つは、ご飯をよりおいしく感じるようになったこと。
 オレンジの甘酸っぱさ。胡麻の香ばしさと奥行き。半熟卵のとろっとしみるまろやかさ。
 素材の持ち味も、一つ一つ、豊かに感じられるようになった。
 雪柳のかわいらしさ。ふとしゃがんだとき、今日の撮影ポイントを見つけた。
 黒い影に浮かぶ白い小さな沢山の花々。光を受けたその花々が、今を生きている人々に見えた。
 3•11だからなのでしょうか。今生きていることがありがたいと強く感じる。
 どんどん自分が愛おしくなる。同時に花々も、食べ物も、その一つ一つが大事になってくる。
 写真の一枚一枚も。文章の一行一行も。
 一人一人の人間も。
 
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辛夷(こぶし)

2021-03-08 18:33:04 | 写真
 気づいたときには、すでに盛大に散っていることも多いこぶし。
 今日は、ちょうど咲いたところを撮ることができた。
 狙ったわけではなく、走ったら出会った。
 小雨で寒かったけど、走ってよかった。
 昔は、この花の咲く時期や向きで、農作業のタイミングや豊作か否か占いもしていたそうです。 
 なので、別名「田打桜」。
 花言葉は「信頼」。

 3・11が近づき、10年の節目ということもあり、報道が増えてきました。
 あそこを境に、自分は何が変わったのか?
 改めて思うのは、走るようになったこと。
 じゃあ、なぜ走り出したのか?
 地に足を着けるために。
 地に足さえ着けていれば、人はいつまでも成長できる。
 そう言ったのは、元広島カープの黒田博樹。
 その言葉を聞いたとき、僕はもう走っていたと思うけど、大きくうなずいた。だから今でも覚えている。

 本好きで、文学青年で、言葉を大事にしていたのは10年前の前から変わらない。
 だからこそ、言葉は宙に漂っているから、釣られて浮かれていた。
 誰かの言葉にぶら下がって、つかみ切れずに落っこちて、必要以上に凹みもして。
 地に足が着いてこそ、言葉に血が通う。
 ぶれない。よく見える。

 この大地とともに生きている実感。
 人工物で固められてしまった現代で、僕は見失っていた。
 あの津波は、海底に沈澱していたヘドロを陸に押し上げた。
 ヘドロは乾燥し、黒い粉塵となって人々を苦しめた。
 一方で、海底にあったヘドロはなくなった。陸に上がらなかったものは、津波が持ち去った。
 僕の中にあったヘドロも、そのようになくなっていったのだろう。

 小説があってよかったと、今日初めて思いました。
 コロナ禍も加わり、走ることと書くことがなかったらと思うとゾッとします。
 小説執筆とともに成長することができた。
 走るという支えがあって初めて。
 その成果を、送り出す。

 作品に全てを込める! という力みもなくなりました。
 そんなこと無理だし、全てを背負わせるなんて、作品がかわいそう。
 それに、僕自身の背中がもう背負っている。
 一作で終わるわけでもなし、足りないところは次で挽回する。
 地に足が着いてさえいれば、前作を越えていくこともできる。

「ざらざらした大地に帰れ」は、哲学者ウィトゲンシュタインの有名な言葉。学生時代の僕に染み込んだ数少ない言葉の一つ。
 走ることで、やっと僕は大地に帰れた。
 自分の足で、何度でも起き上がることのできる大地に。
 花々は、大地からの贈り物。
 
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紅梅

2021-03-01 18:13:15 | 写真
 3月。いよいよ。
 今日も含めて9日の休日(執筆できる日)がある。
 順調にいけば、4週間後の月曜日が締め切り。

 2月は大変でした。
 書店で、棚卸しがあり、棚替えもあり、この前の土曜日は過去最高と思われる売り上げ。
 また肩を痛めたりして。
 でも、また乗り越えた。

 小説を仕上げるのですが、その意識よりも、登場人物たちが世の中に出てほしい気持ちが強い。
 今日も走る前、神社でそう祈った。
 今まで書いたどの小説でも、彼ら、彼女らを社会に送り出すことができなかったから。
 どうしてできなかったのか?
 彼ら、彼女らに、書く私が混じってしまうから。
 彼ら、彼女らは、私が描き出した人物とはいえ、私ではない。
 私ではないからこそ、読んだ人はその登場人物に自己を投影できる。
 私が読んで素晴らしかったと感動した小説は、「これは私のために書かれた物語だ!」としびれたとき。
 そこに、作者の匂いがあっただろうか?
 作者の意図が入っていただろうか?
 作者の伝えたいセリフが、登場人物の口から漏れただろうか?
 なぜ混じってしまうのだろう?
 思うに、まだ甘えがある。
 相手に、私と似たところを探し出し、似て非なるものなのに「同じ」と錯覚し、安心したい。
「同じ」が、あんなにも嫌いなのに、無意識に「同じ」を希求している。
 感受性が人一倍強いからこそ、空気に馴染むことも得意。
 人を責めず、人に合わせることも得意。だから優しいと言われる。
 でも、この持ち味は諸刃の剣。
 合わせすぎて自分を見失うこともある。守りたくて頑なになるときもある。
 私が何者で何ができるのか、20代はずっと探していた。
 私は、私。この「、」の隙間に風が通る。風のなり方はマラソンで学んだ。
 花からも学んだ。花は、誰のものでもない。
 小説の居場所は、この「私と私の間」なのだろう。
 まさに人と人の間。人間。
 
 書くことで整理できる私はしあわせなんだろうと思う。
 書くことで私は私を確認できる。書き出して、距離を置いて眺めて、修正したり。
 書くことで、人と信頼関係を築くこともできる。
 まず私にとってなくてはならないもの。
 愛しているもの。
 酒もタバコもギャンブルもいらない(女性は必要です!)。
 さあ、また原稿へ。
 小説のことは、小説しか教えてくれないのだから。
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ダブルレインボー

2021-02-15 17:57:08 | 写真
 朝から激しい雨で、さすがに走らず、執筆していると、ふと窓から虹が目に入った。
 こんなにくっきりとした虹を見たのは初めて。しかも二重。
 居ても立っても居られなくなり、階下の両親へ報告。
 ベランダに出た母が、隣の女の子に報告。
 その子が家にいた両親に報告。
 という感じで、束の間の虹鑑賞会が始まった。
 私は近くの駐車場まで行って撮影。
 なんで虹を見るとこんなに興奮するんだろう?
 家々の上に、楽々とかかるから?
 隣を隔てているものなんて何もないと語っているから?
「我々は地球人だ」と、教えてくれるから?
 自然の神秘が、自分たちもあると感じさせてくれるから?
 とにかく素晴らしいものを見た。撮った。
 届けた。
 よかった。
 やっぱり、今年はいい年。当たり年。
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希望の光

2021-02-08 19:00:14 | 写真
 先月は102キロも走ってました。ひと月で100キロ超えるのはあまりないのですが。
 今月ももう43キロ。
 あまり疲れを感じなくなった。
 なんでだろう?
 思い当たるのは、1日水2リットルの行。
 体に石ができて、私史上最高の痛みに耐えて、生まれ出た新習慣。
 老廃物をためずに済んでいるのでしょうか?
 東京は穏やかな晴れが続いているということもあります。
 雨の日は、どうしても体が重くなるから。
 ま、ともあれ、いい調子なので続けよう。
 で、申し込んでいた仙台ハーフマラソンの抽選が当たりました!
 本当にうれしい。
 昨年2月の青梅マラソン以来のリアル大会。
 仙台に行くのは2年半振り。2018年10月の東北・みやぎ復興マラソン以来。
 2019年の復興マラソンも申し込んでいたけれど、台風のため中止。
 昨年は、コロナ禍。
 当たり前に参加していたマラソン大会は、当たり前に開催されないことがよく分かった。
 ありがたさ、うれしさもひとしお。
 大会に出ることが決まると、パッと体にスイッチが入ったような感じ。
 それが楽しいことを魂は覚えているから。
 仙台文学館に行ったのも2018年の10月。そこで自分は自分の文学を作ろうと改めて決心したのでした。
 あれから仙台に行っていない……。
 3月末には今取り組んでいる小説を提出する。
 知人、友人に預けた原稿の感想が届けられ、読んでくれた方と話すたびに新しい1行が生まれています。
 6年かかったとはいえ、後半ほど時間がかかっていないのは事実で、書き直しも後半に集中していることが見えた。
 それもまた読者のお陰です。私一人だけではどうしても限界があり、直すべき「クセ」も見えない。
 走ることと書くことと出会えたのは私のしあわせ。
 全国のマラソン大会を走破したい! という夢もできました。
 しっかり書いて、しっかり走る。
 再開は仙台から。
 また新しい自分に生まれ変わって。
 なぜ書くのか、といえば、そこに希望があるから。
 絶望が深ければ深いほど、希望という光は輝いて見えます。
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蝋梅

2021-01-07 18:57:11 | 写真
 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。

 12月の疲れも抜けて、今週は充分に走ることができました。
 痛みなく走る心地よさで満足。
 蝋梅が咲き始めました。年始にふさわしい花。
 金色で、芳しく、希望を感じさせてくれます。
 走り、花を見ている間、コロナのことは忘れられます。
 とは言っても、すれ違い時にはネックウォーマーを鼻まで上げますが。
 それぞれの人に最高の健康法があると思います。
 お互いに、今こそ想像力を発揮して、乗り越えていきましょう。
 厳しい冬は必ず終わるから。
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勝手にベストナイン

2020-12-17 20:52:59 | 写真
 菊って、長く咲くんですね。
 種類も豊富で、年中手に入るからお供えに使われるようになったとか。邪気を払うとも言われて。
 一年の最後、極みに咲くことから菊と呼ばれるようになったという説もあるそうです。
 自分が「菊田」だから、やっぱり菊は気になります。
 それはさておき、書店では一年で一番大変な時がやってきました。
 加えて今年は一時間の時短営業+マスク+鬼滅。昨日は危なかった。水分補給が追いつかずにふらついて。
 今日は完全休養。好きな風呂屋でぼーっとする。生き返った。
 今週の初め、出来立ての小説を合計9人の方々にメールで送らせていただきました。
 すでに一人の方からは感想を聞かせてもらいました。その他に気になる点を確認したり。
 ものすごくドキドキして、疲れました。
 ドキドキは、自分が勝手に想像を膨らませて。特に悪い方に。
 あそこは大丈夫か、まだ足りないところがあるんじゃないか、などなど。
 でも、思った。9人の方々は、私の心にいた。この人には読んで欲しいと、自ずと動いて連絡を取っていた。
 その9名はみな引き受けてくださった。それぞれに大変な中で。
 年代も20代から60代まで。
 で、思い直した。なんてありがたいんだろう。
 自分だけでは足りないところを補うために9名の方々は協力してくれるのだ、と。
 いや、そんな協力なんてものじゃなくてもいい。ただ反応があるだけでうれしいのでした。
 ほぼ6年、たった一人で書き進めてきた物語。それが私の手をついに離れた。
 とても大事に扱ってきた。とても貴重な時間を共有できた初めての作品。
 まだ、この状況に慣れていないけど、勝手にベストナインの方々のことを書きたくて。
 自分はやっぱり書くことで自分を更新してきたので。
 その能力を全面的に他者に向けたのが小説と言ってもいいと思います。
 ドキドキからワクワクへ。
 何が出てくるのかを楽しんで。
 とにかく年内に間に合ってよかった。
 提出先も自然に決まって、それまでまだ時間もあるので最終調整も十分できます。
 感謝。感激。
 で、また明日から3連勤。
 思えばベストナインの7名までが書店で知り合った人たちでした。
 いかに書店で出会ってきたか。人と本と。
 このご時世で、リアルの書店で働ける喜びを取り戻して、また明日。
 ベストナインは、ベストテン、ベストイレブン、というように増えていくのでしょう。
 じっくり時間をかけて、一つずつ開いていった菊のように。
 それもまたありがたく受け入れて。
 今週からとても寒くなりました。
 コロナにも気をつけなくてはなりませんが、どうぞ暖かくしてお過ごしください。
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2020-11-23 18:55:00 | 写真
「菊」が、やっと咲いてきました。
 最近は天気が良くて、駅から職場まで20分ほど歩いています。
 途中の畑にこの菊があって、開花を楽しみにしながら通っていました。
「菊」は、なかなか咲かない。蕾になっても、1日3ミリほどでしょうか、それくらいしか開かない。
 それでも着実に開いた。そんなじれったさを自分と重ねて。
 尿路結石から3週間。やっと心身ともに万全になってきました。ご心配をおかけしました。
 途中にいろいろあった。健康診断があり、インフルエンザの予防注射があり、保険の控除証明書が届かないので取りに行ったり、結石の再検査があり(無事にきれいになりました!)、職場の近くに新しい書店ができて見に行ったり。今日は甥っ子が遊びにきて、教えられながら「あつもり」を進めたり。終電までの書店作業もあって、首と肩を痛めたりもした。お風呂の王様で癒しもした。ランニングはこの3週間で2回だけ。
 整えば書けるんだと、改めて感じた。小説のラストシーンも描き始めた。
 私にできるのは、心身ともに健やかに保つこと。そうすれば自ずと力は出る。
 本来の力を発揮できるのは本当に仕合わせなことだと、病を得るたびに痛感します。
 そんな中で、原稿の応募先も自ずと決まりました。
 締め切りが来年3月末の「すばる文学賞」。
 その賞は、私が22歳、大学3年のとき、初めて作品を送ったところ。
 次が第45回という。来年私は44歳。45歳目に入るわけで、同い年とも言える。
 22歳から22歳増えて44歳で2度目の応募。一回りして、初めて作品を送った記憶が蘇った。
 受領証という葉書が届いたのを鮮明に思い出す。そんな応答があったのはそこだけだった。
「公募ガイド」を買って調べれば、審査員に、この人だったらと思っていた人もいて(川上未映子さん)、流れの出口(入口)は決まった。
 継続して関わって、走りながら考えて、書きながら掘って、掘りながら発見して、発見の点々が線となって、線が人物の輪郭となり、人物に命が宿ると自ずと動き出して物語を編み出した。今回の小説執筆で得たことはあまりにも多く、それらの実りが、一人でも多くの人たちに届けと願うばかりです。
 来年は東日本大震災から10年。私が大学を出て、書店で働き始めてから20年。走り始めてからも10年。
「すばる」と聞いて連想するのは、宮沢賢治の「よだかの星」。
 ごく短い短編ですが、「よだか」は、自分の醜さを呪い、誰も助けてくれず、絶望の末に自ら全力で舞い上がって星になって輝いている、というお話。
 私自身が最大に輝きたくて、体は走り始めた。きっかけは東日本大震災。意識は、言葉は、いつも後からついてくる。
 私は、それらの言葉を拾い集め、経験に添って組み立て直すことができる。その作業はずっと続く。
 でも、来年の3月が、大きな節目になるのは確かでしょう。じっくりと作品と向き合い、少しでも完成度を上げたいと思います。
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