泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

点子ちゃんとアントン

2024-11-02 17:29:23 | 読書
 子供向けに書かれたものではありますが、大人が読んでもおもしろく、ハッとさせられるものがあります。
 点子ちゃんはある日、壁に向かってマッチを売る練習をしています。それをお父さんは見て不思議がるのですが、どういう訳なのかすぐにはわかりません。
 お父さんは実業家でお金持ち。奥様は社交に忙しく、夜はいつも夫と外出しています。点子ちゃんの面倒を見るのは、家庭教師と家政婦とピーフケという犬だけです。
 そんな点子ちゃんには大事な友達がいました。それがアントンです。
 アントンは母子家庭で、お母さんが病気療養中のため料理を自分でし、靴紐を売ることで家計の足しにもしています。そんなアントンは学校で疲れてしまって居眠りしてしまいます。先生はアントンはけしからん子だと思い、親に手紙を書こうとしていました。それを知った点子ちゃんは、先生と直談判し、アントンに内緒でアントンの真実を先生にわかってもらいます。アントンは先生に真実が知られるくらいなら舌を噛み切った方がいいとまで思っていました。先生はそれからアントンに対して思いやりを持って接するようになりました。
 一方で、点子ちゃんは夜になると家庭教師に連れられて一番賑やかな橋の上で練習した演技を披露していました。「私のお母さんは目が見えません。哀れだとお思いになるならどうかこのマッチを買ってくださいまし!」
 家庭教師の若い女性には彼氏がいましたが、その男は女から金を要求し、女は金を渡すことで「一人でいるよりはマシ」な状態を作っていました。点子ちゃんは利用されていました。でも点子ちゃんは半ばおもしろがって。
 アントンは橋の向かい側で靴紐を売っていました。ある夜、アントンは、家庭教師の女の男が点子ちゃんの家の鍵を奪うのを目撃します。アントンは急いで点子ちゃんの家に電話しました。家政婦に、今から強盗が入るからと知らせるためです。
 アントンの知らせによって、強盗は未遂で終わりました。警察が駆けつけ、点子ちゃんの両親も帰ってきます。すべてが明らかになり、家庭教師は逃げ出し、アントンとお母さんは点子ちゃん家族と共に暮らすことになります。
 章ごとに、作者のケストナーの「立ち止まって考えたこと」が付されています。「義務について」「誇りについて」「空想について」「勇気について」「知りたがりについて」「貧乏について」「生きることのきびしさについて」「友情について」「自制する心について」「家庭のしあわせについて」「うそについて」「ろくでなしについて」「偶然について」「尊敬について」「感謝の気持ちについて」「ハッピーエンドについて」
 これらはどれも一読の価値がありますが、私が一番引かれたのは「尊敬について」で触れられている「ばかやさしさ」についてです。
「ばかやさしさ」耳慣れない言葉ですが、作者のケストナーの地元にはある言葉なのだそうです。その意味はこんな感じです。

 だれかがだれかにたいして心が広すぎる? そんなことがあるだろうか? あるんだ。ぼくの生まれ故郷には、「ばかやさしい」ということばがある。人は、友情や好意をよせるあまり、ばかになることがある。そして、それはまちがっているのだ。子どもたちは、心が広すぎる人には、すぐにぴんとくる。子どもたちは、こんなことやったらおこられると、自分たちでさえ思うようなことを、してしまうことがある。なのにおこられないと、子どもたちは、へんだなあ、と思う。そして、そんなことが何度もあると、子どもたちはだんだんと、その人への尊敬を失っていくのだ。
 尊敬するということは、たいへんたいせつなことだ。ほっておいても、だいたいいつも正しいことをする子どももいるけれど、子どもなら、なにが正しいか、学ばなければならないほうが、まずふつうだ。それには、ものさしが必要だ。ああ、しまった、自分がしたことはまちがってる、これはおこられる、と子どもが感じなければならないのだ。
 なのに、もしもおこられたりしかられたりしなかったら、それどころか、もしも横着なことをしたのにチョコレートをもらったりしたら、子どもたちは思うだろう。
「またこんども横着してやろう、そしたらチョコレートがもらえるんだもん」
 尊敬は必要だ。尊敬できる人は必要だ。子どもたちが、いや、ぼくたち人間が未熟であるかぎり。  167ページ7行〜168ページ5行

 とても興味深い「ばかやさしさ」ですね。
 思うに、相手に好かれたいばかりに、自分の心をはみ出して大きく見せようとすることを「ばかやさしさ」と言うのではないでしょうか。私にも心当たり、あります。そしてそんな態度を見せた相手とは(ほとんどが女性だったと思いますが)うまくいかなかった。そりゃそうでしょう。見せかけの自分が続く訳がない。もし続いたとしたら、それだけ見えない病を抱えることになるだけでしょう。
 自尊心が弱いから、何が大切なのかわかっていないから、子供に対する「ものさし」を見せられないのかもしれません。じゃあ自尊心を育むにはどうしたらいいのか? それはやっぱり尊敬できる人たちと出会うことであり、自分自身が他者から敬意を持って接してもらう体験を重ねることしかないように思います。点子ちゃんの家庭教師が最も自尊心が低いという設定は、ケストナーらしい皮肉です。
「ろくでなし」たちはいつの時代も巧妙に「自尊心の低い」人たちを操ります。「ろくでなし」を減らしていくためには「ろくでなし」に引っかからないこと。無視して気にしないこと。そして、どんなことがあっても自分には価値があると信じること。
 どのようにして?
 例えば、この本を読んで。
 アントンから勇気を分けてもらって。

エーリヒ・ケストナー 作/池田香代子 訳/岩波少年文庫/2000
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あなただけよければいいのですか? 山本先生の言葉

2024-11-02 12:52:31 | 使える知識
 最近、よく思い出します。
「あなただけよければいいのですか?」という言葉。
 このことについてちゃんと書こうと思っていました。

 山本先生は、私が中学2年のときでしょうか、理科の担当でした。私の担任になったことはなく、小柄で髪を束ねて、どちらかと言えば目立たない真面目そうな中年の女性の先生でした。
 理科の実験で、私のところは早く終わりました。そして私は中二らしく生意気に騒いでいたのでしょう。そのときでした。
「あなただけよければいいのですか?」
 山本先生に言われました。私がそのあと大人しくなったことは目に見えています。
 当時の中学校は結構荒れており、私も調子に乗ってバカをやっていました。先生たちがゲンコツで静かにさせるのも当たり前で、私も何度か食らっていました。
 ただ、今思うのは、叩かれてもその場凌ぎです。何らかの内省にはつながらない。忙しい先生たちにはその場凌ぎの術も必要だったのかもしれない。だけど、今につながる気づきにはなっていない。

 14歳で言われたとして、その後33年も私の中に残っている。そんな言葉は他にありません。年月が経ってみて、やっとわかる価値というものがあります。間違いなくその一つ。
「あなただけよければいいのですか?」
 頭ごなしじゃない。暴力じゃない。説教でもない。
 問いかけ。ずっとずっと続く問いかけ。
 それを中学生相手に発して届けた先生がいた。

 今、その問いに対して、何と応えられるでしょうか?
 私だけよければ、必ずよくない人たちが生まれます。
 だからと言ってあえて私をよくない人間にする必要もありません。
 私が大事であることが基本で、だからこそ私以外の人たちのしあわせも大事です。
 私がよくないとき、きっと他のよい人たちが手を差し出してくれる。
 そう信じられることが生きていく上の支えとなる。
 私はそのことを、その後の人生で実感してきました。

 多数決、数が多い方が正しいとする考え方。それにも疑問が生じます。
「あなたたちだけがよければいいのですか?」
 過半数を超えているから、少数派の意見は聞かなくてもいい。そんな政治が罷(まか)り通ってきたのではないでしょうか?
 そもそも、人はなぜ言葉を生み出し、発達させてきたのでしょうか?
 意見の異なる人たちとは話す必要もないのならば、言葉の力は衰退するだけでしょう。言葉が衰退するということは、人間が人間でなくなっていくということではないのでしょうか?

 小説を書くとき、私以外の多くの人たちの声を聴く必要があります。「私だけがよい」のであれば、小説を書く必要がないとも言えます。
 いや、「私だけがよければいい」のだと思って私だけがよくなる話だけを書く人もいるかもしれません。だけどそんな話、誰が聞きたいでしょうか。
 目標達成や問題解決ありきの話もおもしろくない。それは作者の「私が思う回答」の二番煎じでしかないから。それは「私のよさ」から出ない態度だとも言えます。
 こんなことを書けるのは、私が全部やってきたことだから。その果てに、やっと新作は現れてくれます。

「あなただけよければいいのですか?」
 この問いが胸に繰り返されるようになったのは、それだけ私の目に曇りがなくなったのでしょうか? あるいは、この問いは、私に日々生まれる曇りを拭き取ってくれているのかもしれません。
 山本先生は今もお元気でしょうか?
 かつての中学生が先生の言葉を受け継いでいることを知り、笑顔になってくれたら、私もうれしい。
 これからも使います。
 私に。そして必要な誰かにも。

 コスモスの花言葉は調和です。
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