子供向けに書かれたものではありますが、大人が読んでもおもしろく、ハッとさせられるものがあります。
点子ちゃんはある日、壁に向かってマッチを売る練習をしています。それをお父さんは見て不思議がるのですが、どういう訳なのかすぐにはわかりません。
お父さんは実業家でお金持ち。奥様は社交に忙しく、夜はいつも夫と外出しています。点子ちゃんの面倒を見るのは、家庭教師と家政婦とピーフケという犬だけです。
そんな点子ちゃんには大事な友達がいました。それがアントンです。
アントンは母子家庭で、お母さんが病気療養中のため料理を自分でし、靴紐を売ることで家計の足しにもしています。そんなアントンは学校で疲れてしまって居眠りしてしまいます。先生はアントンはけしからん子だと思い、親に手紙を書こうとしていました。それを知った点子ちゃんは、先生と直談判し、アントンに内緒でアントンの真実を先生にわかってもらいます。アントンは先生に真実が知られるくらいなら舌を噛み切った方がいいとまで思っていました。先生はそれからアントンに対して思いやりを持って接するようになりました。
一方で、点子ちゃんは夜になると家庭教師に連れられて一番賑やかな橋の上で練習した演技を披露していました。「私のお母さんは目が見えません。哀れだとお思いになるならどうかこのマッチを買ってくださいまし!」
家庭教師の若い女性には彼氏がいましたが、その男は女から金を要求し、女は金を渡すことで「一人でいるよりはマシ」な状態を作っていました。点子ちゃんは利用されていました。でも点子ちゃんは半ばおもしろがって。
アントンは橋の向かい側で靴紐を売っていました。ある夜、アントンは、家庭教師の女の男が点子ちゃんの家の鍵を奪うのを目撃します。アントンは急いで点子ちゃんの家に電話しました。家政婦に、今から強盗が入るからと知らせるためです。
アントンの知らせによって、強盗は未遂で終わりました。警察が駆けつけ、点子ちゃんの両親も帰ってきます。すべてが明らかになり、家庭教師は逃げ出し、アントンとお母さんは点子ちゃん家族と共に暮らすことになります。
章ごとに、作者のケストナーの「立ち止まって考えたこと」が付されています。「義務について」「誇りについて」「空想について」「勇気について」「知りたがりについて」「貧乏について」「生きることのきびしさについて」「友情について」「自制する心について」「家庭のしあわせについて」「うそについて」「ろくでなしについて」「偶然について」「尊敬について」「感謝の気持ちについて」「ハッピーエンドについて」
これらはどれも一読の価値がありますが、私が一番引かれたのは「尊敬について」で触れられている「ばかやさしさ」についてです。
「ばかやさしさ」耳慣れない言葉ですが、作者のケストナーの地元にはある言葉なのだそうです。その意味はこんな感じです。
だれかがだれかにたいして心が広すぎる? そんなことがあるだろうか? あるんだ。ぼくの生まれ故郷には、「ばかやさしい」ということばがある。人は、友情や好意をよせるあまり、ばかになることがある。そして、それはまちがっているのだ。子どもたちは、心が広すぎる人には、すぐにぴんとくる。子どもたちは、こんなことやったらおこられると、自分たちでさえ思うようなことを、してしまうことがある。なのにおこられないと、子どもたちは、へんだなあ、と思う。そして、そんなことが何度もあると、子どもたちはだんだんと、その人への尊敬を失っていくのだ。
尊敬するということは、たいへんたいせつなことだ。ほっておいても、だいたいいつも正しいことをする子どももいるけれど、子どもなら、なにが正しいか、学ばなければならないほうが、まずふつうだ。それには、ものさしが必要だ。ああ、しまった、自分がしたことはまちがってる、これはおこられる、と子どもが感じなければならないのだ。
なのに、もしもおこられたりしかられたりしなかったら、それどころか、もしも横着なことをしたのにチョコレートをもらったりしたら、子どもたちは思うだろう。
「またこんども横着してやろう、そしたらチョコレートがもらえるんだもん」
尊敬は必要だ。尊敬できる人は必要だ。子どもたちが、いや、ぼくたち人間が未熟であるかぎり。 167ページ7行〜168ページ5行
とても興味深い「ばかやさしさ」ですね。
思うに、相手に好かれたいばかりに、自分の心をはみ出して大きく見せようとすることを「ばかやさしさ」と言うのではないでしょうか。私にも心当たり、あります。そしてそんな態度を見せた相手とは(ほとんどが女性だったと思いますが)うまくいかなかった。そりゃそうでしょう。見せかけの自分が続く訳がない。もし続いたとしたら、それだけ見えない病を抱えることになるだけでしょう。
自尊心が弱いから、何が大切なのかわかっていないから、子供に対する「ものさし」を見せられないのかもしれません。じゃあ自尊心を育むにはどうしたらいいのか? それはやっぱり尊敬できる人たちと出会うことであり、自分自身が他者から敬意を持って接してもらう体験を重ねることしかないように思います。点子ちゃんの家庭教師が最も自尊心が低いという設定は、ケストナーらしい皮肉です。
「ろくでなし」たちはいつの時代も巧妙に「自尊心の低い」人たちを操ります。「ろくでなし」を減らしていくためには「ろくでなし」に引っかからないこと。無視して気にしないこと。そして、どんなことがあっても自分には価値があると信じること。
どのようにして?
例えば、この本を読んで。
アントンから勇気を分けてもらって。
エーリヒ・ケストナー 作/池田香代子 訳/岩波少年文庫/2000