泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

不明の花

2009-10-14 17:29:18 | 読書
 2回ずつ、ゆっくりと読みました。
 『詩選集』に比べれば、濃縮度は低いですが、どの詩も、著者が言うように、生命でした。どれも生活に欠かすことのできない、大切なものです。その姿勢を、作品に命を吹き込む真剣さを、見習いたいと思います。
 本のタイトルにもなっている『不明の花』を紹介しましょう。


 不明の花

四季おりおりの花を咲かせる大地のように
  人と向かい合うとき
  ものを考えるとき
  人に伝えたいとき
  もの思いにふけるとき
  多彩な言葉にうまっている
けれども
眠っていていまだ用いたことのない言葉たちが
どんなにたくさんあることか

そおっと
  自分の大地をのぞいて見る
  そこは
  必要なとき
  言葉になる花たちが
  いつも眠っている宝庫
だが私自身さえ
必要にせまられなければ
呼び出せない不明の花たちだ
私は
危険や悲しみや愛や美の
極限に身をさらしたとき
はじめて自分の中で自分の言葉を発見する
未知数の器


 まったく、その通りなのでした。
 危険や悲しみや愛や美の極限。
 なにか、自分の中にある芯に触れてしまったとき、詩という花は、想像もつかない連結で、姿で、僕らに現れる。そしてそれらは、ことごとく人生に対してイエスと言っている。計らいも欲望もなく、ただ「よし」と。
 身をさらしてみて、初めて言葉は出てくる。
 僕らはいつだって、未知数の器。
 本を読んでみなければ、感想も出てこない。
 読書というのはだから、土いじりに近いのかもしれない。または、ぬかをかき回すような。
 毎日の手入れが必要。自分の大地に。自分の花を咲かせるために。
 そして、言葉の花とは、詩なのだと、改めて思いました。
 たくさんの、色とりどりの花に魅せられ、写真に収めざるを得ない自分は、そのまま詩を書く自分でもあるのでした。

塔和子著/海風社/2006



 

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