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NHKのラジオドラマ(日曜19時20分~50分)でたまたま聞いて知りました。ぐいぐい引き込まれ、原作を買いました。
ひさびさに小説でじんと来ました。とてもよい本でした。
中年のおじさん千太郎は、わけあって桜が並ぶ商店街の一角にある繁昌しないけれどもつぶれないどら焼き屋で毎日鉄板の前に立って働いていました。
バイト募集のちらしを見て、千太郎の悲しそうな目を見て、彼の前に現れたのが満76歳になる徳江でした。
この出会いがすべてで、終わるまで(新たに始まるまで)つづられている物語です。
とにかく読んでほしいので細かいことは書きません。
ただ一つ言っておかなくてはならないのはハンセン病について。
私が住んでいる東京都東村山市には国立ハンセン病記念館があります。
高校時代、私は何も知らずにただ豊かな緑に引かれて自転車の通学路の一つにしていたのが、この小説のモデルとなっている全生園なのでした。
今でもひまわりや桜など観に行きます。写真も撮らせていただきました。木々の間を走ることもあります。
私にとって、身近な場所にある物語。
泣きそうになるほど感動する小説には、いつも敬服するしかありません。
私の中にあってまだ物語になっていないぐしゃぐしゃっとした糸くずの固まりのようなものが、しなやかな一本の糸によられている。
糸が編まれて、人を包む織物となっている。
1ページ、めくるのがもったいない。でも、もっと読みたい。その感覚は、おいしい食べ物との接し方にも似ている。
ほんと感動したときって言葉は出ないんだなと思わせる。言葉が感動を邪魔しているときも多い。それでも言葉だけで、感動を引き出して見せる。
まさに文芸作品。著者もまた言っています。本を書き出して32作目でやっと代表作を世に問うことができた、と。
そういうものなのでしょうか。焦ってばかりでまだなにも世に問うことができていない私。
スキージャンプの葛西選手の喜びも思い出されます。ジャンプの95パーセントは失敗だったという言葉も。
まだまだこれからだよ。信じて続けなさい。せっかくあなたは聞くことができるのだから。書くことができるのだから。きっとあなたならできる。
いつの間にか私も徳江さんに励まされていたようです。
ハンセン病記念館に来たことのない方。ぜひ一度いらしてください。
きっと自分の生きている意味に近づくことができると思います。
千太郎のように。
ドリアン助川著/ポプラ社/2013
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