窯元日記復活

京都国立近代美術館で開催中の「分離派建築会100年-建築は美術か?展」

京都国立近代美術館で開催中の「分離派建築会100年-建築は美術か?展」も3月7日までです。建築者初心者でも面白かった。日本武道館や京都タワーなど今に残る建築をしてきた人たちです。



展覧会をご紹介します。
第1章 迷える日本の建築様式  最初は御雇外国人からの西洋建築を取り入れ
,辰野金吾、妻木頼黄、片山東熊ら近代日本の建築家の誕生。その反動でその後は日本風が現れ、鉄筋コンクリートが普及し始めると技術に立脚した建築思考が深まっていく中・・・。
第2章 大正9年「我々は起つ」 1920年(大正9年)東京帝国大学を卒業した6人石本喜久治、堀口捨己、瀧沢真弓、森田慶一、矢田茂、山田守、が「分離派建築会」を発足させて展覧会を開く。「派」といっても「一人一様式」で個性的。
トピック 平和記念東京博覧会-分離派建築会のデビュー 1922年3月から7月に行われた博覧会で堀口捨己と瀧沢真弓と後に会に加わる蔵田(濱岡)周忠の3名が参加。当時の写真が楽しめる。
第3章 彫刻へ向かう「手」 鉄筋コンクリートの技術の持つ可能性と建築家たちの創作意欲にヒントを与えたのが近代彫刻の作品。ロダン、ヘルッォーク,レームブルック。構造と機能のをかだいに模索。
第4章 田園へ向かう「足」 都市開発が手がけられ「田園的」「地方的」な建築の取り入れ。
トピック 関東大震災-新しい東京 1923年(大正12年)の関東大震災の復興事業に参加。橋梁設計。
第5章 構造と意匠のはざまで 震災後の復興で耐震の優れた鉄筋コンクリートの追求。
第6章 都市から家具 
社会を貫く「構成」 村山知義などの新しい芸術運動の影響。生活のための実用の構成。
第7章 散開、それぞれのモダニズム建築 1928年(昭和3年)最後の第7回展のあと西欧建築を研究したり,茶室の研究したりそれぞれのモダニズム建築を作り上げていく。(展覧会図録から参照)

分離派建築会の宣言

我々は起つ。
過去建築圏より分離し,總の建築をして眞に意義
あらしめる新建築圏を創造せんがために。
我々は起つ。
過去建築圏内に眠って居る總のものを目覚さん
ために、溺れつゝある總のものを救はんがために。
我々は起つ。
我々の此理想の實現のためには我々の總のものを
楡悦の中に獻げ、倒るゝまで、死にまでを期して。
我々一同、右を世界に向かって宣言する。
分離派建築会

2020年10月10日から12月15日  パナソニック汐留美術館
2021年1月6日から3月7日  京都国立近代美術館

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