『平櫛田中回顧談』本間正義聞き手、小平市平櫛田中彫刻美術館編発行中央公論社を読了。
以前朝日新聞の書評欄に載っていたのでいつも廻る本屋数軒廻っても無かったので、縁が無いと思っていたら、大和郡山市の図書館に入っていたので早速読ませていただきました。平櫛田中(1872明治5-1979昭和54)108歳まで生きられましたが、この本は1965(昭和40)1月から5月にかけて、当時国立近代美術館におられた本間正義さんが聞き手となって10本のテープにとられた田中の肉声をようやく出版となったんですね。道具や素材の言及もあり、作品の裏話も多数ありますが、私の一番の興味は森川杜園のこと。第3章に「奈良と森川杜園」と1章をもうけています。22歳で大阪の人形師・中谷省古に弟子入りして、再度西洋で郷里の岡山に帰って24歳(1895明治28)で再び大阪に来て、本格的な古美術研究のために2年近く奈良に住んでいたようです。
備忘録として・・・
「24歳の時、信州から出てきた滝澤天友君が奈良の森川杜園さんに弟子入りをたのんだが、杜園さんは私はもう年だから弟子はとらないと(滝澤が杜園さんを訪ねたのが明治26年で27年には亡くなっている)。大阪の仏師の中谷省古に2年の約束で二人で弟子入りした。・・・奈良では森栄吉さんの家に下宿した。森さんは竹内久一先生の〈執金剛神立像〉や〈無着〉などの模刻したときの助手の大工さんだった。後に美術学校の正木校長に森川杜園は昨今の彫刻界ではどの程度と考えているか?との質問に、言下に日本一だと答えられた。杜園さんの最後の弟子で、美術学校の教授をしていた水谷佳園さん(1876-1943)からは先生はいつも一室にこもりきり仕事をされていた・・・。杜園さんの舞楽などの小さいものが、当時二百円位して、馬鹿に高いものだと内心驚いた位のものだった。三笠山の麓で人形彫刻をやっている瀬田にという人がいる。今は四代目位だと思うが、初代、二代目が杜園さんのものをあつめて、それが大変な数になった。恐らく百五十もあるだろう。二年ばかり前、奈良に行った時、偶々これを拝見する機会を得た。特にその中でも未完成のものにとてもよいものがあるのに感心してしまった。いずれも試作中のものだが、これを世間でやかましく言わないのが不思議なくらい良いもので、なんとか奈良県で買ってもらうとかして一括保存して、永久に研究資料として、活用するようにすべきであろう。」