茶道史の神津朝夫先生から『淡交2月号』を恵送たまわりました。特集の「珠光-佗茶の祖」で「茶祖珠光について」をお書きになっています。〈珠光 しゅこう〉茶祖とされた珠光の実像は根本的再検討が必要とされ、応仁の乱ころに奈良に戻り、草庵にに住む遁世者になったようで、「珠光房」と呼ばれたりして、村田珠光などの俗姓は間違いだそうですね。頂いた金曜日にNHKのニュースで、奈良町の茶室を紹介していた1級建築士さんが「村田珠光むらたじゅこう」と言っていたのは、この本の後に市長が珠光茶会のインタヴューをされていますが、先に市民の啓蒙が大事ですね・・。
最近の記事
カテゴリー
- ごちそう(62)
- 近鉄文化サロンあべの 小川陶芸教室(33)
- 赤膚焼資料(55)
- かしはらぶらぶら(9)
- ぶらぶら散歩(5)
- 京都ぶらぶら(14)
- おやつ(100)
- 本から(15)
- 展覧会(106)
- 赤膚焼 小川二楽(342)
- 奈良伝統工芸(30)
- 見てきました(4)
- 東大寺修二会(24)
- 堺ぶらぶら(11)
- 食事(41)
- 斑鳩ぶらぶら(15)
- 生駒ぶらぶら(1)
- 御所ぶらぶら(5)
- 映像から(33)
- 日記(406)
- なら あすか(16)
- 奈良ぶらぶら散歩(308)
- 赤膚焼 奥田木白(20)
- 中国ぶらぶら(27)
- なら あすか(2)
- 中国ぶらぶら(2)
- 大阪ぶらぶら(24)
- 赤膚焼(80)
- 大和郡山(302)
- なら(150)
- いただきもの(138)
- 作品研究(31)
- 陶磁器研究(117)
- 展覧会備忘録(4)
- なら 吉野(41)
- 美術館博物館ぶらぶら(644)
バックナンバー
人気記事