京都国立近代美術館コレクションギャラリーから ジョアン・ミロ 1893‒1983 「モニュメントのためのプロジェクト 1956 陶 」
館のHPから「走泥社再考」展に関連し、ジョアン・ミロの作品をご覧いただきます。
ジョアン・ミロ(1893-1983)は、スペインのバルセロナ出身の画家で、彫刻作品や陶芸作品も手がけました。一般的にはシュルレアリスムのオートマティスムを利用した作風で知られ、具象と抽象のあいだを揺れ動くような象形や自由な描線、鮮やかな色彩による画面構成が特徴的です。またミロと日本の間には様々な繋がりがあり、昨年開催された「ミロ展 日本を夢みて」(愛知県美術館ほか)では、それが包括的かつ詳細に紹介されました。
ジョアン・ミロ(1893-1983)は、スペインのバルセロナ出身の画家で、彫刻作品や陶芸作品も手がけました。一般的にはシュルレアリスムのオートマティスムを利用した作風で知られ、具象と抽象のあいだを揺れ動くような象形や自由な描線、鮮やかな色彩による画面構成が特徴的です。またミロと日本の間には様々な繋がりがあり、昨年開催された「ミロ展 日本を夢みて」(愛知県美術館ほか)では、それが包括的かつ詳細に紹介されました。
ミロの陶芸作品制作は、1942年にバルセロナで旧友のジョゼップ・リュレンス・イ・アルティガスによる陶芸展を訪れたことに端を発します。陶彫《あるモニュメントのためのプロジェクト》は、中国や日本の陶磁器に深い関心を寄せていたアルティガスそしてその息子とともに手がけた200点以上の陶芸作品の1点です。1951年からミロは《あるモニュメントのためのプロジェクト》と題した作品を散発的に制作していますが、それらは陶に限らず、木や鉄そしてブロンズなどを組み合わせたもので、ごく一部のみ巨大なモニュメントへと発展しました。陶片を積み上げたような本作に見られる頭部は、1945年に原型が制作された《太陽の鳥》と同じですが、1966年にはこの部分だけが大理石およびブロンズで拡大されています。屋外設置を前提としたモニュメントにおいてミロが目指したのは、作品が風景の一部となり自然と一体することでした。
1966年、ミロは初めて来日します。東京の国立近代美術館と当時その分館であった当館で開催された大規模な『ミロ展』が、そのきっかけでした。ミロはその際、関西にも足をのばし、京都で桂離宮や龍安寺を訪れると同時に当館での「冨田渓仙展」を鑑賞、さらには信楽で信楽焼を見学しています。この関西旅行中、ミロに随行したのが八木一夫でした。
1966年、ミロは初めて来日します。東京の国立近代美術館と当時その分館であった当館で開催された大規模な『ミロ展』が、そのきっかけでした。ミロはその際、関西にも足をのばし、京都で桂離宮や龍安寺を訪れると同時に当館での「冨田渓仙展」を鑑賞、さらには信楽で信楽焼を見学しています。この関西旅行中、ミロに随行したのが八木一夫でした。
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