奈良博三昧『五大明王像』5躯
木造 檜材 一木造 彩色 立像
彫刻
平安時代 10~11世紀
木造 檜材 一木造 彩色 立像
彫刻
平安時代 10~11世紀
奈良博収蔵品データーベースから「全国的にも稀少な一具の五大明王像の遺例。像の大きさからみて、一堂の本尊ではなく、私的修法(すほう)のための造像であった可能性がある。中尊不動明王は顔を真正面に向け、両眼を見ひらき、上歯で下唇を噛む。いわゆる大師様(だいしよう)に属する姿で、他の四尊も基本は大師様の典型である京都・東寺講堂像に近い図像だが、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)像がさながら蔵王権現(ざおうごんげん)のように片足を跳ね上げるのは珍しい。丸みを帯びた体型等から、平安時代中期の制作と考えられる。
(岩田茂樹)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.106, no.137.
(岩田茂樹)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.106, no.137.
五体が完存する東密系の五大明王像の佳作で、各像とも全体をカヤの一材から彫出しており、内刳(うちぐり)はない。小像ながらも木の材質感を巧みに生かした造形が行われており、張りのある下ぶくれの頭部やがっしりとした体躯は堂々たる風格を漂わせている。また降三世明王に踏みつけられて苦悶する大自在天の表情など、細部の入念な表現も精彩に富んでいる。中尊の不動明王はほぼ正面を向いているが、基本的に大師様の像容に忠実な形式をもつ。総髪とした頭髪に毛筋を表さず平彫にしているのは、(頭頂には蓮華をつけていたとおぼしき丸孔がある)、当初は描線による表現が行われていたことによるものであろう。図像的に興味深いのは頂部に髑髏を戴いて首に巻きつけ、胸前で両手を交叉させた軍荼利明王で、左脚を高く跳ね上げて片足立ちとする点は彫像では珍しい。これは画像にしばしばみられる形式であり、立像の三体の裳裾(もすそ)において激しい動きの一瞬をとらえたかのような風動表現が行われ、放物線が反復されていることも、制作に際して白描図像などの描写が参考にされた可能性を物語る。しかしながら彫像としての重量感と奥行きはいささかも滅じられておらず、複雑な姿態を破綻なくまとめた構成力とあわせ、作者の非凡な力量がうかがえる。製作年代は、鎬(しのぎ)を立てつつも浅めの彫りでまとめられた衣文の表現など、重厚さの中に穏健さがのぞく作風からみて十世紀後半頃とするのが妥当であろう。不動像の右手先と持物は後補。
(稲本泰生)
明王展―怒りと慈しみの仏―, 2000, p.158
(稲本泰生)
明王展―怒りと慈しみの仏―, 2000, p.158
五大明王は、護国、除災を目的とする仁王経法の本尊として、平安時代以来盛んに造立されたもので、密教の忿怒尊らしく、力感の籠った荒々しい像容と躍動的な姿勢に表現される。その形制は真言宗の空海将来様と天台宗の円珍将来様の二系統に分れるが、本像は空海将来様の一例で、中央に不動明王、その四方に降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の四天王が配位されている。 各像とも細部にいたるまでカヤの一材から彫出した丸彫り像で、内刳りもない。重厚な肉付けをみせたどっしりした体貌、複雑な像容と激しい肢体の動きを的確に彫出したすぐれた造形力には、平安時代一木彫像の特色がよく示されている。
(松浦正昭)
奈良国立博物館名品図録 増補版. 奈良国立博物館, 1993, pp.20-21, no.9. 」
(松浦正昭)
奈良国立博物館名品図録 増補版. 奈良国立博物館, 1993, pp.20-21, no.9. 」