窯元日記復活

法隆寺中門

法隆寺中門



法隆寺中門
ふりがなほうりゅうじちゅうもん






員数1棟
種別近世以前/寺院
時代飛鳥
年代飛鳥
西暦593-709
構造及び形式等四間二戸二重門、梁間三間、入母屋造、本瓦葺
創建及び沿革
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
指定番号00023
国宝・重文区分国宝
重文指定年月日1897.12.28(明治30.12.28)
国宝指定年月日1951.06.09(昭和26.06.09)
追加年月日
重文指定基準1
重文指定基準2
所在都道府県奈良県
所在地奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
保管施設の名称
所有者名法隆寺
所有者種別
管理団体・管理責任者名


解説文:
詳細解説
 法隆寺の南大門を入ると正面にみえる二重門が中門で、左右には廻廊が連なり、廻廊内には右に金堂、左に五重塔がそびえる。これらはいずれも木造としては世界最古の現存建造物であり、法隆寺西院伽藍ならではの景観を呈する。
 中門は初重・二重とも、正面を四間、側面を三間に分かつ特殊な平面をもつ。太くて胴張りのある柱、雲斗雲肘木によって構成される組物、高欄の卍崩しの組子、人字形割束など、飛鳥建築の特徴とされるものによる構成が力強く、美しい。
」(文化庁 国重要文化財等データーベースから)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 から→

「中門仁王像
塑造金剛力士立像(吽形体部木造)2躯重要文化財。奈良時代(711年)。中門安置。像高は阿形(あぎょう)379.9センチ、吽形(うんぎょう)378.5センチ。『資財帳』の記載から、五重塔の塑像群と同じ和銅4年(711年)の完成とわかる。日本の金剛力士(仁王)像としては、長谷寺の銅板法華説相図(686年または698年)に表されているものに次いで古い。門内の向かって右に朱色の阿形像、左に黒色の吽形像が立つ。安置場所が長年外気にさらされる環境にあったため、各像とも補修が多い。本来は塑造だが、重要文化財指定名称に「吽形体部木造」とあるとおり、吽形像は16世紀の修理で大部分が木造に替わってしまっている。阿形像は比較的当初の部分を残していると思われていたが、修理時の調査の結果、奈良時代末期頃に大幅に造り替えられていることが判明。むしろ、吽形像の木造に替わっていない部分(頭部、右手、背部、腰)の方に当初の形が残っていることがわかった。吽形像には足枘があるが、阿形像の方にはない。このため、足枘ではなく吊金具を用いて像を支えていたものと推定される。 」

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