窯元日記復活

唐招提寺の会津八一の歌碑


唐招提寺の会津八一の歌碑が金堂の西側にあります。
「おほてら の まろき はしら の つきかげ を 
                   つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ  」


「歌意
 唐招提寺の丸いエンタシスの柱が月の光で大地にくっきりと影を落としている。その影を踏みながら私は深いもの思いに耽っている。 」
鹿鳴集・南京新唱(第52首)
 「会津八一 奈良の歌碑 」参照 会津八一 奈良の歌碑 (fc2.com) から


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コメント一覧

岩辻賢一郎
再考
土に踏みつつが 悩ますところ、
土はやはり、参道では無理で、月が昇り始めた頃
金堂吹き放しの西側の土を踏みつつなら 考えられます。
しかし、そんなところで、歌人は思索するのでしょうか?
土は基壇=三和土(たたき)と解釈すれば、すっきりしますが、昔の基壇は土だったとはいえ 金堂の基壇は石ですから、苦し紛れの解釈です。
ご参考に。
niraku
コメントありがとうございました。唐招提寺の観月会には何度もお邪魔していますが、講堂の東側から拝見していますと礼堂越しに月が東から上がってきます。今は金堂の仏像に照明を与えていますので、当時のことは分りませんが、金堂も東から月明かりが入りますと、柱影が西に出るのでしょうか・・。
岩辻 賢一郎
引用: 唐招提寺の丸いエンタシスの柱が月の光で大地にくっきりと影を落としている。その影を踏みながら私は深いもの思いに耽っている。


秋艸道人の歌は実景なのでしょうか。嘘では?

金堂は南面し、例えば満月が南中する月影は須弥壇の方に向かって投影され、基壇、参道には蔭を落としません。

土を踏みつつなら、嘘ではないと思いますが
を、を と続くことを嫌った表現でしょうか? 


和歌としては唐招提寺9首の中ではもっともすぐれているのですが、
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