窯元日記復活

率川神社からお勉強

率川神社が奈良にあるのに大神神社の摂社なのか気になっていたんですが・・・。


先日古本屋で950円+税で買った『奈良市史寺社編』による率川神社由来では「推古天皇元年(593)2月3日、大三輪君白堤が勅命により奉斎したと伝える古社で、延喜式にいう率川坐大神御子神社三座に当たる。文徳天皇仁寿2年(852)11月9日に従五位下を授けられ、神封6戸-左京4戸、丹後国2戸を与えられている。

率川(いさがわ)は春日山南谷から流れ下り、神社の南辺を流れるので、子守川とも俗称する。

治承4年(1180)12月、平重衡の乱によって社殿が焼失した(玉葉)。中世以降は春日若宮神官によって管理され、興福寺との関係が深かった。したがって、中世遷宮の記録などは『大乗院寺社雑事記』に再三記されている。近世は春日社に所属し、大宮外院十一社の中にあった。明治十年3月、内務省達により大神神社摂社率川坐大神御子神社と定められ,今日にいたる。」とあり大神神社には明治になってからなんですね。

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