奈良博三昧『重要文化財 十王図』
3幅
陸信忠の十幅の「十王図」があるが、こちらは三幅のみ。
絹本 著色 金泥 掛幅
各縦85.9 横50.8
絵画
中国・元時代 14世紀
図中墨書「陸仲淵筆」 |
陸仲淵筆 |
絹本著色十王像 陸仲淵筆、閻羅王、泰山王、五道転輪王 |
奈良博収蔵品データーベースから「十王は冥界で死者の生前の行いの裁判をする十名の王で、人間の転生先を決定する。裁判の結果地獄へ堕とされる事態を免れるには、遺族あるいは本人が供養や作善を行うと裁量されると信じられた。この信仰は中国で晩唐までには成立し、宋代には広く流布した。十王信仰は中国に留まらず、朝鮮半島、日本にも伝わっている。 本図は日本に伝来した中国製の十王図の三幅で、もとは十幅あったとみられる。三幅のうち二幅に「陸仲淵筆」と署名があることから作者の名がわかる。陸仲淵は、同じく陸姓を持ち、多数の十王図に署名を残す南宋期・寧波の陸信忠と近い関係にあると考えられており、本図の図様も陸信忠筆十王図の一系統(法然寺本系統)に相似する。寧波の市井で活動した陸家は、工房製作によって人々の受容をみたす仏画を描いたとみられる。 現存する宋代の十王図に比較すると、本図は画面下方半分程度を使い、地獄を豊かに活写する点に特徴がある。最後の裁判を行う五道転輪王の場面では、地獄から解き放たれる死者(罪人)を描きこんでおり、作善や供養により罪人すら救われることを絵解きするようである。描写の粗雑さは否定し難いが、当時の信仰の様、また陸家の画業を伝える重要な作品である。森村家伝来。もと十幅で十王のセットであったと考えられるが、五七日閻羅王、七七日泰山王、三年五道転輪王の三幅のみが伝来する。このうち閻羅王を除く二幅に「陸仲淵筆」と墨書銘がある。陸仲淵は『君台観左右帳記』など、室町期の記録には名を留める画家だが、その銘を持つ作品は少なく、本図の他二幅の羅漢図(能満院、常照皇寺)があるのみである。本品をみるとその描写は粗雑と言わざるをえないが、十王の図像表現とも、描写パターンは明かに陸信忠の十王図を踏襲しており、その系譜をひいている。十王の図像は永源寺本系統に近いが、本品は上半分に十王の審判、下半分に地獄の様相を大きく表す構成に特徴があり、刀葉樹・剣岳で血だらけになる罪人、煮えたぎる地獄の釜に投げいれられる罪人の姿などを広々と描く。さらに、最後の五道転輪王では上半分に供養の品々(写経、摺経等か)を王に差し出す人々(二組の夫婦か)、下半分に地獄から放たれる罪人を描いているのが注目され、現世における親族の供養によっては、罪を犯した罪人でも地獄から救済されるのであるとの理解が明瞭で、強調されている。同構図の十王図には最近所在が確認された、京都六波羅蜜寺所蔵の十王図十幅(無銘、元か)がある。
聖地寧波 日本仏教1300年の源流~すべてはここからやって来た~, 2009, p.301
(北澤菜月) 」
聖地寧波 日本仏教1300年の源流~すべてはここからやって来た~, 2009, p.301
(北澤菜月) 」
https://www.narahaku.go.jp/collection/1006-0.html