読売新聞の記事から「京都府埋蔵文化財調査研究センターは13日、舞鶴市万願寺の満願寺跡から、中国・河北省の磁州窯じしゅうようで12~13世紀に作られた「黒釉白堆線文壺こくゆうはくたいせんもんつぼ」が見つかったと発表した。この壺が国内で出土するのは初めてで、寺の勢力規模や交易ルートなどを考える上で貴重な資料という。(二谷小百合)
満願寺跡から出土した「黒釉白堆線文壺」(京都府舞鶴市で)
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2019年度に、砂防ダム建設に伴う発掘調査を実施した際、廃棄用の穴から壺の破片が発見された。表面に白泥で線をつけ、黒いうわぐすりが施されており、黒釉白堆線文壺に特徴的な模様を示していた。そのため、同種の壺を所蔵する大阪市立東洋陶磁美術館に照会し、確認された。
出土品とよく似た「黒釉白堆線文壺」(大阪市立東洋陶磁美術館提供)
磁州窯は、中国北部・河北省にある民間の窯で、主に日用品を製造していたとみられる。黒釉白堆線文壺は宋の時代によく製造され、流行したデザインとみられ、日本では観賞用として用いられたと考えられる。
満願寺は鎌倉時代初期に創建されたと伝わり、礎石建物跡などが出土しているが、創建時の詳しい様子はわかっていない。同時代の磁州窯の陶磁器は、大陸との貿易の玄関口だった博多や都のあった京都などでは出土しているが、同研究センターの竹村亮仁・主任は「珍しい壺が手に入るほど、当時はかなり大きな勢力を持っていた寺と想像される」としている。
吉岡博之・舞鶴市郷土資料館長は「日本海側の交易ルートの存在も感じさせる興味深い発見」と指摘している。
破片をつなぎ合わせて縦約10センチ、横12センチに復元され、14日から23日まで、同市南田辺の市郷土資料館ホールで速報展示される。
こくゆうはくたいせんもんつぼ」が見つかったと発表した。この壺が国内で出土するのは初めてで、寺の勢力規模や交易ルートなどを考える上で貴重な資料という。(二谷小百合)
満願寺跡から出土した「黒釉白堆線文壺」(京都府舞鶴市で)
2019年度に、砂防ダム建設に伴う発掘調査を実施した際、廃棄用の穴から壺の破片が発見された。表面に白泥で線をつけ、黒いうわぐすりが施されており、黒釉白堆線文壺に特徴的な模様を示していた。そのため、同種の壺を所蔵する大阪市立東洋陶磁美術館に照会し、確認された。
磁州窯は、中国北部・河北省にある民間の窯で、主に日用品を製造していたとみられる。黒釉白堆線文壺は宋の時代によく製造され、流行したデザインとみられ、日本では観賞用として用いられたと考えられる。
満願寺は鎌倉時代初期に創建されたと伝わり、礎石建物跡などが出土しているが、創建時の詳しい様子はわかっていない。同時代の磁州窯の陶磁器は、大陸との貿易の玄関口だった博多や都のあった京都などでは出土しているが、同研究センターの竹村亮仁・主任は「珍しい壺が手に入るほど、当時はかなり大きな勢力を持っていた寺と想像される」としている。
吉岡博之・舞鶴市郷土資料館長は「日本海側の交易ルートの存在も感じさせる興味深い発見」と指摘している。
破片をつなぎ合わせて縦約10センチ、横12センチに復元され、14日から23日まで、同市南田辺の市郷土資料館ホールで速報展示される。」
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20201114-OYT1T50136/