沼田一雅(1873-1954) 「白磁鳳凰置物」 大正10年(1921)製作。2019年東京国立博物館で撮影。
「沼田一雅 ぬまた-かずまさ
1873-1954 明治-昭和時代の彫刻家。
明治6年5月5日生まれ。木彫家の竹内久一に師事。明治33年のパリ万国博で鋳銅「猿廻し置物」が1等金牌を受賞。のちフランスで陶磁器彫刻を研究,帰国後,母校の東京美術学校(現東京芸大)教授。昭和26年日本陶彫会を結成し会長,29年芸術院恩賜賞。昭和29年6月5日死去。81歳。福井県出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 」
「沼田一雅(ぬまたいちが)
ぬまたいちが
(1873―1954)
ぬまたいちが
(1873―1954)
陶芸家。福井県生まれ。東京美術学校を卒業したのち、フランスのセーブル陶磁器製造所で彫塑的な製陶および釉薬(ゆうやく)製法などを研究、その技法を習得し1903年(明治36)に帰国。09年には母校の教授となり、焼物の世界に彫塑像の分野を切り開いた。代表作に『正木直彦像』(東京芸術大学)がある。54年(昭和29)芸術院恩賜賞を受賞。
[矢部良明]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」
東文研アーカイブデーターベースから
「元東京美術学校教授、帝展審査員沼田一雅は、胃癌のため東京都新宿区で6月5日永眠した。享年80歳。明治6年5月5日福井市に生れ、竹内久一に師事して彫刻を学んだが、のちフランスのセーヴル陶磁器製作所に入つて前後2回陶磁器の研究を遂げ、陶磁器彫刻に新しい領域を開き、その第一人者となつた。また東京美術学校教授、帝展審査員等をつとめ、多年の功労によつて昭和29年5月恩賜賞を授与された。帝展、文展出品作のほか、記念像に「能楽師梅若実翁像」「原嘉道像」「根津嘉一郎像」「ウェスト博士像」(東大構内)「竹内久一像」(東京芸大構内)があり、また得意の陶像には「正木直彦像」(東京芸大陳列館内)「ワグネル博士像」(東京工業大学内)「中沢岩太像」などがある。
略年譜
明治6年 5月5日福井市に生る。
明治15年 大阪府立北野学院卒業。
明治24年 彫刻修業のため上京、美術学校教授故竹内久一に師事。
明治27年 東京美術学校鋳造科蝋型助手。
明治29年 4月、東京美術学校助教授。
明治34年 1900年仏国巴里開催の万国大博覧会の鋳銅の「猿廻し置物」を出品、1等金牌受領。
明治36年 海外窯業練習生として渡仏、6月巴里市アカデミー・ヂュリアンに入所、11月国立セーヴル陶磁器製作所に入所、同所の彫刻家サンドーズ氏の指導を受け、原形より石膏形成法、押型法仕上げ法、窯詰法、焼成法を研究、同所の希望により純日本風俗等の彫刻原型数種製作、記念として寄贈。
明治38年 8月、彫刻並に陶磁彫刻研究のため、白、和、独、伊4ケ国を旅行、9月再度セーヴル製作所に入所、引続き陶磁器彫刻研究。同所技芸員に石膏薄肉彫刻の指導を受け、ドワット氏にパートアップレカションの手法を習い、同時にロダンにつき彫刻研究。
明治39年 5月、仏国出帆。7月帰国、9月東京美術学校雇員となる。
明治42年 東京美術学校教授、農商務省工業試験所陶磁器部嘱託。
明治43年 仏国政府より「アカデミー・ドゥ・オフィシヱ」勲章授与。
大正10年 3月再度渡仏、セーヴル製作所に入所、彫刻物焼成法と釉薬調合法につき研究、同年5月摂政宮殿下(今上陛下)御外遊中同所へ御成り、奨励のお言葉を賜る。彫刻陶磁製作技法研究のため、英国、デンマーク、コペンハーゲン、独のハンブルグ、ローゼンタール、ベルリン等各製陶所を1ケ月にわたり見学、帰仏後セーヴル製陶所の極秘法「パート・ドゥ・ヴェール」の製作法を探知。
大正11年 8月帰朝。
昭和2年 仏国政府よりセーヴル製陶所にて製作の原型に対し「オフィシエ・ドゥ・ランストリュクシヨン・レピュブリック」勲章受領。
昭和3年 11月大礼記念章授与せらる(表面、高御座の図彫刻)仏国政府より「シュバリェ・ドゥ・ラ・レジヨン・ドゥヌール」勲章受領。10月、帝展第三部、第四部推薦。
昭和3年 11月、京都高等工芸学校講師嘱託。
昭和7年 勅任教授。
昭和8年 9月帝展審査員、10月正4位勲4等、東京美術学校教授退官、講師を命ぜらる、11月奉職在勤41年により感謝状受領。
昭和9年 大阪府立工芸展審査員。
昭和12年 3月京都市美術展審査員、9月文展審査員。
昭和13年 3月京都市美術展審査員、9月文展審査員。
昭和14年~16年 東京美術学校、京都高等工芸学校、商工省京都陶磁器試験所の彫刻指導。
昭和21年 10月愛知県瀬戸市に陶彫研究所創設、所長となる。
昭和26年 4月日本陶彫会結成、会長となる。10月神奈川県工芸協会第一部会長となる。
昭和29年 5月恩賜賞授与せらる。6月5日没。
略年譜
明治6年 5月5日福井市に生る。
明治15年 大阪府立北野学院卒業。
明治24年 彫刻修業のため上京、美術学校教授故竹内久一に師事。
明治27年 東京美術学校鋳造科蝋型助手。
明治29年 4月、東京美術学校助教授。
明治34年 1900年仏国巴里開催の万国大博覧会の鋳銅の「猿廻し置物」を出品、1等金牌受領。
明治36年 海外窯業練習生として渡仏、6月巴里市アカデミー・ヂュリアンに入所、11月国立セーヴル陶磁器製作所に入所、同所の彫刻家サンドーズ氏の指導を受け、原形より石膏形成法、押型法仕上げ法、窯詰法、焼成法を研究、同所の希望により純日本風俗等の彫刻原型数種製作、記念として寄贈。
明治38年 8月、彫刻並に陶磁彫刻研究のため、白、和、独、伊4ケ国を旅行、9月再度セーヴル製作所に入所、引続き陶磁器彫刻研究。同所技芸員に石膏薄肉彫刻の指導を受け、ドワット氏にパートアップレカションの手法を習い、同時にロダンにつき彫刻研究。
明治39年 5月、仏国出帆。7月帰国、9月東京美術学校雇員となる。
明治42年 東京美術学校教授、農商務省工業試験所陶磁器部嘱託。
明治43年 仏国政府より「アカデミー・ドゥ・オフィシヱ」勲章授与。
大正10年 3月再度渡仏、セーヴル製作所に入所、彫刻物焼成法と釉薬調合法につき研究、同年5月摂政宮殿下(今上陛下)御外遊中同所へ御成り、奨励のお言葉を賜る。彫刻陶磁製作技法研究のため、英国、デンマーク、コペンハーゲン、独のハンブルグ、ローゼンタール、ベルリン等各製陶所を1ケ月にわたり見学、帰仏後セーヴル製陶所の極秘法「パート・ドゥ・ヴェール」の製作法を探知。
大正11年 8月帰朝。
昭和2年 仏国政府よりセーヴル製陶所にて製作の原型に対し「オフィシエ・ドゥ・ランストリュクシヨン・レピュブリック」勲章受領。
昭和3年 11月大礼記念章授与せらる(表面、高御座の図彫刻)仏国政府より「シュバリェ・ドゥ・ラ・レジヨン・ドゥヌール」勲章受領。10月、帝展第三部、第四部推薦。
昭和3年 11月、京都高等工芸学校講師嘱託。
昭和7年 勅任教授。
昭和8年 9月帝展審査員、10月正4位勲4等、東京美術学校教授退官、講師を命ぜらる、11月奉職在勤41年により感謝状受領。
昭和9年 大阪府立工芸展審査員。
昭和12年 3月京都市美術展審査員、9月文展審査員。
昭和13年 3月京都市美術展審査員、9月文展審査員。
昭和14年~16年 東京美術学校、京都高等工芸学校、商工省京都陶磁器試験所の彫刻指導。
昭和21年 10月愛知県瀬戸市に陶彫研究所創設、所長となる。
昭和26年 4月日本陶彫会結成、会長となる。10月神奈川県工芸協会第一部会長となる。
昭和29年 5月恩賜賞授与せらる。6月5日没。
出 典:『日本美術年鑑』昭和30年版(177-178頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2021年12月10日 (更新履歴)
引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「沼田一雅」『日本美術年鑑』昭和30年版(177-178頁)
例)「沼田一雅 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8771.html(閲覧日 2023-07-23)
以下のデータベースにも「沼田一雅」が含まれます。
- ■美術界年史(彙報)
- 1951年05月 日本陶彫会結成さる
- 1954年03月 恩賜賞、芸術院賞決定
- 1938年10月 正木直彦寿像除幕式
- 1940年12月 日本陶磁彫刻作家協会創立
- ■物故者記事
- 吉賀大眉 竹林薫風 八木一夫
- ■明治大正期書画家番付データベース
- 1908(明治41) 日本書画名覧_807166
- ■『美術画報』所載図版データベース
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