窯元日記復活

奈良博三昧『国宝  辟邪絵』①天刑星

奈良博三昧『国宝  辟邪絵』5幅 紙本 著色 掛幅 平安~鎌倉時代 12世紀 

天刑星
1幅
紙本 著色 掛幅
縦26.0 横39.2

平安~鎌倉時代 12世紀

奈良博収蔵品データーベースから「もと一巻として伝来し、「地獄草紙」と称されていたこともあるが、地獄に関するものではなく、様々の悪鬼を退治する、由来も様々な善神たちを集める。古来中国で行われた辟邪、すなわち邪悪な鬼類を辟け除くための図絵の伝統に連なると考えられて、現在は仮に「辟邪絵」と称されている。仏教に無関係なものも含まれ、六道のいずれかに属するものもないが、形式が「地獄草紙」などと共通し、それらの中に本品と書風の一致する例も指摘されるところから、一連の作品であった可能性は否定できず、「六道絵」の一種とみなしてよいのではないかとされるところもある。天形星(天刑星とも書く)は陰陽道の神で、我が国では密教の修法に取り入れられ、民間のまじないにも用いられる。栴檀乾闥婆は『仏説護諸童子陀羅尼経』に説かれる、胎児や小児を害する悪鬼の上首であるが、転じて悪鬼の駆除者となり、「童子経曼荼羅」の中尊としても描かれる。神虫は典拠が明らかではないが、内容が中国の奇聞集『神異経』に載る怪人と共通すると指摘されている。錘馗は古来辟邪の門神とされるが、本図の像は唐の玄宗の夢に現れたものと共通性が高い。毘沙門天は仏教の代表的護法神であり、法華経持者の擁護は『法華経』「陀羅尼品」に説かれる。

(中島博) 美麗 院政期の絵画, 2007, p.229 


もと絵巻であったものが戦後分断され掛幅装となる。益田家本地獄草紙乙巻と呼ばれてきたが、内容は中国で信仰されてきた疫鬼を懲らしめ退散させる善神を表した辟邪絵であることが明らかである。天刑星、栴檀乾闥婆、神虫、鍾馗、毘沙門天の各図が描かれる。天刑星は文字通り天刑を与える星、陰陽道の鬼神である。わが国では密教修法にもとり入れられた。ここでは牛頭天王(京洛の祇園社の祭神。古い時代には、疫神、平安末期には辟邪神)をつかんで食らう。栴檀乾闥婆ははじめインドの音楽神、八部衆の一。『法華経』普門品にいう観音三十三身の一でもある。また童子を十五悪神の危害から守護する神格として信仰を集めた。密教の「童子経曼荼羅」では本図と近い像容に表される。神虫は蠶の美称、善神として早くからその霊異が知られている。図は蛾の姿をイメージしたものであろう。鍾馗は唐の玄宗を悪鬼から守ったとの説話を生んだ中国の辟邪神。その姿は破帽藍袍に朝靴の姿という。毘沙門天はここでは、『法華経』持経者を守護する善神として現れる。こうした弓を持つ毘沙門天像は唐宋代に作例が知られる。  以上のようなきわめて珍しい図像を集めたこの絵巻の図像的淵源は南都と強い関係があり、さらに平安時代を通して宮中で修された仏名会に用いられた「地獄變御屏風」とも何らかの関わりがあると推測される。他の地獄草紙などと一連の六道絵巻として、後白河法王のころに制作され、蓮華王院宝蔵に蔵されていたものと推測される。とくにこの辟邪絵と東京国立博物館本地獄草紙・福岡市美術館本勘当の鬼図の詞書を同筆と見る説があるのは注目される。  なお、各々の詞書きには、各辟邪神の働きが簡便に説明される。

(梶谷亮治)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, pp.317-318, no.172. 」

天刑星  詞書「かみに天形星となつくるほしまします/牛頭天王およびその部類ならびにもろ/もろの疫鬼をとりてすにさしてこれ/を食とす」 

「辟邪絵五幅は、邪悪な鬼類を退治する五つの辟邪神(天刑星・鍾馗(しょうき)・栴檀乾闥婆(せんだんけんだつば)・神虫(しんちゅう)・毘沙門天(びしゃもんてん))を描く一巻の絵巻が、切断されて掛幅に改められたものである。描かれる諸神はいずれも中国の辟邪信仰に基づくものと考えられるが、画風や詞書の書風が近似する沙門地獄草紙(しゃもんじごくぞうし)一巻(同じく切断され諸家分蔵)とともに伝来したことから、ともに六道絵(ろくどうえ)の一部を構成していたという見解がある。このうち天刑星図は、岩に腰掛ける天刑星が、四臂に悪鬼をつかんで喰う姿が画面いっぱいに描かれる。朱・丹・緑青による対比を強調した色調や、強い朱隈を施した肉身描写、仏画を思わせる張りの強い鉄線描などを用いる画風など、平安から鎌倉にかかる時期の南都仏画に近い。天刑星の特色ある姿形についても、平安後期に奈良で描かれた額装本華厳五十五所絵(東大寺蔵)のうち大天神像に極めて近いことが指摘されている。本図の詞書によれば、天刑星が捕えて食べている悪鬼は、牛頭天王(ごずてんのう)をはじめとする疫鬼であるという。天刑星は、もともと天界にいて星々を司るとされる中国の道教神で、わが国では陰陽道(おんみょうどう)において駆使される式神(しきがみ)の根源として重視されるとともに、祇園社(ぎおんしゃ)に祭神として祀られる牛頭天王の同体異名とも考えられた(『神道集』巻第三「祇園大明神集」)。また天刑星は真言密教でも重視され、鎌倉時代初期には疫病に対する祈寿法として天刑星法が盛んに行われたという。本絵巻が描かれる時点で天刑星が牛頭天王と同体と認識されていたかは不明だが、辟邪新の天刑星が疫病を司る神である牛頭天王が習合していく過程を示唆しており、大変興味深い。

(谷口耕生)
神仏習合-かみとほとけが織りなす信仰と美―, 2007, p.272 」





https://www.narahaku.go.jp/collection/1106-0.html

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