ある女性整体師の日記

おかげさまで22周年!吉祥寺の「バキバキしない」まじめな整体院 きむらカイロプラクティック・吉祥寺

茨城県 旧石器 縄文 弥生 古墳時代の旅5

2024年04月15日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

まさか!

 

大串貝塚の断層面観覧施設は鍵が閉まっていた。

Σ(゚д゚lll

のぞいてみる。

わざわざ係の人を呼ぶのはさすがに申し訳ないけど、ちょっと残念。

もどりますか。
林をてくてく。




ご注意ください

 
何に?!
 
ダンナはどんどん先へ。
もどろう、とにかく。
 

近くの学校の鐘が鳴る。ちょうど12時なのだ。

 

貝塚があったということは、この辺まで海が来てたということだよね。

 

またお会いしましたね!

ダイダラボウさん
 
足元に置いてある容器は縄文土器ですか?
 
縄文広場に到着。


天井にこのぐらい隙間が空いてたら煙で家の中がもくもく
と言うこともないのだろうか。
天井部分が開け閉めできたとか?


水戸市埋蔵文化財センター
縄文くらしの四季館

ほ、やっと屋内。
 
貝殻がいっぱいだー!(嬉)



これこれ!
やっぱり、貝塚でてきたものって好き。
 
やっぱり、こんな感じの出土品が良いの、個人的に。
偉い人の副葬品より何倍も心おどる。
日常を垣間見るときの
ひとの生活にお邪魔するような。
 
そんで、ガラスケースに入ってない方が良い。

模様にうっとり。





さわってみたくなるし、やってみたくなるのはDNAにかきこまれているから?(笑)

石剣(せっけん)




 

弥生時代の遺跡から住居跡が10軒発見され、弥生土器とともに「紡錘車」という土製品が出土している。

 

紡錘車とは、植物の繊維を同じ太さの糸にするために、ねじりながら糸を巻きとる作業に用いられる道具らしい。

バラエティにとんだかたちや文様がある。

コマみたいにまわると違うかたちがみえてくるのかな?



平安時代の土器はもう現代と変わらないね。
 
鳥さんの埴輪も!


コバルト染め付け便器1870年代〜


使い勝手はさておき、すごくおしゃれだ。

 

平安時代の人面墨書土器


墨で顔が書いてある。

キャラクターのお茶碗なら、ドラえもんのやつが家にあるw


この地にも人間が3万年前から訪れていた跡を知ることができました。

 

このあと、12:45  さか天パークへ。

 

買ったものは

いいだこ、サザエ、真イカ、イカの塩辛。

発泡スチロール箱にいれてもらって、あと

干し芋も!

 

14:00 守谷パーキングエリアに寄る。

新しいのかな?広くて広すぎず、きれいなとこ。
ここでも、たくさんお土産を買いました。
何気なく積んであったおせんべいも二袋ほど買った。

14:30出発

東京にもどってから、入院している親戚のおばさんとこ寄って
おせんべいをお土産に渡したら、
大好物で以前はよく取り寄せたものだと感極まっていた。
将門煎餅(まさかどせんべい)



ありがとう茨城県アゲイン。

 

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茨城県 旧石器 縄文 弥生 古墳時代の旅4

2024年04月12日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
ひたちなか埋蔵文化財センター、展示もあと少し。

乳飲み児を抱く埴輪
 
今回の茨城県の旅で最も惹きつけられたのはこの埴輪でした。
うちの3番目は3際半までおっぱい飲んでいたけど、この頃はどうだったのかなぁ。
少なくともこの赤ちゃんはとても小さい。
 
スリング(抱っこ紐)のような表現が背中に。

虎塚ちゃん
 
こういうのけっこう好きよ。
ま、昨今、オリジナルアニメ女子キャラが多すぎる気もしますが。

虎塚古墳装飾壁画(模型)


 
台湾先住民がオニガヤの茎をみんなで編んで大きな敷物をつくる。
 
この頃のカーペット、
もしくは敷布団の居心地はいかようなものであったのか。
 
ひたちなか市西塙遺跡の火事にあった住居の土器ミステリー
 
蛍光灯が映り込みまくり、すみません。
 
コモ
 
コモって薦って書くんだ!

って前に、コモって何?
ワラを編んだものかな?
ホームセンターに売っていたコモより、出来上がりが良い、なんて、へぇって感心するよね。
実際はどうだろうって試したり確認したりって大切だと思うから
こういう比較は教えてくれると楽しい。

西野塙遺跡の住居跡復元模型
 
平安時代のおわりの住居は
煙突や周堤帯と呼ばれる雨水が家の中に流れ込まないような工夫があったようだ。

ひたちなか市の奈良、平安時代の住居の変化
 
奈良、平安時代というと仏教文化が取り沙汰されるけど、
私にとっては庶民のおうちを想像するほうが好きだな。

煙突に用いられた土師器甕
 
煙突にしては汚れてないようにみえる。
 
「祝 十五郎穴横穴墓群 国指定遺跡へ!」
 
十五郎横穴群も虎塚古墳も同じ所有者と知る。
そこを離れることなく、受け継いで守ってきてこられたのかしら。
 
後谷津(うしろやつ)遺跡の製鉄炉
 
 

さてと、おもてに出て虎塚古墳を見に行こう。

 



ここの玄関、親戚のおばちゃんちの玄関風だよ。

 

林の中を歩いていくと
どこかの幼稚園の野外活動なのか、元気の良い子供たちとすれ違う。

誰ですかー!

雨降ってきたから帰るのー!

人見知りしない子たちだ。
こどもはみんなの宝だな。

あー、早く孫が欲しい。

 

虎塚古墳の上に登るのに2人とも苦労する。
膝に気をつけてぇ、と声をかけあう。
還暦前のじいちゃん、アラフィフばあちゃん夫婦だから。

 

ほんとだ、雨が降ってきた。

 

頑張って、ゆっくり古墳を降りたら

そこが入り口だった。



年2回だけ一般公開をするみたい。
 
こんな大きな墓をつくるなんて
どういう了見なのかしら。
お墓を大きくつくりだした頃から
精神世界も変化してるのか?
 

11:20出発

 

11時35分 大串ふれあい公園到着



小降りだが、そろそろ傘が必要だ。
 


巨人ダイダラボウの台座は中に入れるようになっていて



巨人に詳しくなれる。


驚くのは謎の部屋があり、
ミラーハウスのごとくあやしい。
ちょっ、なんだなんだここは!という感想。

 

階段をあがり、だいだらぼっちの手のひらから雨の街を見る。



 

これはお尻の穴からの景色

 



大串貝塚はどこで見れるのだ?
 
ダイダラボウが貝を食べてその貝殻が積み上がって、みたいな話だったはずだから
ダイダラボウが見ている方向を目指して坂を下っていく。

 

雨の中、ひとっこ一人いない公園を2人でさまよう…。

つづく

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茨城県 旧石器 縄文 弥生 古墳時代の旅3

2024年04月07日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

ひたちなか埋蔵文化財調査センターの続きです。



ひたちなか市では旧石器時代から人が住んでいたんだなぁ。
 

注口土器


これなんか見た感じすき↓


ぽつぽつ模様って面白い。

弥生時代中期の土器

水の紋様みたい細い筋が美しい。


土器をつくる技巧を考えると、いま考えられている竪穴住居があんな粗末だろうか?
毎回チグハグさを感じる。

いや、住居がシンプルというのは
最終形なのかもしれない。

こないだ旦那と話していたんだけれども、
この日本において住居を長く住み続けるためにしっかり作るということはナンセンスなのではないだろうかということだ。

 

お尻には穴と鈴


 最近は色々な埴輪に会えるので
大きな馬の埴輪にもびっくりしなくなってきた。


ちゃんと土偶に鼻の穴もあるよ
 
いろいろな紡錘車(ぼうすいしゃ)





↑「埋文だより56」より

三反田(みたんだ)遺跡から、いろいろな地域の特徴をもつ土器の出士があり、人々が移住してきたのではと考えられるようだ。
古墳時代前期の可能性がある丸木舟が2艘埋まっているそうで、那珂川河口域は水上交通の要だったかも、という分析も読んだ

 

S字状口縁甕


S字状口縁甕とは
伊勢湾沿岸部を中心にして、2世紀から6世紀にかけて分布する台つき甕。
異常に薄く軽くできているらしいので、触ってみたいな。



古墳時代後期 円筒埴輪


人物埴輪




我が家にあるのと似た小鉢あった。
 
埴輪の脚の部分



馬渡埴輪製作遺跡は昭和39年、中学生がユリの球根掘りの際に、偶然「馬形埴輪」を発見したとある。

その後の調査により、大規模な埴輪製作遺跡であることがわかり、
窯跡19基、住居跡2基、工房跡12基、
粘土採掘坑25カ所以上という
埴輪工場地帯?が発見されたのである。

ここで焼かれた埴輪が各地へ運ばれたと考えると、
私が想像している以上にものづくりの製造、流通のシステムができあがっていたのだ。

 

磯崎東古墳群



この写真に思わず見入る。個人的に心をつかまれた。

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茨城県 旧石器 縄文 弥生 古墳時代の旅2

2024年03月24日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

春日ホテルの一階のワイン🍷バーのつづき。

 

誰もいないバーの椅子に座ると、隣りのフロントにいた男性がそそくさとバーに移動し、バーテンダーへと早変わりした。

正真正銘のソムリエさんなのだ。

 

お風呂にあったワインのシャンプーリンスボディーソープがとても良い香りでありそうでない商品ですね、と伝えると、

ワイン「成分」を使ったこのような商品はあるが、実際のワインを使った商品はなかなかないとのことでした。

買ってかえろかな。

 

ワインバーでデザートワインを2杯。

おつまみの干しぶどうってこんなに美味しかったっけ?

 

小さなオスが大きなメスと同化する!あんこうの不思議な生態や

魅力度ランキングの最下位争いへの思いなど

地元で商売をしている人ならでは話は楽しい。

何よりも宿のスタッフとたっぷり話すのは仕事の邪魔になるかな、とどうしても気をつかうものだ。

バーでバーテンダーさんと話すのなら、お酒を注文している限り許される気がしてリラックスできるw

 

同じく一階に小さなゲームコーナーがあり、

いつもこども達を制止する立場なのに、

つい遊んでしまう。

 

翌朝、何度寝もして、ギリにチェックアウト。

ワインのボディソープも忘れずに買う。

10:00出発

 

近所のパン屋さん

みなとパン

 
カレーパンがくどくないお味でヤミー!
 

10:30

ひたちなか埋蔵文化財調査センター

https://hitachinaka-maibun.jp

駐車場のスギ林

花粉症の私にはこの時期恐ろしい風景にみえる。

 

置き方自然すぎ

お邪魔します。


旧石器時代



トロトロ石という名前が面白い。
ケースのはじにこっそりとナウマンゾウがいるw

縄文時代

このかたちのガラスケースだと
照明が反射するので
どうしても斜めに撮るしかない。


大きな貝だなぁ。
貝ヘラ、スクレーパー?
どのようにして使ったのかしら。



つづく。

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福岡県 縄文弥生の旅7

2024年03月18日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
13:30 タイムズステーションへ返却し
博多駅へ向かいます。
 
つばめの杜ひろば




 JR博多の屋上に行くと、屋上庭園があります。
天気も良くなってきて良かった。

 

14:00 鉄道神社


 

目がかゆい。

 

そのまま地下に降りて行って、阪急百貨店の地下食品売り場でお土産を探す
が、迷いすぎて

あきらめ空港へむかうことに。


地下鉄空港線のホームはすぐで、

2駅5分で福岡空港へ着く。噂通りのアクセスの良さ。

車内には木材をつかった椅子で、さすがセンスあるJR九州です!

 

スカイマーク自動チェックイン。

 

今回の旅は大変暖かく(東京は雪だったのだが)、
悩んだ末、ヒートテック着ないできて正解だった!

 

空港内の寿司屋に入り、カウンターで飲んでつまむ。

ごまさば、ごまあじの後、

くじらのうねす(喉のあたり)、くじらの百畳(胃袋)を生姜醤油、酢味噌でいただき、
ふたりで4合弱飲れば、ちょうど良い、酔い、ヨヨイノヨイ(←酔っ払い)。

 

寿司屋の店長?は大分出身福岡在住のおじさんで
城は好きだから、姫路城は有名だし行ってきたが、縄文となるとはるか前ですねぇ

と話にのってくれた。

このような人との出会いが脳にその地の記憶を深く残す。

人が社会動物だからこそ。

ちょうどよい酔い加減、ほわー

 

結局、ギリギリまで飲んで急いで向かうw

16:20発

地面と離れたのは

おそらく16:35

やっぱり飛行機好きやねん。

3分後には雲の上って

神の所業

(↑酔っていますね)


今回のまとめ‼️

板付遺跡では

縄文時代と弥生時代のミックスカルチャーを感じ、人間が考え名付けた歴史年代も、実際は当たり前だが切れ目のない流れがあると再確認。


山鹿遺跡は縄文時代にフォーカスというより、
その後も長きにわたって人々が住み、町をつくり、文化をつくり・・・盛衰を感じた。

 

後日談

むなかた道の駅で買った乾燥ひじきは

わたし史上とても美味しくひじき煮が炊けた。

磯臭くないギリギリの磯の香りのひじき煮ができたのだ。
さつま揚げと油揚げは入れたけど、満足感いっぱい。
家族にも大好評で、お鍋(3.4ℓパール鍋)いっぱいにふくらんだから1週間ひじき食だなと思ってたのに、
ホイサ!2日でたいらげたよ。

こういう地産の食材を持ち帰り、料理させてもらって皆でいただく。
旅行の思い出、美味しい復習。

寒いうちに海の美味しいものをまた食べたいな!

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福岡県 縄文弥生の旅6

2024年03月17日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
芦屋歴史の里、芦屋歴史民俗資料館
一階に降りる。
 
プロトプテレム
 
は大昔に絶滅した海鳥で
空は飛べなかったと考えられ、
ペンギンモドキと呼ばれる。
 
一緒に写真をとろう、とあるが
前の展示店で等身大感が感じにくいので
ツーショット撮影はやめておこう。

ドラマのスタジオみたい
 
紙で手作りした野菜たちがほほえましい。
 
立派な瓦だ…
 

奈良時代、仏教の伝来とともに朝鮮半島からやってきた瓦。

これは江戸時代の芦屋の立派な瓦。

芦屋には18世紀創業の瓦屋があったとか。

明治には雲州瓦(島根県)の職人さんたちが移住してきて、最盛期は遠賀川流域にたくさん工場があったんだって。

 

かるたが置いてある 

 
縄文人三千年の眠り醒め
 
年末に家族で行った群馬県のこんにゃくパークで上毛かるたが展示してあったことを思い出す。
 
小さい資料館だけど、ひとつの町の近代までの歴史が紹介されていて、貝塚を超えて、大変勉強になりました。

11:10出発

車で移動。

芦屋町役場て立派だねぇ!と感心してたら、

次は芦屋ボートレース場がみえてきた。

 

役場も道もかなりきれいで整備されている謎がとける。航空自衛隊芦屋基地もあるしね。

 

真冬のわりに木々の緑色してる。

九州は温暖だから?

 

11:40

道の駅むなかた到着。

 
宗像市のテンちゃんコーナー
 

11:40

道の駅むなかた到着。大きいです。

台湾レタスなど見慣れない野菜もありキョロキョロ・・・

お土産に柚子胡椒、パイまんじゅう、乾燥わかめ、乾燥ひじき、かつお菜、さしみこんにゃく2種を買った。

 

12:30出発

 

BGMは少年時代。井上陽水氏は福岡県飯塚市出身とのこと。

2月第1週に菜の花と会えたっ

 
地名の「貝塚」
 
福岡市の貝塚駅や貝塚線をこの目で見たかったが、今回はかなわず。

次回がラストです。
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福岡県 縄文弥生の旅5

2024年03月07日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

引き続き、芦屋歴史民俗博物館。

 

農具のいろいろ



 

ジョレンでジョン レノンみたい。

 

山鹿貝塚から出てきたものを見たいが、見当たらない。

  



 

そうか2階がメインなんですね。

ありました!



 

山鹿貝塚の人は左右の腕に19個の貝輪をはめ、サメの歯の耳飾りをつけ、ネックレスもしている。

 

人体にこれだけたくさんの装飾品をつけて発掘される事は全国的に見ても大変珍しいと書いてある。

 

なぜ真ん中の小さな子供について触れてないのだろうか。

 

山鹿貝塚人骨出土地点模型



 

この貝塚にて埋葬された人骨18体発見しているようだが、その様子がもっとわかればいいのにと思った。
状態があまり良くない状況で出土したのかな。


山鹿貝塚出土土器


シンプルボーダー柄土器


うっすらと、漫画のカケアミのような模様がみえる。
小学生の時、よく練習したよ、カケアミw



弥生土器(遠賀川式土器)


須恵器 


ろくろの使用&高温焼きで一気にシャープな器となる。

古墳時代


さらに奈良時代、平安時代とつづき
鎌倉時代の鬼瓦。


室町時代の芦屋釜


釜なら芦屋、と評判だったそうな。
お湯を沸かせればいいじゃない、とならない人間のセンスって不思議だけど
縄文時代からそのセンスがあったことが今はわかる。

その時代の
金谷遺跡から発掘されたこしき炉

400年前に途絶えた芦屋鋳物のロマンなり。



大量に輸入され使用された宋銭

展示のしかたがイケてますよね。

伊万里焼


全国に足を運ぶ旅行商人(たびゆきしょうにん)は未踏の地なし、と豪語するだけあって遠くは蝦夷、松北海道)まで行き、商いをしていたそうな。

当時の伊万里焼(佐賀県)の3分の1を扱うくらいというから、日本の商社の原型かもしれない。

 

丸い瓦なんてあるんだ

 

お酒の瓶がでっかい

 

はっさくの行事の展示はカラフルで賑やか。



 

「芦屋津より船出する山鹿秀遠の船団」のジオラマは圧巻である






民が普段通りに生活している様子がまたおかしい。

明治時代から遠賀(おんが)地方の文化センターであった大国座



収容人数1000人を超えた劇場だったらしい。


んー、ここの資料館は専属ジオラマ職人がいるのでわ?


当時の賑わいをうかがい知る。


芦屋と漁業


江戸時代から魚市場があり、博多、小倉とともに三魚市場ともてはやされていた。


この箪笥かっこいい。

 

縄文時代からずっと人々が生活していた芦屋。
商業、交通の要地であったため、繁栄したのだろう。
しかし、だんだんと芦屋の街人口が減り、鉄道もなくなり・・・いまさら縄文の狩猟生活に戻すわけにもいかない。
なんというか日本の地方都市の縮図のように感じてしまう。

 

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茨城県 旧石器 縄文 弥生 古墳時代の旅1

2024年03月06日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
去年の5月にも訪れた茨城県ですが、今回はどうしてもあんこう鍋を食べてみたい欲をおさえきれず、大洗へ!

14:00出発


15:30 

谷田部東のパーキングエリアで休憩。

とにかく日本のパーキングエリアのトイレはどんな小さいとこでもきれいで清潔。


売店へ行くと、




チップスのラインナップが豊富すぎやしないか?

裏書きをみると古河市(こがし)の製造所?


そうか茨城県の古河市で作っているのか❗️

すぐさま調べると、なんと

古河事業所が国内で唯一😳の生産拠点とのことだ。

ふるさと納税もあるようだ。


今日はお天気が良く、暖かいので 

ここでソフトクリームを買う。




ソフトクリームが歯に染みる中年夫婦ここにあり。


大洗町はカキ小屋の看板があちらこちらに。

意外でした。


パートナーが「絶景」と言う雑誌で見たと言う場所に寄ってみたいと言うので、


近くの縦列パーキング🅿️に停めて




16:40海です




観光客はちらほら。
(あとでホテルの人に聞くと、茨城空港から台湾の人が観光に来てくれるらしい)

近くの海鮮料理屋では、外でおじさんが寒そうにあんこうをまな板の上で思い切りぶつ切りにしている。
ほんとに見てると寒そうなの。

さて、今回一泊お世話になるのは

磯料理とワインの宿 春日ホテル




17時30分から夕ご飯。お部屋食です。


あんこう鍋は毎日食べられるくらい臭みゼロ、トツテモおいしい鍋でした。

お部屋に食事を運んでくれたきれいなおばさんに聞いた。

地元でもあんこうは普通に食卓にのぼりますかと。

とんでもない、こんなに美味しくは作れない、人が来てあんこうを食べようとなった時は、まずまず外食しますと言っていました。

なる、下処理や仕込みが手間がかかるようだ。

ここのホテルで食事をする価値というか、セールストークかもしれないけど、でもわざわざ食べにきて良かった、と納得湧いて、お得感があるコメントでした。

うー、食べすぎてとにかくお腹が苦しい😣

残さないがモットーなのに、最後のあんこう鍋おじやを少し残してしまいました。

ごめんなさい。






お風呂はだれもいなくてゆっくり入る。

赤ちゃんウェルカムの宿だね。

使わなかったけど、お風呂にこうゆうのあると助かると思う。


風呂場にあったワインのシャンプーリンスボディソープはワインの(ぶどうの)香りが本物っぽくて、ラブ注入。

まだ寝るには早いし、かなり気になっていた一階フロント隣のバーにダンナを誘ってみた。

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福岡県 縄文弥生の旅4

2024年02月27日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

2日目

ホテルに別れを告げて、外へ出た。

荒々しい玄界灘に向かって、 

どうもお邪魔しました、と挨拶すると、

地層についての掲示が目に止まる。


福岡県指定天然記念物

岩屋・遠見ヶ鼻の芦屋層群

平成24年3月26日指定



このあたりの地層は、今から2,500~3,200万年前に日本列島が大陸から分かれて形成されていった根拠になるもので、それより前の化石が陸上のものであるのに、貝やエビやカニの仲間の甲殻類など海の生物に変わっている、とのことだ。


これまたはるか遠くの話だが、ブチっとちぎれて日本列島ができた早送り再生の想像をする。


こうして夫婦で全国の遺跡めぐりをしていて気がついたのは、歴史の世界のすぐとなりには

地学の世界があるということだ。

学生時代はまったく興味のなかった地学という分野に触れ、そして興味が湧いている自分がいる。

ひとつのことをずっと見ていると無意識のうちに他のジャンルにも足を踏み入れているんだ。

 

9:50 亀の井ホテル玄界灘を出発

 

雨の中、立派なキャベツがぎっしりと並んだ畑。

 

山鹿(やまが)貝塚




本看板は防衛省の特定防衛施設周辺整備調整交付金を活用して設置しています。」


そういえば、ホテルの部屋の窓から空を見て

あ、軍用機じゃん、とダンナが言ってたな。


航空宇宙自衛隊 芦屋基地


が芦屋にはあるらしい。


が、ここは民家がある、何の変哲もないふつうの広場である。


ここからすぐ近くの

芦屋歴史民俗博物館


へ。10:05到着。

 

ひとり200円はらって入館。



ボタンを押すと、その地点が光る立体地図。

ポチポチする。




ここは言っちゃあなんだが、やや隠れ気味の展示も多く、見ているわたしの体が次第に斜めになってくる笑。

この所狭し感がまさに小さな街の資料館らしい。


続く。

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福岡県 縄文弥生の旅3

2024年02月06日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅


高速道路にのり、宿へ向かう途中、

須恵という地名をみて、

あれ?須恵器の須恵?

スマホで調べてみる。


『須恵町の町名は、古墳時代に生産されていた土器「須恵器」からの由来といわれています。』


https://mobilesmarttown.jp/sue-fukuoka/

より引用



やっぱぴ。


縄文、弥生時代より後の時代だけど、

出土品展示でよく目にするので、

思い出したのでした。


運転手が眠くなってきたので休憩したい、と言うので、直方のサービスエリアでトイレ休憩。

のおがた

という読みかたでした。なおかた、ではなかった。


トイレに



こんなお願いがあるなんて、初めて見たかもしれない。





初めてみるヨーグルト飲料を買わずにはいられないわたし。

裏をみると宮崎県の製造者でした。

さっぱり味でイケる。


海がみえてきた。

荒れてるが、波は南国の色をしてる。


17:10亀の井ホテル玄界灘到着



車を出た途端、ものすごい海鳴りが襲う。


もともとかんぽの宿だったらしいこのホテルは、予想以上に広くてきれいなところでした。


部屋から玄界灘を望む。





玄「海」灘、ではないことを知る。

大人になっても知らないことばかりだ。


ベッドの上に充電器セットがある。

部屋に携帯の充電器があるのって心強いですよ。


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