The Notebook Of Things I Don’t Know About

日々遭遇した出来事について、あれこれ考え、想像してみる。
ユーモアを添えて...。

ライナーノーツ (for N GM)

2010年10月03日 19時17分11秒 | 音楽

1曲目は『I'll Remember April 49年録音』。ピアニストはバド・パウエル。ピアノトリオにおける名盤中の名盤『バド・パウエルの芸術』のA面の1曲目をセレクト。バド・パウエルというピアニストは、それまでのスウィング派のピアノスタイルとは異なりビバップスタイルのピアノを確立したピアニストの代表的な黒人ピアニストです。このビバップと呼ばれる演奏スタイルが、このアルバムから急に現れたわけではありません。40年代に若手ミュージシャンは、その頃、全盛だったスウィングジャズの陰で、NYのナイトクラブで夜な夜なアフターアワーズセッションを行いました。数々のセッションを繰り返す中、若手ミュージシャンはいろいろな音楽表現のアイデアを模索し、完成させ、彼らの音楽表現の中に取りいれていきます。それらの実験的なセッションを通して、世間の注目を徐々に集め、ジャズの中心はスウィング(ダンスのための音楽)からビバップ(芸術としての鑑賞の音楽)へと移行していきます。ジャズ表現の革新が始まっていくわけです。革新といってもよくわかりにくい所です。わかりやすく例えて言うと、スィング・ジャズ・エイジを江戸時代とすると、ビバップエイジは明治時代、つまり、ジャズのビバップ革命は明治維新のようなものと考えればわかりやすいでしょうか。そうすると、パウエルのような若手のビバッパーは維新で活躍した坂本竜馬、桂小五郎や大久保利通のような存在ということ?!。バド・パウエルはそうしたビバップ革命の中心人物でありビバップピアノの創始者です。麻薬や精神病に蝕まれ41歳で亡くなりました。
     
バド・パウエル                  『バド・パウエルの芸術』


2曲目は『Opus de Funk 52年録音』。曲が好きなので選びました。ピアノはホレス・シルバー。この人はトリオの演奏よりも、どちらかといえばクィンテット(ピアノトリオ+ホーン奏者などで演奏するフォーマット)での演奏が多く、50年代後半から60年代前半にかけてブルーノートレコードから非常にたくさんのアルバムを出しています。(その演奏はまた次の機会にでも紹介します。)この演奏は彼の初期の演奏ですが、この頃からシルバーの得意の左手のリズムに乗ったコンピングが見られます。非常に特徴的な左手なので、聴いたことのない曲でも、ピアノがシルバーなら大抵は分かる、そんなノリを持ったピアニストです。最近は少し名前を聞かなくなりましたが、ほんの10年前にはよく日本にもライブに来ていました。彼の演奏スタイルは一言でいえば〝ファンキー〟この言葉に尽きます。
    
ホレス・シルバー                『ホレス・シルバー』


3曲目は『I Got Rhythm 55年録音』。ピアノはハンプトン。ホーズ。前出の2人は主に東海岸(中心はNY)で活躍しましたが、この人は西海岸(中心LA)で活躍しました。52年~54年にかけて在日アメリカ軍兵として滞在していたこともあります。その間、日本のジャズミュージシャンのジャム・セッションにも顔をだし、日本のモダンジャズの発展に多大な影響を与えました。バド・パウエルもそうでしたが、ホーズもまた麻薬中毒と戦った黒人アーティストにして50年代の最良のピアニストの1人です。ブルースの演奏も非常に多く得意としていました。48歳で亡くなりました。
    
ハンプトン・ホーズ                       『ハンプトン・ホーズ Vol.1』


4曲目は『Just One of Those Things 56年録音』。ピアノはアート・テイタム。活躍したのはバド・パウエルよりも早く、30年代には既に演奏活動を行っていました。スウィングとかビバップとかのカテゴリーに入りきらないダイナミックな超絶技巧を駆使して演奏を行います。アメリカでは〝ジーニアス〟と形容され、テイタムが敬愛していたと言われているファッツ・ウォーラー曰く、テイタムのことを〝神だ〟と言い、ジャズヴァイオリンの至宝ステファン・グラッペリは彼の演奏聴いて、〝連弾だと思った〟と言い、20世紀のクラシック界の大ピアニストのホロヴィッツも〝彼のように弾いてみたい〟と言わしめた。ポピュラー、ジャズ、クラシックとまさにカテゴリーなんか飛び越え、黒人だの白人だ人権問題も無く、自由主義だの社会主義だの、イデオロギーもまったく関係のない、音楽的絶対価値の世界の中で、ある意味一つの頂点に達した天才の演奏がここには存在すると思います。ちなみに彼は生まれながら左目は見えません。右目はかすかに光を感じることができたと言われています。46歳で亡くなりました。
    
アート・テイタム                   『テイタム・グループ・マスターピース』


5曲目は『I Could Have Danced All Night 56年録音』。ピアノはアンドレ・プレヴィン。初めての白人ピアニストです。プレヴィンは現在は80は過ぎているのですが、たしか昨年からN響の首席客演指揮者になっています。基本的にはクラシック界の人ですが、50年代の初めから60年ぐらいまではジャズや映画音楽の演奏・創作活動も同時に行っていました。ジャズ主体でないということで、真面目な?ジャズファンからはあまり好まれていないという話をよく聞いたりするのですが、このアルバムは20代の頃、本当によく聞きました。プレヴィンはユダヤ系のロシア人であり、今までの黒人のピアノの音色と違い、明るくクールで軽やかなスウィング感が特徴です。ハンプトン・ホーズの演奏をよく研究したそうですが、確かによく聞くとスィング感が似ている気もします。『マイ・フェア・レディー』はヘップバーンの映画が有名ですが、元々、ブロードウェイのミュージカルでした。ミュージカルではジュリー・アンドリュースでした。(サウンド・オブ・ミュージックで有名、これも元はミュージカルです。)このアルバムはマイ・フェア・レディーのミュージカルで使用された楽曲をジャズのバージョンで演奏したものです。ジャズでは、演奏する楽曲として、ミュージカルの曲や映画で使用された曲を好んで演奏します。いろいろなミュージシャンに取り上げられ、演奏された楽曲が、のちに(現在ということですが)スタンダードナンバーと言われる曲となっていきました。それから、気付かれましたでしょうか、音がステレオになっています。56年録音なのに、なんとステレオ録音です。それを考えるとロックなどのポピュラーミュージックの録音技師たちはジャズの録音技師よりも未熟だったということが言えそうです。
      
アンドレ・プレビン             『マイ・フェア・レディー』


6曲目は『C-Jam Blues 57年録音』。ピアノはレッド・ガーランド。右手のシングルトーンとノってきたときの左手のブロックコードが特徴です。(この曲でもガーランドのこの演奏スタイルが見られます。)ガーランドも黒人のピアニストですが、この人は黒人ミュージシャンにしてはいろいろな面で恵まれていました。第一期マイルス・デイヴィス・クインテットのピアニストとして抜擢されてから、彼の名は一躍有名になり、その後、ジャズピアニストとして食い扶持にはそれほど困るようなことは無かったようです。このマイルスクインテットのリズムセクション、ガーランド(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラム)のピアノトリオは〝ザ・リズムセクション〟と言われ、この時期の代表的なピアノトリオと言われていました。ガーランドの音の持つ、品のいい音色・ハーモニー・リズムで奏でる演奏は、ホーン奏者などの音とぶつかることが少ないので、いろいろなミュージシャン(特にホーン奏者)とのセッションがたくさん録音されました。また、このアルバムジャケットもカッコいいですが、これに限らず、ジャズのアルバムはデザインや写真や字体に非常にセンスのあるものが多いです。ちなみに以前、洋書店でアルバムジャケットワーク集を2冊購入しました。(そのくらいデザインが秀逸なのです。)

      
レッド・ガーランド             『グルービー』


7曲目は『Blue Monk 59年録音』。ピアノはセロニアス・モンクです。いろいろな世界で、三大なんとかってよくありますが、三大モダンジャズピアニストといえば前出のバド・パウエル、セロニアス・モンク、あとででてくるビル・エバンスだと、巷では言われています。モンクは40年代から活躍したピアニストですが、パウエルと同じくビバップを生んだ世代の1人です。僕も初めは、非常に聞きにくい(理解しにくい)音だなぁというのが最初の印象でしたが、ジャズを聴き込んでいくのと比例して、この人の音楽性の高さとオリジナルな発想に引き込まれていきました。彼とセッションするという事は、それ自体が、他の演奏者の力量や音楽的なアイデアやオリジナリティーが試される場となり、そんじょそこらの個性は、彼の前では非常に凡庸に聴こえてしまいます。モンク作の曲の中でも、この曲は比較的わかりやすい曲だと思います...。
  
セロニアス・モンクとチャーリー・パーカー         モンク


8曲目は『Autumn Leaves  61年録音』。ピアノはビル・エバンスです。僕にとっての三大ピアニストはキース・ジャレット、ブラッド・メルドー、そしてこのビル・エバンスです。キースとメルドーは今もバンバン活動を行っているのですが、ビル・エバンスは30年前の9月15日になくなりました。ちょうど今年は没後30周年にあたります。大学3年のときにNYに一人旅に行ったのですが、その目的のひとつはエバンスが最後にライブを行った〝ファット・チューズデイ〟に行く事と、ジャズライブ録音盤で燦然と輝き続ける『ワルツ・フォー・デビー(このCDの12曲目に入ってます。)』が録音されたライブハウス〝ヴィレッヂ・ヴァンガード〟に行くことでした。僕のつまらない講釈を読むよりも、まず、聴いてみてください。それに付きると思います。ちなみにジャズピアニストのほとんどはバド・パウエルかビル・エバンスの影響下に有るといったも過言では有りません。ピアニストを語るとき、パウエル派、エバンス派というような説明のしかたが、ジャズジャーナリストのなかでの定型となっています。
 
ビル・エヴァンス                     『ワルツ・フォー・デビー』


9曲目は『Come Rain or Come Shine  61年録音』。ピアノはウィントン・ケリーです。粒立ちの良い右手と、興に乗ったときのグルーブ、スウィンガー振りが特徴で、マイルス・デイヴィス・クインテットの2代目ピアニストでもありました。マイルス曰く、〝ガーランドとエバンスを足して2で割った感じ〟と評しました。僕はどちらかというと、ケリーが7で、エバンスが3、という比率ではないかと思います。ちなみにエバンスはマイルスクインテットの3代目ピアニストです。ウェス・モンゴメリーとのライブアルバムで彼の真骨頂が聴けるものがあります。何かの機会にまた紹介します。39歳で亡くなりました。
    
ウィントン・ケリー                『ウィントン・ケリー』


10曲目は『Cheryl 61年録音』。ピアノはフィニアス・ニューボーン.Jrです。なんでも弾けるテクニシャンです。特に強力な左手が特徴で、随所にユニゾン(右手と左手で同じ音を弾くこと)が見られます。テクニックはテイタムや次に出てくるオスカー・ピーターソンの流れをくみ、フレージングはパウエルのビパップスタイルを踏襲したピアニストです。58歳で亡くなりました。
      
フィニアス・ニューボーン.Jr        『ワールド・オブ・ピアノ』


11曲目は『Waltz for Debby 61年録音』。今更何を書く必要があるのでしょうか。バッハやモーツァルト、ベートーベンが遺した曲が現在も演奏されているのと同様に、この曲、このアルバムも何年たっても演奏され続け、聴き継がれることでしょう。

  
エバンス


12曲目は『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン 63年録音』。ピアノは大御所、オスカー・ピーターソンです。ピアノの88鍵を縦横無尽に使い、オーケストラのようにダイナミックに演奏します。アート・テイタム直系のテクニシャンです。3年前に82歳で亡くなりましたが、亡くなる寸前まで音楽活動を続けました。彼のアルバムはほとんど駄作がありません。すべて楽しんで聴けるアルバムばかりと言えます。ジャズ素人から玄人まで誰でもホントに楽しめる演奏を繰り広げます。
  
オスカー・ピーターソン                       オスカー・ピーターソン


最後にまとめて日本人の紹介。
13曲目『So Long Eric 94年録音』。ピアノは大西順子
14曲目『The Subconsciousness 96年録音』。ピアノは椎名豊
15曲目は『Alice In Wonderland 96年録音』。ピアノは木住野佳子
アルバムはすべてサイン入りです。95年頃東京支店に勤務中、まだ独身だったので、いろいろなジャズクラブに行ってました。(最近はなかなか行けません。さみしい限りです。)この3人のほかに、日本人のピアニスをあげるとすると、山下洋輔や小曽根真、若いところでは山中千尋や上原ひろみとかでしょうか...。外国人のアーティストはなかなか生で聴くことはできませんが、日本人ならライブに行けば結構簡単に聴くことができます。例えば、今年の7月に六本木のジャズクラブで椎名豊のライブに行きましたが、その時は月1回のサービスデイでミュージックチャージは1000円でした。

以上、ジャズ、ピアノのコンピレーションCDのライナーノーツでした。

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