少し前になるけれど、1/29(日)汐留で松江南高校理数科クラスメート、松岡、鹿田、竹内、田代くんの5人で23年ぶりという恐ろしいほど久々に集まった。
とっても楽しい集まりで時間も経つのも忘れ、深酒した。集まったことを思い出しながら、あれやこれや、ここに整理してみようと思う。
まずはシャンパンで乾杯!ビールにワイン、がぶがぶ飲みつつ、みんなの話を楽しく聞きながら、僕はカシャカシャ写真撮影。汐留の46Fからの富士山、東京タワーに夜景にと40過ぎのおっさん達の集まりにしちゃーちょいと良すぎで勿体ない?というほどのロケーション。
みんなの外見の第一印象。
「なんだ、みんな全然変わってないじゃん!」「とりあえず頭も薄くなってないし、おなか周りも(たけちを除いて)みんな大して変わってない!」
次に仕草や語り口。
「さすがに出雲弁は出ない。みんな標準語だけれど、語り口は高校のままの雰囲気だ。」
基本的にみんな、なんも変わっていない...じゃない。でも、まあ、よく見れば表層も内部も経年劣化してそうな箇所はところどころあるかな。
昔話にも花が咲いたけれど、〝今、どう?他のみんな、どうしてる〟という〝今、現在〟ほかのクラスメートも含め、みんながそれぞれの場所で頑張っている話がたくさん聞けた。
それがホント良かった。
だけど実際、みんな本当に変わっていないのだろうか?
社会に出て、酸いも甘いも辛いも苦いもたくさん経験してきた僕らが高校や大学の頃と変わらないなんてあり得ない気もする。そう、あり得ない。
僕らはきっとあのころより、少しはタフでしなやかに、ちょっとだけずる賢く邪悪に、そしてずいぶんと優しくなったはず(たぶん)。
それでも、会話が始まる瞬間、いや、始まる前からタイムワープしたみたいに気分は高校や大学の頃のハイで、そして〝なんだってできるさぁ〟って感じの全く根拠のない自信のようなものがいきなり蘇ってくる。いつもは大学の友達に会う事の方が格段に多いのだけれど、いつもそう。再会した瞬間にあの頃の感覚がドドーッと脳みその中を占拠してきて、物事になんか、こう、チャレンジしていく気分みたいなものがふつふつと湧き出てくる。 学生の頃の友達に会う時はいつでもそうだ。そんな感覚がよみがえる。
そんな学生の頃の友達がいる一方で、残念ながら僕の場合、社会に出てからそんな〝友達〟の間柄になった人がほとんどいない。全く寂しい話だけれど、これは、本当のこと。まあ、理由は仕事が忙しいからということにしておく。1日の時間のなかで、仕事の拘束時間がどうしても長いので、社会に出てからの付き合いは、どうしても仕事上の関係者になる。必然的にそうなる(あくまで僕の場合だけど)。どうしたって損得勘定を考量し、付き合わなければならない人達と、そんなことは関係の無い人達とを比較するのは無理があるのは分かっている。だから、仕事のつながりの友達というのは学生の頃の友達とは同じ土俵では比べることができない。(別に社会に出てから知り合いになった人を否定するつもりではない。尊敬できる人もなかにはいる。)
昔の友達に会い、語らうということは、自分が社会にでて20数年という年月の間にあの場所から、どれだけ遠くまで歩んできたのか、もしくはたいして歩んでいないのかを確認し、自分自身を振り返りつつ、人生における〝温故知新〟を認識し、自分自身の〝初心に戻る〟ということなのかもしれない。
1986年、映画『stand by me』が封切られた。僕は大学1,2年の頃に見た記憶がある。その時は余り感慨深いものがなかった、というか全然良さが判らなかった。でも、今ならきっと最後のシーンで主人公が語る(キーボードに映し出される)一文の意味がわかる。
http://www.youtube.com/watch?v=NCmDBl3W-Pk&feature=related