これまで100億の生物が地上に生まれ、それとほぼ同数の生物が絶滅した(と言われている)。絶滅していった彼らや、今地球上にいる生物たちに心は無い(他の生物じゃないからホントの所はわからない)と思うけれど、彼らは未来と言う概念は持っていた(る)のだろうか?人間以外の動物が未来を夢見て何か努力するなんてことがあるだろうか?菌類や植物が明日のために自ら努力するのだろうか?原生生物や細菌類が自らの未来のために何か切磋琢磨することがあるのだろうか?
一昔前の子供向けの進化論を説明する本には挿絵でよく表現されていたものだ。
キリンは高い木の葉を食べるために首を伸ばす努力を何代も続けついにこのような姿になれた???
他の生物は自分の意思(あるとすれば)において、自らの生存のために身についた各種能力を向上することができるのだろうか?より早く走るために訓練するチーターとか、う~ん、いるわけないな。人間以外の生物は、能力の向上(=進化といって良い?)は自分の意思とは関係のないところで生じる運命のいたずら的要素がほとんどといってよく、それが進化論としての現在の定説となっている。
他の生物が自らの意思で、未来の為に何か努力をするだろうか?彼らはただ、ただ本能に従い、今日を生きることに精一杯のはず(なんだと思う)。DNAは彼らに対し、ただ今日生き延び、より生命力の強い子孫を残すことだけを命令している。環境が変わってしまえば、適応できないものたちは死んでいくより方法はない。それが自然界の摂理だ。
翻って僕ら人間はどうだろう?
我々人類の場合、自らが環境に適応させる進化の速度より、環境のほうを人類に適応させることのほうが格段に速くできるために、環境から受ける淘汰圧が他の生物に比べはるかに少なくなっている。自然を丸ごと適応させることが、なかなか難しい場合は科学技術を駆使して自分に都合の良い環境を創りだすことができるようになった。
その結果、自然界では生きていくのが困難な、やわな人間でも生きていけるようになった。本来、自然界の中では生きながらえることのできない者も生き延びていくことができるようになったわけだ。
皆が何とか生きていけるようになった先進国の中のひとつ、日本では、少し前〝勝ち組、負け組〟といった言葉が一世を風靡した。〝負け組〟となった人々の間には、〝負け組〟から抜け出すことのできない焦燥感、諦めといった感情が世間を覆っている。先進国中でもっとも自殺率が高いのは〝ホープフル〟な感情を持ちにくい何らかの圧力が働いているのかもしれない。
発展途上国の状況は乳幼児死亡率も高く、平均寿命も先進国と比べるとまだまだ短い国が大半だ。そんな状況であるので、〝ホープフル〟である必要性は、先進国のように平均寿命の長い人々よりも、発展途上国にいる人々のほうが高いのかもしれない。いや、現実に彼らは先進国の人々(特にわが日本の人々)よりもずっと〝ホープフル〟な気持ちを抱いている。(話したことないから想像だけれども)