ネットのおかげで、一昔前と比べて僕らはあまりにも容易くいろいろな情報を得られるようになった。
まだ行ったことのない外国の様子、話もしたことのない人の考えのあれやこれや、聞いたことのないミュージシャンやアーティストの楽曲、芸能界の裏話、時事問題の深読みの数々、最新の知的論文や古典的知見の数々、いろいろな画像や動画にゲームの類など、限りがないのでこの辺で止めておく。
グーグルの革命は、僕らが学生時代、図書館でいろいろな調べたいと思った時に、あくせくした時間を大幅に削減してくれ、僕らが実際に旅行に行かないと知りえないようなローカルな情報を瞬時に取り寄せることを可能にした。行ったことのないお店や場所のことを、さも行ったことのある風に語ることも簡単だ。
自分の体はPCの前に座りながら、情報を脳にインプットすることが可能になった。それによって得たものは計り知れない。(調べる時間もお金も節約できるし。)しかし、PCの画面から得られるものにも限界がある。ネットではたいした苦労もなく情報が得られるが、サーチ・エンジンだけに頼らず、自らのエンジン、足、手を使い、目、鼻とか耳のセンサーを使う事は、ネットで得られる情報とはまた違う〝体験〟になり得るはず。(そう、百聞は一見に如かずと言う)
実体験は僕にどのような影響を与えるのか?そのときは判らなくても、とりあえずナンだろうと考えることが必要。そのときは判らなくても、何かのきっかけで〝あの時はこうだったんだな〟なんて考えが突然、浮かんでくることがある気がする。
情報社会といわれて随分経つ。情報処理(IT)の技術は日進月歩だけれど、その情報を吟味する僕らの能力が進歩しているわけではない。僕らが情報を処理する数が増大するに従い、情報を吟味する数は反比例的に少なくなる。IT技術が進むにつれ、その傾向がますます増大するような気がするけれど気のせいなのかな。
IT企業のビジネスモデルに乗せられてしまうと、こんなプロセスで僕らの〝考える力〟の退化が(NWのコラムニストが言うように)進んでしまうのかもしれない。
あっ、あくまでも僕の生活や仕事の環境的に、iPadはあまり必要ないということでそれの有用性を否定しているわけではありません。
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