朝がまた来る

旧ブログ名「母のようになりたくないのに」です。
毒親、ママ友、育児、病気のこと…40代パート主婦が呟いています。

糖尿病の話②(妊娠糖尿病編)

2021-04-01 20:44:05 | 病気のこと

上の写真は母子手帳にある「妊娠中と体重変化の記録」です。

写真を見ての通り、妊娠中はある程度は体重が増えても仕方がないものです。グラフ上に赤いラインが引いてありますが、これは妊娠・出産にリスクがない妊婦さんが増えてもいい体重のボーダーラインになります。写真を見ると10キロまでは体重が増えてもいいということになります。

「妊娠糖尿病」は「糖尿病」と違い、診断基準が厳しめになっています。

肥満、運動不足などで「妊娠糖尿病」になってしまう場合もありますが、一番の原因、なりやすい人は「遺伝」です。特に「第一度近親者」が糖尿病の場合はハイリスクになります。

妊娠が分かった時点で病院でも問診票に「家族に糖尿病・高血圧・その他疾患はあるか」と聞かれます。

母方の従姉妹同様「妊娠糖尿病」になった私は「体重を増やしてはいけない」「血糖値のコントロール(食事制限)」を指導されました。

妊娠初期~中期までは「食事制限」で血糖値をコントロールしていましかが、妊娠後期になると「食事制限」だけでは血糖値のコントロールが難しくなり、「インスリン注射」を打ちました。

 

上の写真は「インスリン注射」を打ち始めた頃の私の食事日記です。

食事の前後に血糖値は測定し(四角で囲っているの数字が血糖値です)糖質は赤タンパク質は青野菜や海藻類は緑に色分けしていました。1日1600キロカロリーに抑えるのが目標でした。

「1日3食」が望ましいのですが、ジェットコースターのように血糖値が上がったり下がったりするのはよくないと指導されたのでこの頃は「分食(間食)」をして、なるべく血糖値が急上昇、急降下しないように努めていました。

また、この食事日記を月に1、2度栄養士さんに見ていただき、「けめこさんはジャガイモよりサツマイモを食べた方が血糖値が急上昇しないみたいですね。」などのアドバイスを頂きました。

「運動療法」もかかさず行います。この頃は本当に歩きました。飽きの来ないよう毎回ウォーキングコースを変え、街の隅々まで歩きました。夜は夫も一緒にウォーキングに付き合ってくれたため、この頃夫婦で一番会話をしていたかもしれません

「食事療法」「インスリン注射」「運動療法」…お腹の赤ちゃんのために一生懸命努力しましたが、計画分娩(帝王切開)の1か月前には「管理入院」ということで入院しました。

初産なので「念には念を」という意味の入院だったので比較的日中は自由に外出もできました。食後の運動を兼ねて数駅離れた家まで歩いて帰って軽めの家事を済ませてきたり、病院周辺の街を歩いたりしました。

そして、いよいよ出産の日を迎えます。

 

いつもご覧いただきありがとうございます!

もし今現在「妊娠糖尿病」で悩んでいる、沈んだ気持ちで過ごしている方の何か役に立てれば…と思い、当時の母子手帳や食事日記を引っ張り出してきました。

マスクをして、大きなお腹を抱えて生活するのはとても大変で不安な日々だと思います。

妊娠中でも子育て中でも“お母さんが穏やかな気持ちで過ごすこと”が大切です。

レジャーシートとお弁当を持って、ノーマスクでお花見できる日が早く訪れますように


糖尿病の話①(妊娠糖尿病編)

2021-03-31 18:10:55 | 病気のこと

ご無沙汰のブログになってしまいました
私が住む街では早くも桜が散り始め「もう散っちゃって…儚いなぁ」と思う気持ちと、風に吹かれてハラハラと舞う桜吹雪がきれいだな~、ピンク色に染まった地面に黄色のタンポポが咲いていて色味が春っぽいな~と思う気持ち…両方が相まって「やっぱり桜っていいな。春が来るっていいな。」と四季を楽しめる気持ちになりました。やっと。

今までブログには書きませんでしたが、私には心療内科に通う理由がもうひとつあります。
(久々に長い文章を書くので、時系列などの説明がメチャクチャになるかもしれません

下の子が幼稚園の年少さんだった頃、家族全員が胃腸風邪にかかりました。
最初は子供たちが体調を崩し、下痢嘔吐の後始末に追われていたら、今度は私がかかりました。まったなしでマーライオンのように嘔吐し、鼻も気道も吐瀉物で詰まり息ができません。意識が朦朧とするほどの脱水状態になり、夜中の救急外来へ…
その時、血液検査をしました。
点滴を打って寝ている私の所に看護師さんがやってきて仰いました。

「けめこさん、食後何時間たっていますか?」

食後何時間も経っていた私の血糖値は×××を越えていました。(恥ずかしいので数値は伏せます

「この数値は不味いですよ。きちんと検査を受けた方がいいです。」

まだ吐き気が収まらず、お腹がグルグルしているなか「あぁ…ついにきたか…」と思いました。

 

そこからさらに時は遡って。

上の子を妊娠した時私は「妊娠糖尿病」になりました。

私の母含め、母方の親族は「糖尿病」を患う家系です。

母も、祖母も、おじも、いとこも。「糖尿病」を患っています。

祖母が亡くなった時、久々に会ったいとこは妊娠していました「お医者さんに1キロも太るなって言われてるの。」と嘆いていました。中肉中背、学生時代からスポーツをしていたいとこです。「うちは糖尿の家系だからさ…けめちゃんも気を付けてね。」といとこは言いました。

それから数年たって私は妊娠しました。

里帰りも出来ないし、近所の産婦人科のお世話になろう。

その時の検査で「妊娠糖尿病」だとわかりました。

「うちではハイリスク妊婦の分娩ができない。」と言われ、目の前が真っ暗になりました。

総合病院を何軒か教えてもらい、うちから電車で何駅か離れている総合病院で分娩することになりました。

初めての妊娠、初めての出産、なのに「ハイリスク妊婦」。

実家を…母を頼ることは出来ません。詳細は書けませんがうちは私の実家も、夫も実家も「女手」がありません。

「妊娠糖尿病」についてネットで調べれば調べるほど不安ばかりが募ります。

どうして?なんで?結婚するまで当時勤めていた会社で健康診断を受けていたのに。何も問題なかったのに。

「うちは糖尿の家系だからさ…けめちゃんも気を付けてね。」といとこが言っていたのはこのことか…

 

私と糖尿病との長い長い付き合いが始まりました。

 

ご無沙汰しております

ここ1か月と少しの間、糖尿病の治療方法について大きな岐路にたっていたので毎日ドキドキハラハラしていました。

いえ…ドキドキハラハラしすぎないように平常心でいよう。どんな結果になっても受け入れよう。心を乱さないように過ごそう。でも結果が怖いな。大丈夫かな。

そんなことばかり考えていました。

withコロナの生活も丸1年が経ちました。

昨年の桜は心の底から楽しめないまま眺めて散っていきました。

今年の桜は「春っていいな」という気持ちで見ることができました。

よつばと15巻の帯に書かれている「普通という奇跡」。

この言葉の重みを、大切さを実感しています。


心療内科の話

2021-01-13 00:02:47 | 病気のこと

現在私は月に2回ほど心療内科に通院しています。

心療内科に通うきっかけについてはコチラをご覧ください

 

心療内科に通うきっかけ① - 母のようになりたくないのに

 

心療内科に通うきっかけ② - 母のようになりたくないのに

昨年の晩夏「〇〇区 心療内科」と検索し“ここの先生なら…”と直感を信じ、病院に電話をかけました。

「初診なんですけど…」と伝えると、受付の方が「どのような症状がありますか?」と尋ねてきました。

私は緊張のあまり声が震え、また上手く話せないことがもどかしくて涙がこぼれてしまいました。

「うまく話せなくてすみません」と言うと「大丈夫ですよ。ゆっくりお話ししてください。」と優しく声をかけてくれました。

まだ先生に診ていただいていないけど「あぁ…この病院を選んでよかった」と安堵した瞬間でした。

私は心療内科に行くことを子ども達にも話しました。

お母さんはこれからもずっとずっと家族で仲良く暮らしていきたい。あなたたちの一番の応援団長でいたい。もうイライラしてあなたたちを傷つけたくない。だから心の病気を診てくれるお医者さんに行くことに決めたよ。

 

診察を予約した当日。待合室には私一人だけでした。初診の患者は診療時間外に診てくださるとのことでした。

名前を呼ばれて診察室に入ると、とても穏やかなお顔をした先生がゆったりとした革張りの椅子に座っていました。「どうぞお座りください」と私が座る椅子も同じような革張りの椅子です。

先生は白衣も着ていません。病院の診察室という感じはまったくありませんでした。

改めて私は今の気持ちを先生に話しました。

子どもの頃からありとあらゆることを母に否定され、反対されてきたこと。

母のようになりたくないと強く願うのに、自分が母になったいま時々現れる、自分の中の「母」の存在。

母のようになりたくないと思えば思うほど自分の子育てが空回りして、大切な家族を苦しめてしまうこと。

そして。

絶対に絶対に絶対にありえないことだし、考えてもいけないことだけど…

ふと背中を押されたら、私もあの人たちのように向こうに行ってしまうのかな…と思う自分が怖いこと。

大好きで、大切で、愛おしくて、かけがえのない宝物の家族がいるのに…向こうに行くことを考えてしまう自分が怖いと。

本当はこんな弱い人間になりたくない。

太陽のようなお母さんになりたい。

子育てのことも、コロナのことも、「お母さんがいるから大丈夫!一緒に乗り越えようよ!」

そんなお母さんになりたい。

 

先生は私の話を「うん。うん。」「そうだったの。大変だったね。」と、時々私にティッシュを差し出しながら静かに聞いてくれました。

正直、ここまでの胸のうちを夫にすら話したこともありません。もちろん夫にも心療内科を受診したい話はしました。でも詳しくは話せなかった…。大切な人だからこそ困らせたくなかったんだと思います。

心療内科を受診した日の夜。先生に何もかも吐き出して、たくさん泣いて。そして処方された薬のおかげで数か月ぶりにぐっすり眠れました。

通院を始めて何度目かのある時。

先生がyoutubeで「マインドフルネス瞑想」って調べてごらん。と話してくれました。(ん?瞑想?ちょっとあやしいやつ!?と失礼ながら思ってしましました

実際には全然あやしいことではなく(当たり前!)、ものすごーーーく簡単に言うと「いまやってることに集中する」。

仕事中なのに余計なことを考えてしまう。そんな時には「マインドフルネス」のスイッチON。

「あーダメダメ。余計なことは考えない!はい!仕事に集中!私はいま〇〇を〇〇してます!私はいま〇〇を〇〇してます!」

家事をやってる最中、むかし母に言われたキツイことを思い出す…。そんな時には「マインドフルネス」のスイッチON。

「はい余計なことは考えない!私はいまお風呂を洗っています!スポンジの感触、浴槽の壁をつたう泡の流れ方、石鹸のにおい…。私はいまお風呂を洗っています!」

こんな感じで、余計なことを考えてモヤモヤしている自分に「はい!こんな時にはマインドフルネス!」と通販番組みたいに突っ込んでクスッと笑ってしまうときがあります

「マインドフルネス」について、正直これで合っているのかわかりませんまだまだ勉強中です。

 

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「はい!こんな時にはマインドフルネス!」が通用しないほどモヤモヤしたり、イライラしたり、落ち込むこともあります。母の影響でしょうか、物事を「白か黒」「0か100」できめてしまうところがあります。またその考えを子どもにも押し付けてしまうのではないかと不安になるときもあります。この世には白でも黒でもないグレーがあること。そのグレーも薄いグレーや濃いグレーがあること。0でも100でもない20や50や50.5だってあること。いつも肝に銘じて子育てをしていきたいです。


心療内科に通うきっかけ②

2020-12-24 23:28:12 | 病気のこと

コロナで学校が休校中「他所は他所、うちはうち」と頭を切り替えることが出来ず、自分の子育てにますます自信が持てない毎日でした。

学校から出された課題は出来る限り提出しましたが、「これでよかったのかな?」「もっといろいろなことに挑戦させればよかったかな」と不安でした。

そして緊急事態宣言が解除され、学校が始まりました。

数か月ぶりの学校でしたが、下の子は特に「問題行動」を起こすことなく通っていました。

が…!!下の子のクラスの先生が熱血といいますか、志しが高いというか…頻繁に発行してくださる「学級通信」が、子育てに自信が持てない私に追い打ちをかけます。

「〇〇さんの漢字のノートはこんなに素晴らしいです」(ノートの写真付き)

「〇〇さんと〇〇さんがこんな素晴らしい行いをしました」

「〇〇さんが授業中こんな素晴らしい発言をしました」

「漢字のテストを返却後、〇〇さんと〇〇さんと〇〇さんが自主勉強をしたいと言っていました」

伏せ字ではなく、ちゃんと児童の名前が書かれた学級通信です。

学習意欲があることは素晴らしいことですし、うちの子も「ちょっとは見習ってよ~」と思いますが、この学級通信が週に2、3回発行されます。さすがにお腹いっぱいになります

「先生…クラスには他にも子どもがいますよ」と学級通信を読みながらモヤモヤする私。

とうとう先生は「学級通信で名前があがる子は自主的に勉強ができる、クラスでもトップランナーの子ども達です」と書いてしまいました

私立の進学校ならまだしもこれは…ちょっと…心中穏やかになれない。

さらに先生は「〇〇の授業はまだ始まっていませんが、〇〇の授業内容を理解している子ども達が〇〇人(クラスの約半数)いました。」

うわわどうしよう…うちの子「理解していない方」なんだけど…授業大丈夫かな…

数日おきにこのような意識高い系志しが高い「学級通信」がやってきます。

あまり下の子を追い込んだら、また学校で「問題行動」を起こしてしまうかもしれない。

だけど、休校中にもう少し勉強させておけばよかった。

学校で勉強についていけなくなったらどうしよう。

焦る気持ちがとまりません。

そして、学校が再開されてあっという間に夏休みがきました。例年よりも短い夏休みです。

子ども達の夏休み中も、私と夫は仕事に出ます。また子ども達だけで留守番をさせなければいけません。

「これとこれ、宿題やっておきなさいね」と言って仕事に出ますが、(今思えば)子ども達も疲れとストレスが溜まっていたのでしょう。言っておいた宿題をやらない日が何日か続きました。

夏休みだけど、毎年行っていた海にもいけない、友だちにも会えない、おじいちゃんにも会えない。そして私たち親は仕事。子ども達には寂しい思いをさせてしまいました。

なのに私は「なんで宿題やってないの!?」「学校が始まったら勉強についていけなくなっちゃうよ!?」「あんたのクラス、〇〇人も〇〇の勉強をもう覚えちゃてるんだって!あんたどうするの!?」

あぁ…またやってしまった。私の中の母が出てきた。相手の気持ちも背景も考えず、キツイ言葉で追い詰めてしまった…。母のようになりたくないのに。

でも私ももういっぱいいっぱいなんだよ…もう何か月も職場とスーパーだけの行き来だし、息抜きもできない。毎日毎日三食作るのにも疲れた。ほとんどキッチンに立ちっぱなしだもん…夏なのに、手洗いとアルコール消毒の使い過ぎで手があかぎれだらけだし。

でもそんなのはただの言い訳で…。どうして子どもの力を信じてあげないんだろう。進み方はゆっくりかもしれないけど、やればできる子なのに。私が一番の理解者にならなきゃいけないのに…。なんでその時に気付けないんだろう。怒りの感情に任せてキツイことを言ってしまうんだろう。

毎日自己嫌悪に陥ります。どんどん落ち込みます。

さらに「えっ!?どうしてこの人が!?」と悲しいニュースを見聞きすることが増え、絶対に絶対に絶対にありえないことだけど、「私もふっと何かに背中を押されたらいってしまうのかな?」と絶対に絶対に絶対に考えてはいけないことが頭をよぎり、日に日によぎる回数が増えてきました。

心臓がばくばくして、手に汗をかいて、なかなか眠れません。母と一緒に暮らしていた頃、仕事も私生活も心休まる時がなかったあの頃と同じです。

でも、私には守らなければいけない家族がいて、私は太陽のようなお母さんでいたい。私の母のようにはなりたくない。

なのに日中はイライラして大切な家族を傷つけてしまう。

この混乱した頭と心は自分一人では治せない。

夏休みが終わるころ、私は「〇〇区 心療内科」と検索を始めました。

 

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メリークリスマスイヴですが、上の子の習い事が今日明日と夜遅くまであるので、我が家のクリスマス会は今度の土曜日に予定しています。今日は普通のご飯でした。ほうれん草の白和えを作って食べました(笑)

今は心療内科に通院しているので心穏やかに「学級通信」も読むことができます

「学級通信」に名前が挙がる子は、学習意欲のある子、勉強ができる子、気遣いができる子、ほぼ同じメンバーなので慣れました。

大きな成果をあげる子ばかりを注目するのではなく、小さな良いこともひろってほしいなぁ~。

ちなみにこの「学級通信」を元教師の知り合いに見せたところ「うーん。〇〇が何人できるって…脅しだね」と言ってました。「気にすることないよ。3月31日(学年最後の日)までに習得すればOKなんだから」と言ってくれて気持ちが楽になりました。

写真は我が家のクリスマスツリーです。子どもたちに「飾りが少ない!」と言われたので子どもたちと一緒に折り紙でオーナメントを作りました


心療内科に通うきっかけ①

2020-12-22 17:10:51 | 病気のこと

「忙しくも平凡で身の丈にあった生活を」と、心がけて過ごしていたある日。

じわりじわりと“それ”はやってきました。

そうです。「コロナウイルス」です

マスクどころかトイレットペーパーや箱ティシュ、カップ麺やホットケーキミックス、ガーゼ生地にゴム紐…ありとあらゆるものが店頭から消えました。棚がガランとした状態を見ると、「焦るな」と言われても焦ります

そして突然の休校。習い事も休みになりました。

学童に行くことも可能ですが、子ども達が学童を拒否

短時間勤務とはいえ、子ども達だけで留守番をさせる不安もありました。

私も夫も(大雑把に言えば)ライフラインに必要な職種であるため仕事は通常通りありました。

しかし、未知のウイルスにいつどこで感染するかわからない状況で勤めに出る不安や恐怖。家のマスクの在庫がどんどん減るのを見て焦ります

学校が休校だった頃の私の1日は…

起床→子ども達の朝食を作る→夫の夜勤分のお弁当作り→夫の朝兼昼食&子ども達の昼食を作る→子ども達が学校から出されている課題の内容確認・用意→出勤→帰宅→宿題丸付け→諸々の家事

職場とスーパーと週1学校と(課題を取りにいくため)この三か所をぐるぐる回っていました。(世のお母さん達もみなさん同じだと思います。)

学校の課題…上の子は自分で計画を立ててすすめるのですが、下の子は…まだまだ親が介入しなければいけませんでした。また、先生方が子どものやる気と自粛生活が乱れないよう、あの手この手で課題を出してくださいます「毎日できたかな?カード」や「〇〇チェック表」、「勉強以外にもこんなことしてみよう!チャレンジカード」などなど…学校に課題を取りに行くたび膨大なプリントの数です。それらに目を通し、やり忘れていないか確認し、宿題を丸付けし、間違っている箇所、わからない所は教えて…、テレビやyoutubeばかり見ないようステイホームで出来ることの模索。自分が子どもの頃、母に「あれはダメ、これもダメ」と口うるさく言う割にはかまってもらえなかった経験があるため、私が勤めに出ているせいで我が子に私と同じ思いをさせてはいけない!!子ども達の「学び」を停滞させてはいけない!!と変なプレッシャーがありました。

テレビで「我が家はこんな方法で自粛生活を乗り越えてます!」とか「ステイホーム中の勉強方法」みたいな特集を見ちゃうと、あぁ私…なんにも出来てない。子ども達が退屈しちゃう。学校が始まった時についていけなくなっちゃう。また下の子が学校で「問題行動」を起こすようになったらどうしよう…とますます焦りとプレッシャーが募りました。そしてそれらがストレスとなって私に重く圧し掛かります。

「他所は他所、うちはうち」と頭を切り替えることが出来ず、どんどん余裕がなくなりました。

 

 

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親のこと、ママ友のことについては一旦区切りをつけて、「現在」のことを書いていこうと思います。よろしかったらお付き合いください

コロナウイルスとどう向き合って(戦って)いけばいいのか、ゴールはいつなのか。。。本当に今年は耐える1年でした。(ワクチン接種が始まった国もありますが…)

習い事が大好きな上の子は「もっと上達したい!もっと上を目指したい!」と、ほぼ毎日習い事に通って、大会にも出られるようになったのに、大会も軒並み中止となりました。このような悔しい思いをされた人も数えきれないほどいると思います。

1日も早く「当たり前の日常」が戻りますように。