朝がまた来る

旧ブログ名「母のようになりたくないのに」です。
毒親、ママ友、育児、病気のこと…40代パート主婦が呟いています。

習い事での話(マウントされてる?)

2021-02-09 22:27:39 | ママ友付き合いのこと

上の子はほぼ毎日習い事に通っています。

本人が「もっと上達したい」「もっと上を目指したい」と言うことで、それまで通っていた家の近くのスクールから、育成に力を入れているスクールに2年くらい前「移籍」しました。

今通っているスクールは車で数十分の所にあります。

本当なら練習を見学して付き合ってあげたいのですが、上の子を送ったあと一旦帰宅します。

でも時々書類を提出したり、支払いがあったりするときは見学をします。(月に1度あるかないかです。)

今現在はコロナの感染予防のため見学は一切できません。

そんなこんなで、上の子がスクールを移籍してから私はほとんど上の子の習い事の見学をしていません。故に他の保護者の方と話したとこもほとんどありません

元々人の名前と顔を覚えるのが苦手なわたし。。。

見学するときは見学席の端っこの方で見ていました。(挨拶はキチンとします!)

 

同じチームの保護者の中に「Yさん」という方がいます。

Yさんのお子さんは「移籍組」ではなく、学校で例えるなら「幼稚園からのエスカレーター式」でスクールに通っているお子さんです。

Yさんは人当たりが良く、子ども達や保護者の皆さんに「おつかれさまー」「頑張ってたねー」と声をかけています。

でもYさんは「ボスママ」タイプではない…と思います…。(たぶん…)

たまにしか見学にこない私にも声をかけてくれます。

が。

この「Yさん」。すこーし癖のある人というか、話しているとモヤっとしてしまうんです

 

Yさん「〇〇ちゃん(上の子)ママ~、今日は見学してるんですね。」

わたし「はい。@@(練習に必要な道具やウエア)の支払いがあったので…ついでに。」

Yさん「え~!@@って今度デザインが変わるって聞いたんだけど、購入したんですかぁ?」

※「かぁ?」の言い方についてですが…盛っていません。更に付け加えるなら今現在もデザインは変わっていません。

 

Yさん「〇〇ちゃんが前通っていたスクールってどんなところですかぁ?」

わたし「~~こんな感じでしたよ。(要は設備が充実していなかった)」

Yさん「え~!そんな環境じゃキチンとした練習できないじゃないですかぁ。そんなところがあるなんて初めて聞きましたぁ~」

※本当に「そんなところ」と仰いました

 

Yさん「最近別のスクールから「移籍」してくる子が多いね~って他のママさん達とも話しているんです。育成についての考えが変わってきたのかなって。@@系のタイプの子が増えてきたね~って。〇〇ちゃんも@@系のタイプですよねぇ~」

「@@系のタイプの子が多いと選抜メンバーも変わってくるね~って。選抜メンバーは“コミュニケーション”が必要だから~、その辺りどうなのかなぁ~って」

※しつこいようですが、話を一切盛っていません。

 

たまーに、たまーにしか会わないし、話さないYさん。

なのに、かけられた言葉はハッキリ覚えていて、思い出すたびモヤっとします

先日もとある場所でお会いしました。上の子のお迎えを待っていた時です。

まぁまぁ広い屋外で、お迎えを待つ保護者がたくさんいる中、私の目の前にスススっと現れたYさん。

気付かないふりをしようと思った矢先…声をかけられました。

Yさん「こんにちは~。〇〇ちゃん(上の子)今日はどうでしたぁ?」

わたし「うーん。どうなんでしょう…」

Yさん「〇〇ちゃん、前回は@@な失敗をしちゃったってうちの子から聞きましたよ~。そんな時もありますよねぇ~。この間移籍してきた新しい子も~…」

ちょうどその時Yさんのケータイが鳴ったので会話が途切れました。

そしてナイスタイミングで上の子が私の元に帰ってきたので、Yさんに会釈をしてそそくさと退散

習い事は学校と違って保護者同士が関わることがほとんどないし、子ども達同士はうまくやってるみたいだし、何より上の子が活き活きと習い事に励んでいるので、マウンティングだろうが、見下されようが、小馬鹿にされようが別にいいや。

コロナが終息して、再び見学が出来る日を辛抱強く待ちます。(変装していこうかな…)

 

「応援ボタン」等ありがとうございます!また「ブログ村」よりお越しの方もありがとうございます!

Yさんに声をかけられないよう、見学室の入り口で挨拶をしたあと、端っこに座ってイヤホンをつけて音楽を聴きながら上の子の様子を見学していたら、わざわざ私の肩をトントンして声をかけてくださったYさん。挨拶だけで済むかと思ったら色々お話が始まりました。私の片方の耳からは虚しく“あいみょん”が流れていました。

Yさんにかけられた言葉でモヤっとする時が多々ありますが。伝家の宝刀の「マインドフルネス瞑想」も効かない時もありますが。Yさん並みに癖のあるお母さん達と毎日顔を突き合わせていた経験がありますので(下の子の幼稚園時代)「免疫」ってありがたいものだなぁ~~~と感謝の気持ちが芽生えちゃいそうです(笑)


幼稚園ママの話(おまけ)

2020-12-20 22:16:34 | ママ友付き合いのこと

下の子が幼稚園を卒園して幾年月。

私のママ友付き合いは三杯酢をかけたところてん並みにあっさりしてます

PTA、卒対をやっている時は昼夜問わずやってくるLINEの着信音もすっかり鳴りやみました。

「企画隊」のグループLINEから抜け、Pちゃんのことを気にしなくてよくなりました。

週3の夜のバイトから週4の昼のバイトに変えたので、子ども達と一緒に過ごす時間も増えました。

「問題行動」を起こす下の子にじっくりと向き合うことができ、「もっと(習い事)を上達したい!もっと上を目指したい!」という上の子にも付き合えるようになりました。

時間の使い方も人付き合いも不器用な私。

ママ友付き合いも子育ても家事も仕事も…全部上手くはできません

さらに面倒くさいことに「一人になる時間」がないとパンクしてしまう性格です

コロナの影響でなかなか一人になる時間はありませんが、こうして何十年ぶりに文章を書く「ブログ」を始めて…予想以上に心が落ち着いています

下の子が幼稚園の時、一緒にPTAの役員をやったお母さんと時々一緒に通勤するのですが(仕事先は違います)この間、お昼に公園で待ち合わせをし、色づく木々を見ながら公園のベンチで「ソーシャルディスタンス・ランチ」をしました。コロナ禍になって初めて家族以外の人とお弁当を食べました。たわいもない話を沢山しました。

今勤めている職場は女性が多い職場なのですが、私語を話せる環境ではないので私的なトラブルも起こりません。

時々60代の方と一緒に働きますが「下町の肝っ玉母さん」のような人で、私もこんな風になれたらいいな~と憧れてしまいます。幼稚園に通っている時は(素敵なお母さんももちろんいましたが)同年代のお母さん達に囲まれていたので何かと視野がせまくなっていたのかもしれません。また、「子どもを通して知り合った仲」であるからこその「壁」も多くありました。

私はいま心療内科に通院していますが、いえ…そのおかげで、忙しくてもいま人生で一番心穏やかな毎日を過ごしているかもしれません。(コロナは置いといて

夢を叶える努力すらさせてもらえなかった学生時代。

幸せになることを諦めていた社会人時代。

「えっ!?なんでこんなことになっちゃうの!?」と歯車がかみ合わなくなった下の子の幼稚園時代。

でも今は私と私の大切な家族の為に時間を使えることができます。

当たり前のことができる毎日がこれからもずっと続きますように(憎いコロナは一刻も早くいなくなって欲しい

 

「応援ボタン」等、いつもありがとうございます!また「ブログ村」よりお越しの方もありがとうございます!

学校や街中でPちゃんとバッタリ会うことがありますが、元気に挨拶をして、ちょこっと立ち話をして、ササっと立ち去ります(笑)子ども達同士は一緒に登下校してくるみたいですが、私はこのくらいの距離感でちょうどいいです


幼稚園ママの話⑩(最終話)

2020-12-18 20:59:51 | ママ友付き合いのこと

上の子が幼稚園を卒園してから「企画隊」というグループLINEを作りました。

メンバーは卒対をやっていたお母さん達と、クラス委員をやっていたお母さんです。

切り込み隊長の(卒対委員長)お母さんが「卒園してもたまーに会いたいよね」と声をかけてくれて、春はお花見、夏は花火、秋はハロウィン、冬は新年会…とイベントを企画し、他のメンバーが日程を調整したり、場所をおさえたり。無理のない範囲で、出来る人が出来ることを、参加も自由参加で都合のいい時間においでよ!と気兼ねなく集まっていました。(集まりの時、いつも切り込み隊長が作ってきてくれる手作りのお菓子が最高に美味しかったです

私もPちゃんも「企画隊」のメンバーでした。Pちゃんは「企画隊」の盛り上げ役でした。「よっ!おつかれ」「さすが!仕事が早いね!」と場の雰囲気を盛り上げてくれるので、私を含め他のお母さん達は気持ちよく仕事(役目)ができました。

集まる予定がない時もお互いの近況報告や、悩み相談、愚痴をこぼしたり、たわいもない会話のやりとりをしていました。そのLINEのやりとりも出来る人が出来るときにLINEをする。忙しいときは既読スルーOKだったので「LINEの返事をしなくちゃ」というプレッシャーがありません。

下の子達が幼稚園の年長になって私がPTAの会長、Pちゃんが卒対委員長になった時も「大きな役目だけど、2人なら大丈夫だよ!」と励ましてくれたり、Pちゃんが引っ越した時も「Pちゃんがんばれ!」と応援してくれました。

結婚を機に東京にきて、誰も知り合いがいないなか妊娠出産。子育て支援センターや児童館にも遊びに行っていましたが、働くお母さんが多いのか3歳を過ぎると会うことが少なくなり疎遠になってしまいます。

なので「企画隊」は私の心の支えでした。とても心地よい場所でした。

程よい距離を持って無理なくお付き合いできる…いい人たちに出会えてよかった。卒対を経験してよかった。と思っていました。

 

でも「企画隊」のメンバーは知りません。

 

Pちゃんが写真を紛失したこと。それを誰にも告げず引っ越していったこと。そしてそれが原因でクラスのお母さん達の歯車がかみ合わなくなったことを知りません。

私が登校班で苦い思いをしたことを知りません。

数々のドタキャンを知りません。

Pちゃんが自分の子どものお迎えを忘れて、私が何度か送り届けたことを知りません。

うちの上の子のことを小馬鹿にしたことを知りません。

なにも知らないし(「企画隊」のお母さん達とは学区が違います)、Pちゃんも「実は私(写真紛失で)みんなに迷惑かけちゃったんだよね」と言いません。

「企画隊」の中ではいつもの盛り上げ役のPちゃんのままです。

「引っ越し作業大変だったでしょう」「Pちゃんはいつも頑張っててえらいよ」と「企画隊」からLINEが流れてきます。

さんざん尻ぬぐいしたのに、Pちゃんに心無い態度をとられてムカついてる私の本音を誰も知りません。

「既読スルー」すればいいのにLINEの着信音がなるたび、それがぜんぶPちゃんを褒める内容のLINEに思えて苛立ちが募ります。

 

 

あぁ…嫌だ嫌だ。腹の底でぐるぐると渦巻いているものを吐き出せば吐き出すほど母に似ていて嫌だ。

どうして私はこんな性格なんだろう。

完璧な人なんていない。わかってる。わかってるのに。

なんで私はPちゃんを許せないんだろう。

こんな思いをするくらいなら…この縁を断ち切ってしまおう。

 

 

私は「企画隊」のグループLINEを抜けました。

下の子が「問題行動」を起こしていること、上の子の習い事が忙しくなったこと、今は子ども達のために時間を使いたいこと。そして日中働くことになったことを告げてグループLINEを抜けました。(実際本当に忙しくなりました

「企画隊」のメンバーになれて本当に嬉しかったときちんと感謝の気持ちも伝えました。もちろん感謝の気持ちは本音です。本当にいいお母さん達でした。

Pちゃんに対する複雑な思いを隠したまま「企画隊」のお母さん達とお付き合いできなかった。

私みたいな性格の人間はママ友付き合いどころか、人付き合いが不向きなんだろうな。

大切な「縁」を自ら断ってしまった私には、もうこの先「縁」はないんだろうな。

母もほとんど人付き合いをしていませんでした。結局私も母と同じようになっちゃうのかな…

でも、我が子との「縁」は一生守り通します。何が何でも。絶対に。

 

 

「応援ボタン」等、いつもありがとうございます!また「ブログ村」よりお越しの方もありがとうございます!

「企画隊」からは抜けてしまいましたが、時々個人的にLINEをしたり、お下がりをいただいたり…ありがたいことにお付き合いは続いています

Pちゃんが私に対して心無い態度を取った時、(引っ越しや転入手続きなどで)Pちゃんは心に余裕がなかったのかもしれませんが、私もPちゃんの態度を受け流すほどの心の余裕はありませんでした。それだけ幼稚園が大変でした

新学期が始まって間もなく、私が子ども達の帰りを家の前で待っているとPちゃんちの子が「家の鍵が開いてなくては入れない」と。Pちゃんに電話をしますが…案の定出ませんそのうちうちの子ども達が帰ってきたので、「とりあえずもう一回家に行ってみよう」と、私も一緒にPちゃんちに向かいました。運が悪いことにPちゃんちのマンションのエレベーターが点検作業中。10階近い階数を階段で上がりました。ピンポンしても出ません。小雨降る中、Pちゃんを待ちました。あの時はマジで膝が死んだ…

ちなみに。Pちゃんがうちの上の子を小馬鹿にした話ですが、上の子が低学年の時「〇〇選手が自分と同じフォームだった。似ていて嬉しい!」とPちゃんに話したそうです。Pちゃんは私に向かって「〇〇(うちの上の子)がそんなこと言ってたよ。バカだね~www」と。「うちの子が一生懸命頑張っているのにバカにしないで!!」と言い返せなかった自分が情けないです。。。


幼稚園ママの話⑨

2020-12-17 22:52:51 | ママ友付き合いのこと

Pちゃんからの心無い態度を受けて、「散々あなたの尻ぬぐいをしたのに、その態度はないんじゃない!?」と怒りの感情が芽生えました。

と、同時に仕事の人間関係が上手くいかなくなると「私がこんなによくしてあげたのに裏切られた」と愚痴を言う母と自分が重なって心の底から嫌気がさしました。

また私の中の「母のようになりたくないのに」という思いが崩れてしまう。

私はPちゃんのことを嫌いになりたくない。だって、楽しい思い出もたくさんあったから。Pちゃんが「けめちゃん!おつかれ!」って言ってくれて救われた時もあったから。「秘密主義」で「ドタキャン癖」のあるPちゃん、だけど100%嫌いになれないよ…でも…でも…このままママ友付き合いしてもまた私の中の母に似たところが出てきてしまう。これ以上自己嫌悪に陥ったらまた心のバランスが崩れてしまう。

 

お母さん達の集まりがあった日の夜。私はPちゃんに電話をしました。

Pちゃんが引っ越してから寂しかったこと、いろいろあったけどなんとか卒園できたこと、そしてQくん親子のこと。

PちゃんとQくんママは相思相愛でした。

しかし、Qくんママがクラスのお母さん達を困らせていたことは事実です。

また、Qくんママをめぐってトラブルになっていたお母さん達はQくんママの華やかでミステリアスな雰囲気に惑わされていたのかもしれません。上手く言えませんが、Qくんママは人の心に侵入し、心を奪ってしまう。それをQくんママはわかってやっているのか、知らず知らずのうちにそうなってしまうのか。“深入りしたら火傷しちゃう”そんな人なのかもしれません。

Qくんママに対するこのような考えも率直にPちゃんに伝えました。他人の人付き合いに対して物言いをするのは初めてでした。

Pちゃんは「うん、うん」と私の話を聞いてくれました。私も「話を聞いてくれてありがとう」と言って電話をきりました。

 

Pちゃんとのママ友付き合いは今日で最後にしよう。

母のようになるくらいなら、ママ友付き合いなんてやめよう。

電話を切ったあと、自然と涙が溢れました。

 

「応援ボタン」等、ありがとうございます!また「ブログ村」よりお越しの方もありがとうございます!

「新学期から再びこっちで生活する」と言ったPちゃんに、私は慌てて「登校班に加入するなら班長さんにすぐ連絡して!」と言いました。上の子の初登校の時にほろ苦い思いをしているからです(※詳細は「幼稚園ママの話④」を参照)

数日後、同じ学区の知り合いのお母さんからLINEがきました。PTAの登校班の係をやっているお母さんです。

「いま新しい登校班の名簿を見てるんだけど、けめこさんのところの登校班にPさんって名前があるんだけど…あのPさん?」

「うんそうだよ。またこの春からこっちに戻ってくるんだって。登校班に加入するなら急いで班長さんに連絡してってPちゃんに言ったの」

「けめこさんナイスアシストですよ!いま区長さんが“見守り当番”の当番表を再作成してます。配布前でよかった~」

 

ほっ。。。よかった~


幼稚園ママの話⑧

2020-12-15 17:43:52 | ママ友付き合いのこと

卒園式の数日前、園長先生から「もしもの時の“プランB”」の説明があり、私も役員のみんなも納得したので無事に卒園式を迎えることができました。

Qくん親子は旅行をキャンセルし、卒園式の練習に参加していました。(そもそも本当に旅行を計画していたのか?もしかしたらQくんママが話していたことは全て嘘だったんじゃないかと疑ってしまいます。)

上の子の時の卒園式は「みんなとお別れするのがさびしいよー」という気持ちもあり涙・涙・涙の卒園式でしたが、下の子の卒園式は「ふぅ~やれやれ、なんとか卒園できたわ」と正直安堵の気持ちが大きかったです。

 

そんななか、クリスマス前に引っ越したPちゃん一家が戻って来ること知りました。

Pちゃん本人から聞いてないし、私自身他人に根ほり葉ほり聞ける性格ではないので、Pちゃんがいつ戻ってくるのか、またこの街(近所)に住むのか、詳細はわかりませんでした。

そして、下の子が卒園した年の春休み。

毎年恒例の上の子の時のお母さんの集まりがありました。(上の子が幼稚園を卒園してからもお母さん同士の付き合いがありました。)※我が家とPちゃんちは上の子、下の子が同い年です。

その集まりにPちゃんも参加していました。お母さんたちも「お早い帰郷だったねw」とPちゃんを囲むようにしてお喋りをしています。Pちゃんはどうして再びこの街に帰ってきたかの説明をしました。(ここでは詳細を控えます)

私はPちゃんからの説明を聞いたうえで「この先また引っ越すこともあるの?」とPちゃんに尋ねました。

するとPちゃんはもの凄く嫌そうな表情で「それ聞かないでくれる?」と言いました。

確かにたった数か月で再び引っ越しをして大変だったと思います。

だけど…そんな言い方ある?そんな表情ある?

あなたは自分がクリスマス前に引っ越すのわかってたんでしょ?

なのになんで卒対の委員長を引き受けたの?

「写真を撮ったSDカードを幼稚園に預けて、バックアップを取っておいてね」とお願いしたのになんでしなかったの?

なんで引っ越すことをギリギリまでクラスのお母さん達に告げなかったの?(私は夏休み中に聞いたけど口止めされていた)

なんで写真をなくしちゃったことを言ってくれなかったの?

写真がなくなったとわかってから、ますますお母さんたちの雰囲気が悪くなったんだよ。

それでも、私や役員のお母さんたちは「子ども達と笑顔で卒園しよう」と必死になって、役員と卒対の仕事を掛け持ちして頑張ってくれたんだよ。

私も自分の子が幼稚園で問題行動をおこしているのに…

子どもから「〇〇(下の子)とスマホどっちが好き?」なんてこと聞かれてるのに…

自分の子どもの声に耳を傾ける余裕なんてなくて、なんでPTAなんて引き受けちゃったんだろう、どうして同じ幼い子ども持つ親同士が揉めたり、要らぬトラブルを起こすんだろう、なんで!?なんで!?なんで!?

散々あなたの尻ぬぐいをしたのに、なんでそんな嫌そうな顔されなきゃいけないんだろう。

 

私の中で何かがプツリと切れました。(つづく)

 

 

「応援ボタン」等、ありがとうございます!また「ブログ村」よりお越しの方もありがとうございます!

少し「秘密主義」なところがあるPちゃん。気兼ねなくお付き合いできた反面、「ドタキャン癖」のあるお母さんでした。下の子が年少の時、Pちゃんが「お母さんたちだけ集まって新年会やろうよ!」と言い出し、私がクラスのお母さん達の都合を聞いて、数日前からお店も予約して、さぁ!明日は新年会!ってなった時にPちゃんから電話があり「ごめーん!いま子ども達とドライブしてたら間違って高速に乗っちゃって~、子ども達が遠出したからホテルでお泊りしたい!って言ってて~、悪いんだけど明日の新年会欠席させて~」…ってことがありました

また、PちゃんとQくんママは相思相愛でした。

Qくんママに片思い(笑)しているお母さんたちはPちゃんのことを“恋敵”として見ていたと思います

Pちゃんが引っ越しする前、私や役員のお母さん達に「Qくんママのことをよろしく!」みたいな内容のLINEを送ってきて全員シラケたのを覚えてます