「いつか母のことを子ども達に話さなければいけない日がくる。」
そのことがいつも頭の片隅にありました。
どうやって話したらいいのか。
いつ話していいのか。
娘に「おばあちゃんのいる家が羨ましかった。」と言われ、ついにその時がきた…と思いました。
休みの日の午後。「お昼ご飯を食べ終わった後にお話があるの。」と子ども達に言い、席に座らせました。
子ども達に1枚の写真を見せました。
今では珍しくなった絹目プリントで現像された写真の中には「え!?ママ!?」と子ども達が勘違いしてしまうほど
私によく似ている若い頃の母が写っていました。
微笑む母の腕の中には生まれたばかりの私がいます。
「この人がママのお母さんだよ。」
子ども達が目をまん丸くして写真を凝視しています。
「ママは自分のお母さんがいまどこで暮らしているか知らないの。」
子ども達は驚きのあまり声も出ない表情でした。
「どうしてそうなってしまったか…ゆっくり話すね。難しい言葉がでてきたら質問してね。」
そこから私は自分の生い立ちと、母がギャンブルで借金を作ってしまったこと、私と父で借金を返したけど母のギャンブル依存が治らなかったこと、両親が離婚したこと。
出来るだけ“感情”は話さず、あった出来事を話して聞かせました。
小学生に聞かせるにはボリュームがありすぎる内容です。時々「チョコレート食べよっか」と気分転換をしながら話しました。
私は「ママは自分のお母さんとの“繋がり(縁)”を切ってしまった。そしてあなた達のママになれた。私はあなた達のママになれて本当に幸せだし、自分のお母さんとの“繋がり(縁)”を切ったことを後悔していない。そのくらい今が幸せだし、あなた達が大切で大好き。」と伝えました。
子ども達は最後まで静かに話を聞いてくれました。
「おばあちゃんの居ない家で寂しい思いをさせたね。ごめんね。」
子ども達が首を横に振ります。
「ママのお母さんのこと、キチンと話さなくてごめんね。今まで不思議に思っていたでしょう。」
今度は首を横に振りません。子ども達の正直な感情が現れたことに少し安堵しました。“おばあちゃん”のことでこれ以上子ども達の本音に蓋をしたくありませんでした。
でも最後に私ははっきりと言いました。
「ママが次にお母さんに会う時、それはお母さんが亡くなった時と決めています。」
もしかしたら子ども達は“おばあちゃん”に会いたいかもしれない。でも私は会わせる気はありません。
“あなたの「親子関係」と「祖母と孫の関係」は違うじゃない。おばあちゃんに会えない子ども達が可哀そう”と思う方もいるかもしれません。
でも私は経験しています。
「親と子」この世で一番近い関係でも、分かり合えないことがあること、支えきれないことがあること。一番大切なことは自分を大切にすること。
そして今の自分は誰を一番大切に思うか。守るか。
それから数日後。
私は娘と二人で洋服を買いに出かけました。
小学校高学年にもなると、ジュニアサイズよりレディースサイズの方がたくさんの種類から選べます。
女優さんがモデルをつとめるアパレルショップを何店舗かのぞき、「へぇ…この子はこういう服が好きなんだ」「もうMサイズを着れちゃうじゃん」と…娘の成長にしみじみしながら買い物を楽しみました。
可愛い雑貨店では身だしなみを整える携帯用の櫛を。
アクセサリー店では「お出かけ用に」と可愛いイヤリングを。
ブッ〇オフでは児童書コーナーなど見向きもせずコミック棚をじっくり眺めていました。
(私も一緒になってキャッキャウフフとコミックコーナーを見ていました現在おたんこナースの文庫本を収集中)
ひとしきり買い物をして、「お茶でもしよう」とテイクアウトで飲み物を買い…この時も娘は“カフェオレ“をチョイスして「あぁ…もうジュースじゃないんだな」と…そんなところでも娘の成長を感じました。
思えばこのような窮屈な世の中になって初めて娘と2人で出かけました。
休校や自粛が続いたこの1年半の間に娘は心も体も「大人」へと変化していたんだな。
コロナの影響で大好きな習い事が休みになって…練習も大会も中止になって…
コロナの不安を抱えたまま学校が再開されて…慣れないオンライン授業やタブレット学習になって…
モチベーションがあがらないなか習い事も再開。大会ではなかなか結果が出せない。
心と体の成長とコロナ禍の生活。たくさんの不安を抱えていたと思います。
公園のベンチに座り、娘とたくさん話をしました。
学校のこと。友だちのこと。好きな男の子のこと。漫画のこと。いま流行っていること。コロナが落ち着いたら出かけたい場所。
習い事の話になり、私は娘に言いました。
「ママ、本音をいうとあなたの習い事をもっと応援したい。大会の応援にも行きたいし、あなたから習い事の話を聞くのも好き。頑張るあなたの姿が誇らしくて、もつと応援したい。ママに手伝えることがあるなら何でも言ってもらいたいな。」
「今日の買い物楽しかったね。あなたが楽しそうに洋服やイヤリングを選ぶ姿が見れて私も楽しかったよ。娘とこうしてお出かけができて幸せだなと感じたよ。」
以前、娘が“将来は子どもを3人産みたい”と言っていたので
「あなたがおばあちゃんに甘えられなかった分、ママがおばあちゃんになったら、たーーーーーくさん孫を可愛がって可愛がって…離さないかもしれない!!」
娘は笑いながら「やめてよ~~~」と言いました。
「ママはすーっとあなたと仲良し親子でいたいな。」
娘も素直に頷いてくれました。
「また一緒にお出かけしようね。」
その日は娘と手を繋いで帰りました。
ブログをご覧いただきありがとうございます!
母の事を考えるとどうしても気持ちが沈みます…。沈むが故、ブログを書くのが重くなってしまいます。
いつか話さなければいけないと思っていた母の事。正直子ども達がどう思ったのか分かりません。
私が次に母に会う時は母の骨を拾う時。身の回りの整理は一人娘の私がきちんと片付けようと思っています。
それが私ができる最後の親孝行です。
それを覚悟で私は母を捨て、母になりました。