両親が離婚し、母が福祉のお世話になり始めた頃。
ある日の真夜中、家の電話が鳴りました。
電話は母の実家(伯父)からでした。
「夜中に申し訳ない。いま〇〇警察署から電話があって、おじいちゃんが事故をおこしたみたいなんだ。」
一瞬、理解が出来ませんでした。
真夜中に伯父さんから電話がかかってきたこと。
おじいちゃんが事故をおこしたこと。
そしてその場所が母の実家近くではなく、母の実家から車で数百キロ離れた私の家の近くだったこと。
受話器を持ったまま絶句している私に気付いた伯父さんは事の顛末を話してくれました。
「事の顛末」は少し置いといて…
母が福祉のお世話になる際、母を“扶養”できるかの書類が親族に届きます。
まずは母の子であるわたし。
そして母の父である祖父。
さらに母の兄弟である伯父。
私はその書類が母の実家に届くと知った時、迷惑をかけて本当に申し訳ないと思いました。
父も同じ気持ちでした。私たち家族で解決できなかった不甲斐なさで本当に情けないし、恥ずかしかった。
両親が離婚し、母が福祉のお世話になることが決まった時、私は伯父さんに連絡をしました。(伯父さんは母がギャンブルで多額の借金を作ったこと、私が母と一緒に家を出て生活を立て直そうとしたが失敗したことを知っています。)
「お母さん、福祉のお世話になるんだけど、借りたアパートの保証人は私だし、ちょくちょく様子を見に行くから心配しないで下さい。(福祉から届いた書類の件)迷惑かけてごめんなさい。」
「こっちの事は気にしなくていいから、お前も体に気を付けなさい。」
当時、伯父さんとそんな会話をしました。
話は真夜中の電話に戻ります。
伯父さんはどうして祖父が事故を起こしたのか事の顛末を話してくれました。
・福祉から母の“扶養”についての手紙が祖父宛にも届いた。
・祖父は大変心配していた。
・伯父さんは祖父に「福祉の世話にはなるが、けめこが様子を見に行ってるらしいから心配はいらない」と話した。
・今日(日付的には昨日)祖父が車で出て行ったきり帰ってこなかった
・地元の警察にも連絡を入れ、待っていたところ〇〇警察から電話がかかってきた
・祖父の事故は単独事故で畑に車ごと突っ込んだらしい
・真夜中の単独事故だったのでけが人はなし。祖父も無事らしい。
伯父さんは事の顛末を話し終えると、「申し訳ないんだが、おじいちゃんを迎えに行ってくれるか?」と言いました。
「もちろん行くよ。無事におじいちゃんに会えたらまた電話するから心配しないで。」
私は父と一緒に警察署まで車を走らせました。
母の実家と私の家は数百キロ離れています。普通に高速道路を使って行っても半日はかかる距離です。
この時祖父が事故を起こした場所は、確かに私の家に近い距離の場所でしたが、最寄りのインターチェンジからまだ降りない場所でした。祖父はどこのインターチェンジで降りたのか…どこの道を通っていたのか…。何度も行き来している道なのに…。
私の家から小一時間ほど国道を走り、祖父が“保護”されている警察署につきました。まだまだ真っ暗な真夜中です。
「〇〇です。夜遅くすみません。祖父が大変ご迷惑をおかけしました。」
私の声に気付いた祖父は「あっ、孫です。」と言いました。
「おじいちゃん。心配したよ。大丈夫?」
「・・・」
祖父は何も分かってないような表情をしていました。
すると警察の方が仰います。
「おじいさん、“おばあちゃん一緒にきた”って仰るんですが、事故当時からおばあさんの姿が見当たらなくて…」
“おばあちゃんと一緒にきた”
それはありえない話です。
なぜなら祖母は既に半年前に亡くなっているからです。
ブログをご覧いただきありがとうございます。
祖父はもともと“茶目っ気”のあるおじいちゃんでした。
祖母が亡くなる少し前から認知機能が低下していた祖父。
しかし、もともとの性格もあって「もーぅ!おじいちゃんは“おとぼけ”なんだから~」といとこは思っていたそうです。
日頃の生活も、一人での外出も心配なかったと…
なのに私たち家族・親子のせいで祖父に大きな心配をかけてしまったこと。
これがきっかけで祖父の“認知症”が進行してしまったのかと思うと、本当に私と母は“不孝者”です。
祖母が亡くなった時の話はコチラをご覧ください。
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