朝がまた来る

旧ブログ名「母のようになりたくないのに」です。
毒親、ママ友、育児、病気のこと…40代パート主婦が呟いています。

紅葉を見ると思い出す母との出来事。

2021-11-26 17:35:42 | 毒親のこと

11月も下旬になり、関東近郊は紅葉の見頃となりました。

コロナが少しずつ治まってきたのか「紅葉見物の観光客が増えてきました」などのニュースを見かけます。

東京から車や電車で数時間で行ける某観光地の様子をテレビでみて…胸がざわつき、嫌な思い出がよみがえります。

両親が離婚する少し前、母は毎度おなじみの“人間関係のこじらせ”で仕事を辞めました。

当時50代半ばの母。もうそう簡単に仕事先は見つかりません。

そして相変わらずパチンコ通いも続き、借金は増え、私と言い争いになれば父の家に。父と言い争いになれば私が住むアパートに。父と私の間を行ったり来たり…そんな生活をしていました。

そんな母がどこから聞きつけたのか(職安?)「某観光地にあるホテルに住み込みで働こうと思う。」と言い出しました。「山間の観光地にあるホテルだから、今度こそパチンコを辞めることができる!」と。

改心なのか、一念発起なのか。ずいぶん大きなことを考えたんだな…と思いました。この頃の私はとにかく母と話すことに疲れていて、“私がお金さえ払えば母はうるさく言ってこない。もうそれでいいじゃないか。”という考えでした。なので住み込みで働く!と言う母に対しても“好きにすれば”と思いました。

「面接を受ける前に一度そのホテルを見てみたい。連れて行ってよ。」と言うので車で数時間かけて行きました。

国道を通り、大きな街からもどんどん離れていき、山道を登り…そのホテルはありました。

近くにはお土産屋さんが数軒と資料館的な建物と飲食店があるだけ。コンビニもないような山間の静かな環境にあるホテルでした。もちろんパチンコ店もありません。一番近いパチンコ店に行くためには山を下って1時間以上かかりそうです。

母はいたくこの環境が気に入った様子で「ここで働けばもうパチンコにいかなくてすむ。やり直せる。」と言いました。

そして面接を受けた母。年齢と業務が未経験であったこと、それを理由に“仮契約”みたいな形で数週間働くことになりました。

母は従業員専用の寮に入ることになり、着替えや身の回りで使う荷物を持って再びホテルへ。

寮の管理人さんに挨拶をすませ、部屋に荷物を運び、母に「頑張ってね。必要なものがあったら送るから。」と言って別れました。一人で車を運転して山を下りる私。所々に観光地や日帰り入浴等の施設がありましたが寄り道をする気にはなれませんでした。母の好きにすればいい…と思いつつ、「なんでこんなことになったんだか…」どっと疲れました。

母がホテルで働くようになって数日後。母から電話がかかってきました。

綺麗な空気、綺麗な景色を見ながら清々しい気持ちで働いていると喜ぶ母。

私は素直に「よかったね。」と言いました。

ところがその次母が言った言葉に絶句します。

 

「本当に素晴らしい環境で働いているのよ!夫婦や親子でこのホテルで働いている人もいてね、あんたも一緒にこっちにきなさいよ。良いところよ~。」

 

母は本気で言っています。私は虫唾がはしるほど嫌悪感でいっぱいになりました。

進学、部活、習い事、友だち付き合い…何もかも批判され、否定され、貶されて

就職も「もっと大きな会社に就職しなさいよ」と言われ、せっかくいただいた内定を辞退しました。自力で短大に行く希望も潰されました。

当時私は社会人5年目くらいでした。正直自分には合わない職種の仕事でしたが、それでも必死に働いて、職場でも自分の居場所が出来てきて、母の借金を返しながら新しいことを学んだりささやかな“幸せ”をみつけようとしている頃でした。

それをいとも簡単に「こっちにきて一緒に働こうよ」?

子どものことをなんと思っているの?自分の持ち物だと思っているの?

私には“心”がないと思っているの?親の言うことにはなんでも従うと思っているの?

その時の電話で私は母に何と言ったか覚えていませんが、いまだにあの観光地をテレビ等でみると嫌な気持ちになります。

身勝手全開な電話がきてから数日後。

再び母から電話がありました。夜遅い時間でした。

「こんな時間にどうしたの?」と聞くと、「階段から転んで怪我をした。」と。

一瞬ヒュッと肝が冷えましたが、電話の向こうの母の声はそれほど弱っていませんでした。

「大丈夫なの?」と尋ねると、母が事の顛末を話してくれました。

仕事が終わって寮に帰宅後、街の小さな商店に買い物にいこうとして出かけた母。

季節は冬。外は小雨が降っていたそうです。

鉄製の外階段(屋根なし)をつっかけサンダルで降りた時、あしを滑らせて階段から転んだ。

“そんなの転ぶに決まっているじゃん…”私は心の中で大きくため息をつきました。

物音に気付いた同じ寮に住む人がホテルの近くの診療所に連れていってくれたそうですが、レントゲン等の設備がないため怪我の詳しい状態がわからないとのこと。

「だからさ、あんた明日私を迎えにきてよ。」

平日です。私にも仕事があります。

でも、ここで「私にも仕事があるんだけど」みたいな事を言ったら、電話が壊れるほど大声で喚き散らし、どのみち迎えに行く私に暴言を吐き、最悪の雰囲気のなか車を運転して山道を降りてこなければいけません。

翌朝私は仕事を休んで母を迎えに行きました。

母は包帯で腕を吊っていましたが、痛み止めが効いているのか顔色は悪くはありませんでした。

寮の管理人さん、ホテルの責任者さん、一緒に働いていた従業員の皆さんにお詫びをし、母を連れて帰りました。

帰りの車の中は母のワンマンショーです。「コーヒーがのみたい」「あのパン屋さんが気になる」「ちょっと道の駅に寄りたい」今日中に診察してもらえなくなるんじゃないかと不安になりました。

やっとの思いで自宅に帰ってきて病院に行きました。レントゲンを撮ってもらった結果“全治1~2か月”程度の怪我と診断されました。

母は自分でホテルに連絡を入れ、状況を説明していました。

「再びまた戻ってきます!」と言っていましたが…結局ホテル側から本契約を頂けませんでした。

仕方がありません。年齢も50代半ば、宿泊業で働いた経験なし。わざとじゃないとはいえ不注意で怪我をする(しかも職場の敷地内)。

当時は外国人観光客がまだ少ない頃です。宿泊業界は“買い手市場”だったのかもしれません。

もしあの時「あんたも一緒にこっちにきなさいよ。」という母の言葉に従ってあの山間のホテルで働くことになっていたら…ゾッとします。私の人生メチャクチャになっただろうな

 

ブログをご覧いただきありがとうございます!

日が昇る前にアパートを出発して急いで母を迎えに行った私。

そんな私に母は「化粧っ気もない顔でwww」と言い放ちました。

未だにあの街の紅葉情報とか見聞きすると気分が悪くなります

綺麗に色づく山はなにも悪くないし、母がお世話になったホテルも何も悪くありません。皆さん「お大事にね」と優しく声をかけてくださいました。

結婚してからまだ1度も訪れていないあの山間の街。

コロナが収束したら夫と子ども達と一緒に紅葉を見に行って、思い出の上書きをしたいです。



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