けんけん@ルクラエアポートです。
メインフォトは、ペリチェから頑張って歩くAG隊メンバー!
飛行機待ってますが、ぜんぜん乗れません。
かれこれ4時間以上が経っています。
つーか、
結局のれませんでした。。。
朝食を食べないで来たので、
かなりお腹がすいてきました。。。
(と、ここまで昨日に書いたのですが…)
空港はゴチャゴチャパニック。
で、本日ルクラウェイティング2日目。
やはり、すっかりモンスーンの空です。
一昨夜は、スタッフとのラストナイト。
呑んで、歌って、踊って、楽しいひと時でしたが、
3日間歩きどうしだった身体は疲労していて、
クタクタでした。
だけど、昨夜も夕方から宴会が始まり、
シェルパたちから、無理やりに呑まされて。。。へへ。
本日は完全なるハングオーバーです。
なので、また朝食は食べれません。
反省会、反省会、反省会、、、で、反省の踊り。。。
さて、、、、
下山したミウラさんが一昨日カトマンズにて記者会見されたそうで。。。
無事で良かったですね。
ミウラさんのBCには、とてもお世話になったし、
サポート&ガイドとしても、、、尊敬する先輩方がいたし、
ゴンちゃんも五十嵐さんも、大城先生もみんな良かった。
エベレストは厳しい山です。
そう簡単には登れないし、
そう簡単には下山できない。
実は、僕らのエベレスト登頂日だった20日には、
山頂付近で4人の犠牲者がでてたんです。
そのうちの一人、マレーシア人女性のご遺体は、
同じ日にヘリでカトマンズに運ばれてきたそうです。
マレーシア大使館は、多額の費用を捻出したとか。。。
まぁ、それによってかなり潤ったヤカラもいたらしいけど。
一緒に同行していたシェルパも息絶えたらしいけど、
彼の身体が下ろされたかは不明。
モコパパ&コリやんがBCでヘリ待ちしている時には、
韓国人のご遺体がブルーシートに包まれて、
同じくヘリで運ばれていったのを仲間が見送ってた。
南峰直下で頑張って下山していたバングラディッシュ人は、
僕らが山頂から引きかえして追いついたときには、
フィックスにぶら下がって息絶えていました。
その誰もが、僕らと一緒に歩き、挨拶をかわし、
すれ違っていった人たち。
酸素の計算ミスだったり、本人の体力・技術が不足していたり、
はじめから装備やウェアの選択ミスだったり、経験不足だったり、
そして、スタッフやガイドに恵まれていなかったり。。。
理由は様々だろうね。
しんのすけは、そんな人たちを横目で見て、
一緒に歩いていたラクパに「助けてあげて」と眼で訴えたらしいけど、
ラクパから「どんどん下りろ下りろ」とジェスチャーされたらしい。
何もしてあげられなかったという事に、
苛立ちとむなしさを強く感じたそうです。
さらに、ローツェのC4では、
AGのとなりのテントに、遺体が安置されていました。
台湾人と言われていましたが、、、下に搬出される予定は無いとか。
また、ローツェの山頂手前10mには、
大柄の外国人が比較的最近のウェアと靴につつまれてぶら下がっていました。
これも、しんのすけには、伝えていなかったから、
ギョっとしたそうです。
でも、フィックスのラインは彼のすぐそばを抜けるので
「避けないで、もっと近づいて登れ!」と僕に指示されて、
いやいや近づいたそうです。
その他にも、今年はたくさんの事故や遭難がありました。
ヒマラヤの厳しさをあらためて痛感しました。
NTV(日テレじゃない)に取材されるしんのすけ&けんけん。
でもね、、、
そんな中を、AG隊のメンバーは
最後まで自分の脚で下山をしてきて凄いと思います。
ちゃんと帰ってきたから!
やちよちゃんも、なすびちゃんも、
山頂を踏むことはできなかったけど、
ふらふらに、よたよたになりながらも、
自分の脚でルクラに辿り着きました。
本当に立派に自分の登山を完了してきたと思います。
僕はそんな彼らと登山できたことを誇りに思う。
今朝、しんのすけと、やちよちゃんは、
朝一便に奇跡的にのれてカトマンズに帰りました。
なすびちゃんはね、なんと、
またジリ(パプルー)に向けて歩き始めました!
「地に足をつけた形で、エベレストを感じたい。空は飛びません。」
と、言って今朝ルクラを出発していきました。
ヒラリー&テンジン、昔の登山隊がみんなそうだったように、
なすびちゃんは、同じ道を辿ります。
しかも、はじめから最後までポーターを使わず、
全て個人装備を自分で担いでですよ!
それが、どれだけ大変で凄いことか!
このモンスーンの時期に歩けば、あと5日以上はかかるでしょう。
涙が出ますよね。頑張って欲しいです。
さて、さて、さて、
けんけん&BCきょーこは、次のフライトのチャンスを探ってます。
無事にカトマンズに飛べれば、
また、ご報告しますね~。
ではでは。またまた。