けんけんブログ -guide diary-

国際山岳ガイド近藤謙司の冒険案内記!
“ハイキングからチョモランマまで”

ゴラクシェプに下りました!

2015-04-30 19:09:12 | エベレスト&ローツェ&ロブチェ登山隊2015
けんけん@ゴラクシェプです。

急遽、ここまで隊員全員でおりてくることにしました。

と言っても150mくらい標高が下がるだけですが、
キッチン無し、ダイニング無しで数日生きてきた隊員達、スタッフ達にとって、

こんなにリラックスできる環境はありません。

なにしろ雪崩の音は聞こえないです。

命からがら、ここまで来てくれた彼らの顔をしっかり見てください。

とり急ぎご報告まで。
また明日以降にご報告します。

僕も少々疲れまして…

少しお休みを下さい。
ではでは。


ロブチェ隊 現地情報の続報!

2015-04-30 18:44:56 | エベレスト&ローツェ&ロブチェ登山隊2015

飯田橋留守番隊です。

 

ロブチェ隊+BCマネージャーの続報です。

 

全員カトマンズに無事到着しました。

現在、空港からカトマンズ事務所に戻ってきて、一息ついているところです。

みんなとても疲れていますが元気です。

 

ですが、今夜の便で帰国するために、3時間後には荷物をまとめて、直ぐに空港に向け出発です。

大混乱のカトマンズ空港で確実に帰国便に乗るために、早めに空港に行って待機します。

BCマネージャー隊は、エベレスト隊と一緒に5月下旬のフライトで帰国予定でしたが、

何とか今夜のフライトで、ロブチェ隊と一緒に帰れるように、空港で交渉します。

 

ただし、この帰国便のフライトが自体が、本当にカトマンズに到着できるのか、まだ分かりませんが・・・。

 

皆さんも、スムーズにフライトが飛び、無事に帰国できるように祈って下さい。


ロブチェ隊 現地情報のご報告

2015-04-30 18:08:16 | エベレスト&ローツェ&ロブチェ登山隊2015

飯田橋留守番隊からご報告します。

 

本日のロブチェ+BCマネージャー隊です。

 

ルクラのロッジで、フライトの順番待ちをしていたのですが、

ルクラもどんどん人が増え、定期便を待っていてもほとんど順番が回ってこない状態になりました。

 

そこでカトマンズ事務所と相談しながら救出作戦を実行しました。

 

カトマンズ空港は相変わらず混乱しているので、比較的地震の被害が少なかった東部の空港で

レスキューに使わない機材を探してもらい、そこからルクラまでのチャーター便を飛ばす作戦です。

最終的にネパール東部でインド国境に近い町、ビラトナガルからルクラまでのチャーター便を飛ばし、

ルクラからビラトナガルに行き、ここから定期便でカトマンズに戻す作戦です。

 

今朝、無事にチャーター便が飛び、無事に全員がビラトナガルに到着しました。

ここから国内線への乗継です。

 

ビラトナガルは天気が安定していて、比較的フライトが安定して運行されているエリアです。

もう少しでカトマンズまで帰れます。

 

ロブチェ隊は、元々今夜カトマンズ発の便で帰国予定でした。

予約の取れているこの便を使って何とか帰国したいです。

 

皆さん、フライトが飛ぶことを祈って下さい。


たくさんの被災者のご冥福をお祈りします。

2015-04-30 00:12:32 | エベレスト&ローツェ&ロブチェ登山隊2015
けんけん@エベレストBCです。
ご心配かけています。

25日の大惨事から4日たちました。

本当に恐ろしい出来事でした。
未だかつて経験したことの無い感覚で、
地震と言うか氷河地盤沈下が起こると言うのか、
この世の終わりだと思いました。

数秒後に現れた白い爆風にキャンプは襲われ全壊して、
隣の低地にある他のチームのプジャ祭壇の陰に転がり込んで
窒息しないように手で鼻と口を押さえてなんとか生き延びようとして…。

遅れて逃げ込んできた隊員に続き
「バラサーブ!」とキッチンのディケが泣いて抱きついてきた…頭から出血していて僕のベストは血だらけになった。
「大丈夫!大丈夫だ!」って彼を抱きしめた。

他の隊員やスタッフが気になっていたが、
そこから動くことすら僕はできなかった。
ただ身を潜めてプジャ台に掲げられたラマ僧の写真に祈っているだけだった。


白い嵐が通り過ぎ、咳込む音と名前を呼び会う声が聞こえて…

それでも僕らは数分後には全員が命に別状は無いことがわかり泣いて抱きあった。

そして逞しくもすぐに自分たちの安全確保とライフラインの復旧、
怪我したスタッフの手当てと飛散した装備の収集を
隊員とスタッフたちが協力して頑張ってしてくれた。


僕は隣のメディカルキャンプに行き、
運ばれてくる怪我人の方達のケアと搬送のサポートをした。

血だらけでその修羅場のような戦場のような環境の中で、
ハッと気づくとバリアグローブをしてないのは僕とネパールスタッフだけ。

欧米のサポーターはちゃんと対応ができてるんだと落ち込みもしたが、
それを取りに行く時間も余裕もなかった。

メディカルキャンプの要救者と機能は全て搬送して、
比較的ダメージのないアメリカチームに移された。

ここではスタッフとパワフルなヤンマーが大活躍してくれた。

サポートを終えて抜け殻になった血だらけの壊れたメディカルキャンプに戻ると泣けてきた。

この日はヘリのレスキューはエベレストベースキャンプにはほとんど来なかった。

カトマンズや他の地域でも大変な状況なのだろうと思った。




翌日26日にやっとヘリがけたたましく飛び交うようになったアメリカチームに
差し入れを持ってサポートに行くと、
ブルーシートに包まれたご遺体が何体も置かれていた。

昨日に僕と会話した内臓破裂とみられる中国人女性、
会話すらできなかった下半身重篤のインド系の男性…
無事にどこかの病院にはこばれていてくれと強く祈った…。

カトマンズでは、また他の山岳地域ではどんな災害が起きているか想像を絶している。




翌27日は、上部キャンプに取り残されていたほとんどの登山者がヘリレスキューされた。
そのヘリのタッチアンドゴーの飛行は見事なものだった。

この国のヘリレスキュー技術の進化は著しく
世界最高水準に近づいている。

ベースキャンプでの要救者もほとんど治療と搬出がされたが、
昨日からある包まれたブルーシートはそのまま置き去りになっていて…

前を通る度に手を合わせた。




昨日28日と今日29はヘリの回数も余震の回数も少なくなったけど、
雪崩や氷河の崩落の回数は例年通りには落ちているか。

それでも例年より気になり、すぐにテントの外に飛び出て音のする方向に目をやる。

隊員たちもスタッフも他のチームもかなりナーバスになっているのがわかる。

AG隊のキャンプはキッチンもダイニングテントも失い、
隊員が揃って顔を合わせる場所が無い。

こんな事態だし、午後には雪が降り天気も悪くポーターも揃わず、
ロブチェBCに下山して態勢を整えることもできずにいる。

なので、

ある程度のレスキューが完了して落ち着き始めたので、
昨日から飛散した物資の収集をする事にした。

言葉の上でコミュニケーションが取りにくい日本人にできるコツコツとした作業だ。

AG隊のものはもちろんだが、日本語の書いてあるものは特に気をつけて収集している。

翌日には完全撤退してしまった隊もあるので、
飛散物は氷河中に広がっていて僕たちだけでは手に負えないし場所によっては危険でもある。

できる限りの範囲で頑張らせてもらっている。

AG隊の食料カートンはバラバラになって200m以上も離れたアイスフォールの中で昨日僕が発見した。

バンバンは、それ以上遠くの氷河上からおしるこを発見したと元気に今日報告してきた。

実は昨夜から熱が出て僕は寝込んでしまい、
情けないが今日の捜索活動には行けてない。

バンバンは僕の伝達役となり優しく介抱してくれ、梶は頼もしくみんなをまとめリードしてくれている。

あんなに元気で頼もしかったヤンマーも実は激しい喉の痛みのためダウンしてしまった。

まさかの2人が、いま戦力外である。


ここにきて、皆隊員は疲れてきている。
王子も歯痛と風邪の症状が進み気になる。


AG隊の心身の健康を維持するためにも早期にリセットできる機会と場所が欲しいと思うが、

この国の大変な状況を考えるとなかなかそうもいかない。


せめて、ルクラで足止めされているAGロブチェ隊がそこから脱出して
カトマンズ、そして日本へ戻れることを切に願う。


明日はどうなるのだろう。


新たな試練を乗り越えられるように。
そして、さらに強く生きられるように。


では。
またまた報告が出来る時に…。