3月15日、54歳の若さで永眠された藤巻幸大さん。
増上寺でおこなわれた告別式。
1500名にもおよぶのではないでしょうか、本当に多くの方々が今日ようやく、氏とのお別れを実感できたのだと思います。
数年前、たまたま有楽町でお聴きいただいたことがきっかけで、その後本当にお世話になり、たくさんの出来事、たくさんの人との出会い、たくさんの思い出、楽しかったことから・・・そして最後にはこんなに悲しいことまで。。。
とにかく感謝しています。
式に参列していた全ての人を、きっと藤巻さんは名前で呼べてしまうのでしょう。
そこが素晴しい人だったと思うのです。
所謂「輪の中心に居る人」というのは多くの場合、というか普通は「自分のため」であり、「こんなに人脈があるのだよ」をかざすものだと思ってきました。それは一般的なことでしょう。でも藤巻さんはそれがまったく違う、そこがすごく素敵な人でした。
カリスマバイヤー、そして最後は参議院議員というポジションこそはありますが、彼の根っこは「ご自身を通して人と人が結びついていくこと」に最高の意味を持っていることだったと思います。
その純粋な藤巻幸大という像が有り、そこに多くの人々が惚れ込んできた・・・その表れが今日の姿だったのかもしれません。
「けんちゃん!けんちゃん!今度こんなのやろうよ、考えていこうよ!」・・・時と場所を考えずに電話が鳴り、「それって最高だよね!」と高らかに笑います。きっと私のようなこういう人が千人、二千人と。。。
そう、お葬式に2000人集まるような、社長さん、政治家、大先生・・・どんなケースもあると思いますが、「一人一人を’ちゃん呼び’出来る」・・・そんな人って居るでしょうか。。。?
私はこの藤巻さんしかきっと知りません。
本当に一人一人と真剣に向き合い、付き合っていくことでしか、こんな「スーパーマンのようなこと」は出来ない。
54歳、あまりに早すぎます。
藤巻さんがいつもクチにしていた「人生の師と仰ぐ人が居てね」・・・その方がご弔辞で「藤巻よ、100年分を半分で生きやがってばかやろう!」と仰っていました。本当にそうですよ。
多くの人を愛し、愛され、そして今日見送られた藤巻さん。
もちろん、志半ば・・・ではあることでしょう。
でもきっと幸せな人生をまっとうされたことでしょう。
たくさんの感謝。
本当にありがとうございました。
安らかにお眠りください。
増上寺でおこなわれた告別式。
1500名にもおよぶのではないでしょうか、本当に多くの方々が今日ようやく、氏とのお別れを実感できたのだと思います。
数年前、たまたま有楽町でお聴きいただいたことがきっかけで、その後本当にお世話になり、たくさんの出来事、たくさんの人との出会い、たくさんの思い出、楽しかったことから・・・そして最後にはこんなに悲しいことまで。。。
とにかく感謝しています。
式に参列していた全ての人を、きっと藤巻さんは名前で呼べてしまうのでしょう。
そこが素晴しい人だったと思うのです。
所謂「輪の中心に居る人」というのは多くの場合、というか普通は「自分のため」であり、「こんなに人脈があるのだよ」をかざすものだと思ってきました。それは一般的なことでしょう。でも藤巻さんはそれがまったく違う、そこがすごく素敵な人でした。
カリスマバイヤー、そして最後は参議院議員というポジションこそはありますが、彼の根っこは「ご自身を通して人と人が結びついていくこと」に最高の意味を持っていることだったと思います。
その純粋な藤巻幸大という像が有り、そこに多くの人々が惚れ込んできた・・・その表れが今日の姿だったのかもしれません。
「けんちゃん!けんちゃん!今度こんなのやろうよ、考えていこうよ!」・・・時と場所を考えずに電話が鳴り、「それって最高だよね!」と高らかに笑います。きっと私のようなこういう人が千人、二千人と。。。
そう、お葬式に2000人集まるような、社長さん、政治家、大先生・・・どんなケースもあると思いますが、「一人一人を’ちゃん呼び’出来る」・・・そんな人って居るでしょうか。。。?
私はこの藤巻さんしかきっと知りません。
本当に一人一人と真剣に向き合い、付き合っていくことでしか、こんな「スーパーマンのようなこと」は出来ない。
54歳、あまりに早すぎます。
藤巻さんがいつもクチにしていた「人生の師と仰ぐ人が居てね」・・・その方がご弔辞で「藤巻よ、100年分を半分で生きやがってばかやろう!」と仰っていました。本当にそうですよ。
多くの人を愛し、愛され、そして今日見送られた藤巻さん。
もちろん、志半ば・・・ではあることでしょう。
でもきっと幸せな人生をまっとうされたことでしょう。
たくさんの感謝。
本当にありがとうございました。
安らかにお眠りください。