道東の旅から戻り、気分を一新してからの再就職。
新しい勤め先で仕事に慣れるまで少し憂鬱な日々もありましたが、今は落ち着いています。
高齢の母が一人で在宅しているので、夕方の時間帯を自宅で過ごしたくて、勤務は早番専門。
朝6時から15時まで、週4日のパート勤務です。
業務は自分なりにさばける様になり、同僚と気さくに会話できるようになったので、しばらくこの形態で働き、来年の春、フルタイムの正職になろうか?と思案中であります。
介護業界なので人手不足は相変わらずですが、まあ、そこは仕方ない。(苦笑)
60歳近くになっても正職にしてもらえるのだから、あり難いと言えば、そうなのです。
とりあえず、今はこんな感じで頑張って生きております。
話は全く変わりますが・・・
2018年10月5日、『死線を越えて祖国へ』と言うタイトルで記事を投稿しました。私の祖母が書いた『遠い日の想い出~死線を共にした友情と絆』という題名の手記を紹介しています。
敗戦後、満州から引き上げてくる過酷な状況を記したものでした。
そして、記事投稿の2年後、今年の晩夏、祖母が手記を書くきっかけとなった『死線を越えて祖国へ』著者のご家族からメッセージか届きました。
著者のご婦人は祖母と同年代、もちろん既に他界されています。メッセージはお孫さんからでした。
何かの偶然で、私の記事を目にすることになったようです。
祖母の手記を読みたいとの事でコピーしてお送りすると、メッセージ主の叔母に当たる方からお手紙が届き、そのご縁で著書を頂くことが出来ました。
私の祖母とこの本の著者は、二人とも関東軍の軍人夫人であり、終戦当時、同じ地域で難民となったようです。
当時の部隊編成についてはよく分かりませんが、本の中に少しではありますが、私の祖父と祖母の姿がありました。
おそらく、部隊関連で繋がりがあり、祖母に著書が届いたのでしょう。
それは、たぶん私が処分してしまった!けれど、そのことをブログに載せたお陰で、再び、北の大地に本が届けられました。本当に不思議な縁です。
また、私の母(当時14歳)の知り合いの女性の名も登場人物に居て、母は驚いていました。
祖母の手記を読んだ時、過酷な状況に苦しみ傷ついた人々のことを思うと胸が苦しくなりましたが、『死線を越えて祖国へ』の著者もかなり苦労して、奇跡の様に帰国されています。
幼い二人のお子さんを必死で守り、ただひたすらに帰国出来る日を夢見て生き抜く姿が、逞しくも儚い。
内容を読めば、よく生き抜いたものだと、感心するばかりの悲惨、理不尽の連続でした。
平穏な日常は、こんなにもいとも容易く奪われるものなのか?
暴力も残忍も、傲慢も裏切りも、全て人が行うことで、そんな中でも、労り助け合い、思いやることを忘れない人々も居た。
身勝手な権力者が、弱く優しい人々を踏みにじった結果が敗戦だった、と私は思う。
その上、強者は弱者を見捨て、戦争が終わった後も、多くの人々が犠牲になった。
今の世の中はどうだろう?
強者が弱者を踏みにじっては居ないだろうか?・・・末路は敗戦だ。
何と戦っている? コロナ?不景気?他国の脅威?
何であれ、上ばかりを見ないで、もっと足元を見て行きたい。
私は、何かを踏みにじっていないか?
踏みにじられている人を、見放していないか?
何の力もなくて、何もできなくても、思いやる気持ちを忘れたくない。
もう二度と敗戦は嫌だ、とあの犠牲者たちは思っていたはずだから。
今を生きる者は、その思いに報いなければ申し訳ない。
私の足元と言えば、もうすぐこんな感じになります。
これはもちろん、今年の写真ではありません。
今年の冬、故郷の写真はどれくらい撮れるかな?
故郷の大地。
彼らが目指した祖国の地に、私は立っている・・・最大の幸運と共に。
新しい勤め先で仕事に慣れるまで少し憂鬱な日々もありましたが、今は落ち着いています。
高齢の母が一人で在宅しているので、夕方の時間帯を自宅で過ごしたくて、勤務は早番専門。
朝6時から15時まで、週4日のパート勤務です。
業務は自分なりにさばける様になり、同僚と気さくに会話できるようになったので、しばらくこの形態で働き、来年の春、フルタイムの正職になろうか?と思案中であります。
介護業界なので人手不足は相変わらずですが、まあ、そこは仕方ない。(苦笑)
60歳近くになっても正職にしてもらえるのだから、あり難いと言えば、そうなのです。
とりあえず、今はこんな感じで頑張って生きております。
話は全く変わりますが・・・
2018年10月5日、『死線を越えて祖国へ』と言うタイトルで記事を投稿しました。私の祖母が書いた『遠い日の想い出~死線を共にした友情と絆』という題名の手記を紹介しています。
敗戦後、満州から引き上げてくる過酷な状況を記したものでした。
そして、記事投稿の2年後、今年の晩夏、祖母が手記を書くきっかけとなった『死線を越えて祖国へ』著者のご家族からメッセージか届きました。
著者のご婦人は祖母と同年代、もちろん既に他界されています。メッセージはお孫さんからでした。
何かの偶然で、私の記事を目にすることになったようです。
祖母の手記を読みたいとの事でコピーしてお送りすると、メッセージ主の叔母に当たる方からお手紙が届き、そのご縁で著書を頂くことが出来ました。
私の祖母とこの本の著者は、二人とも関東軍の軍人夫人であり、終戦当時、同じ地域で難民となったようです。
当時の部隊編成についてはよく分かりませんが、本の中に少しではありますが、私の祖父と祖母の姿がありました。
おそらく、部隊関連で繋がりがあり、祖母に著書が届いたのでしょう。
それは、たぶん私が処分してしまった!けれど、そのことをブログに載せたお陰で、再び、北の大地に本が届けられました。本当に不思議な縁です。
また、私の母(当時14歳)の知り合いの女性の名も登場人物に居て、母は驚いていました。
祖母の手記を読んだ時、過酷な状況に苦しみ傷ついた人々のことを思うと胸が苦しくなりましたが、『死線を越えて祖国へ』の著者もかなり苦労して、奇跡の様に帰国されています。
幼い二人のお子さんを必死で守り、ただひたすらに帰国出来る日を夢見て生き抜く姿が、逞しくも儚い。
内容を読めば、よく生き抜いたものだと、感心するばかりの悲惨、理不尽の連続でした。
平穏な日常は、こんなにもいとも容易く奪われるものなのか?
暴力も残忍も、傲慢も裏切りも、全て人が行うことで、そんな中でも、労り助け合い、思いやることを忘れない人々も居た。
身勝手な権力者が、弱く優しい人々を踏みにじった結果が敗戦だった、と私は思う。
その上、強者は弱者を見捨て、戦争が終わった後も、多くの人々が犠牲になった。
今の世の中はどうだろう?
強者が弱者を踏みにじっては居ないだろうか?・・・末路は敗戦だ。
何と戦っている? コロナ?不景気?他国の脅威?
何であれ、上ばかりを見ないで、もっと足元を見て行きたい。
私は、何かを踏みにじっていないか?
踏みにじられている人を、見放していないか?
何の力もなくて、何もできなくても、思いやる気持ちを忘れたくない。
もう二度と敗戦は嫌だ、とあの犠牲者たちは思っていたはずだから。
今を生きる者は、その思いに報いなければ申し訳ない。
私の足元と言えば、もうすぐこんな感じになります。
これはもちろん、今年の写真ではありません。
今年の冬、故郷の写真はどれくらい撮れるかな?
故郷の大地。
彼らが目指した祖国の地に、私は立っている・・・最大の幸運と共に。