シグルイ 6 (6)秋田書店このアイテムの詳細を見る |
「覚悟のススメ」という漫画のタイトルを、
皆さんは聞いたことがあるだろうか。
十数年前に、週刊少年チャンピオンにて
連載されていた漫画で、作者の名は山口貴由。
実に、実に! 多くの固定ファンを持つ
漫画家として名を馳せている。
氏の描かれる漫画は、台詞回しからコマ割り、
キャラのディティールに至るまで、
氏の持つ独特のセンスによって生み出されている。
決して描写力が抜きん出て優れているとは言えないまでも
「表現しようと」試みた跡が氏の漫画の随所に残っており、
そのアクの強さに一目見ただけで拒否反応を起こす読者も少なくない。
そんな、氏がチャンピオンレッド誌上で連載している
「シグルイ」最新6巻が、この度発売された。
古来より、素晴らしい作品には必ず異常なものが
含まれていると批評家は口にした。
だがしかし、異常なものが含まれているものが
必ずしも素晴らしい作品かというと、
勿論そうではない。
「シグルイ」は異常なものの塊で出来ている……と、
言ったら言い過ぎになるだろうか。
いいや、私はそうは思わない。
この漫画の至るところに、
およそ禁忌とされしエロス・グロテスク・同性愛……
そういった表現がちりばめられている。
氏が「ベルセルク」の連載するヤングアニマル誌上で
「蛮勇引力」を連載していた折、目次の作者コメントで
以下のような発言をしていたのを私は未だに覚えている。
「他人(ひと)の為と書いて偽(いつわり)と読む。
俺は自分の為に漫画を描く」
大きな誤解を招く弊害を、承知で書いた文章だと直感した。
おそらく、氏は読者からの抗議や批判など殆ど意に介さないのではあるまいか。
編集者やその他スタッフと関わるとはいえ、
どの漫画家も基本的に孤独な作業を強いられる。
ファンレターを励みにしている作家も多く居るのは
異論の余地はあるまい。
だとすれば、氏の持つ漫画家としての特性たるや
「才能」「天賦の才」「天然」そんな陳腐な言葉で
片付けられるものではないと、私には思えてならない。
漫画界の重鎮・本宮ひろ志が自らをして「天然まんが家」
と
呼んでいるが、そのようなチャチで矮小で排他的な単語で
片付けられるものではないのではないか。
独特のセンスは確かに、固定ファンを生み出す武器になる。
だが、それが受け入れられなければ例外なく業界を追われることとなる。
多くの固定ファンを持つ氏だが、
氏の漫画は「うけつけない」という読者はファンの数倍は
存在しているのではないかと私は思う。
ただ「声が聞こえてこない」だけで、存在しているのだと思う。
その危うさたるや、出版社側から見れば諸刃の刃に他ならない。
新人の頃などハイリスクローリターンである。
だがそれでも、氏は漫画を描きつづけているし
氏が原稿を「おとした」のを私は見たことがない。
もしそれが氏の演出でなく「自分のために書く」=
「自分が最初のファンとして描かれている」ことの証明になるとすれば、
自己満足で終わっていない氏の漫画はやはり凄い。
皆さんがどちらになるのかは、どれでもいい……
著書を手に取り20ページも読めば分かるだろう。
だが、これだけは言っておく。
試してみる価値は、あるぜ。