12/8放映の『八重の桜』を見ました。
覚馬さんはずっと大きな荷を抱え続けていた人で、
仲間や恩師や先輩や、時代の半ばで散っていった大事な人たちの志を受け継いで、
故郷の会津を思いながらずっと生きていた人で。
自身が囚われた日々も、戦によって焼けた町も、
死んだ人の無念も、生き残った人の悲しみ苦しみも、
その知性と記憶力があったからこそ薄れずに
瞼の裏に鮮明に見続けていたのでしょう。
事が起これば厳しく冷静に対処し、平和な時は穏やかに周囲の空気を感じ取り、
静かで確固たる礎として生きてきた人で。
牢の中で会津の悲劇を知り、
家族と再会した後も父と弟が亡くなったことを知り、
山本家のたった一人残った男子として山本家を支え、
京都を支え、日本の将来を見据えていた人で。
自らの身体で自由が残った聴覚と脳で世界の動く声、人の心の動く声を聴き、
若い頃に蓄えた膨大な知識を助けに思考を研ぎ澄まして世界の動きを読んだ人で。
その人は死の間際、やっと全ての荷を降ろして、
娘の父となり、母の息子となり、妹の兄となり、
肩書きを一切消した一人の覚馬さんの顔に戻って、
母に頼んで入れてもらった空気のしんしんと冷える感覚に会津を見ました。
この人は、大人になった妹の顔も、老いた母の顔も、時栄さんの顔も、二人の娘の顔も
見たことが無かったけれども、
自らが負った膨大な責任の奥に、家族の声を胸に刻みつけて生きていたんですね。
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