カリフォルニアに砂漠地帯が多かった時代に
、緑化の開拓に、、、3か月もかかって
汽船に乗って、、、嵐の海を越えて、、、
夢のアメリカにわたっていった、、、、和歌山県の親類縁者が
明治の20年代に、すでに記録にも残っています、
昭和20年代に、和歌山に疎開したとき
洋館の立ち並ぶゾーンがあり
土地の人は「アメリカ村」と呼んでいました。
私の祖父も、、、筑波大学の前身である師範が功を卒業すると
教職や、、、町長さんを頼まれながらも
アメリカの、西海岸に、、、日本人の集団が渡米したのを契機に
28歳の時、、、留学というラッキーな渡米のチャンスがやってきて
すでに、、開拓の仕事を始めていた先発隊に合流できたそうです。
初めは、、開拓の人々の仕事を理解して覚えるために
現場の人に交じって、、、アメリカの国に従った作業を
一通りこなすという、、、激務だったそうです。
身分いかんにかかわらず、、、
日本人は差別待遇の使用人扱いだったそうです。
熱砂の砂漠に植物を育てようという工事は
地地面の下に、、、水路を作り、そこから水分をとれるようにしながら
緑化作業を始めたといっていました。
現代のスプリンクラーの代わりになるような
水田に水を引いてくるような側溝を、
地面の下の部分に作る工事は
素材は何を使ったのでしょうね?
現代のような、、、塩ビ管はなかったでしょうし、、、
鉄管奈なら、、、さびるでしょうし、、、
コンクリートの土管だったのでしょうかね?
あれこれ想像すると、、、現代の科学力と、
自動の開拓用のロボット重機を使えば
中央アジアやアフリカの砂漠だって、、、、
緑地帯にできるかもしれませんね。
地球の緑地帯を壊すのではなくて、、、
砂漠に緑地帯を作って、、、熱遮断の空間のある
地下住宅を作れば、、、水を引いてこれれば
熱帯植物園ができそうですね。
童話のような空想物語になってしまいましたが、、、
私が、、5歳ぐらいの時なので
祖父は、、、手振り、身振りで、、、
カリフォルニアの砂漠のことを話してくれました。
しかし現実の、、、明治のころ
アメリカ西海岸の開拓に入った人たちは
せっかく、、、緑化できて、、、作物が取れ始めると
集団で移動命令に従い、、、別の砂漠地帯で、、
、同じことを始めなければならないことも
何か所でも起きていたそうです。
それでも、、他国で働く日本人は、勤勉に、積み木崩しに会いながらも
開拓作業を続けていったそうです。
ハリウッドのあたりも,、、
不動産屋さんが、
住宅や土地を切り売りしていたという話でした。
有名なお金持ちや、俳優さんや、、著名人の
別荘だといわれていた「ビバリーヒルズ」は
不動産屋さんの、、、傑作だったとも考えられますね。
そうして、、、やっと、、自分の家屋敷で
電蓄をかけて、、、レコードを聴ける頃になって
日本を思い出しながら
ゴールデンゲイㇳ ブリッジ の、
油絵を描きに、、、日本への郷愁を
キャンバスに閉じ込めながら
アメリカのダイナミックな砂漠の開拓を学んだそうです。
祖父の身分にこだわらないで、開拓の初心に徹しての習得の心は
農業を学ぶことにも発展していったそうです。
段々畑の、、小さな田んぼの集積の日本と
巨大な広さのダイナミックな広大な土地を耕すアメリカの農業は
何年も、、、現地の開拓に入った人と、、、同じ仕事をしながらも
にわたりなど、家畜を飼うことを奨励して,、、飢饉に備えたり、、、
サンフランシスコに出向いて
故郷の串本の海で覚えた、魚の保存を駆使しながら
砂漠の開拓の飢饉を乗り切った話をしてくれました。
祖父から、、アメリカの話を聞きながら
祖父と、ばあちゃんと思っていた人と住んでいた洋館は
子供の私には、、、大きなお屋敷に思えました。
大人になってから、、、取り残されていた洋館は
会社になって、見知らぬ人の仕事場になっていました。
じいちゃんが、鶏の飼い方を教えてくれるというので
早朝、雄鶏のなく声で、幼い私は、
庭鳥の餌を、V字型の長い、、、長い、、餌箱に入れてゆく仕事を
わくわくしながら手伝わせてもらっていました。
鳥小屋の近くは、花畑や、、、野菜畑、、、
少し離れてぶどう棚などもありました。
そのころ5歳ぐらいだった私を、
5時になると、、、祖父は、、歌を歌って、、起しに来てくれました。
早寝、、早起き、、、鳥さんの、、、ごはんづくりをする時間!!
「「おきよ∻~~というに。。。起きない者は
鳥~~にも、、、負けて、、、~~~...🎶♬~~
爺ちゃんは、、疎開していた和歌山県の洋館の持ち主でした。
私の母の実父ですが、、、波乱万丈の生涯を前半にして
第二次世界大戦の直前に
アメリカ兵として、、、日本と戦った者には
アメリカ国籍を与えるといわれて、、、
和歌山県から開拓に入った農民の中には
日本には、、、帰っても、、住むところのない人たちも居て
万感の思いで、、、アメリカ兵として戦って
国籍を戴いた日本人も、かなり、、居たと聞いていますが
何しろ、、、5年生の、、東京に転出する直前まで
私は「利発な小学生」だったと、、、
周りのお手伝いさんたちからは見えていたそうです。
祖父や親から
「かわいくない存在」「主観の強い興味本位の子」として、、、
「本ばかり読んでいるのを、心配して、
まわりに受け入れられることを第一に考える、
田舎の教育をされていたのかもしれません。」
「この子の主観は一度自分で思いこむと、、、
結果を自分で試すまで
親の言うことも、、人のいうことも聞かないで
没頭して、、、しまうから,、、
かわいくないよね~~~」
大人には、、話の焦点が通じないので、
自己流の考えで、単独で動くので
「超かわいくない、、子供」だったようです。
おばあちゃんが、、、
「竹やぶの中に、、、
〘カラスウリの花〙が、、、蕾を持っとるよ、、、
明日の明け方には、、咲くかのし、、、?」
「カラスウリ」は、、明け方に花が咲くんけ?」
。。。。、、、、、、、。。。。。。
「なんでや?なんで??。。。昼間に咲かんのや?」
「お日様好かんのけ?」
和歌山の方言丸出しで、
幼い私は、ばあちゃんに、聞き返しました。
おばあちゃんは、、、言いました。
「カラスウリの花はの、、、、(月の光)が大好きや、、、
今夜は満月やから、、、竹やぶの中に、、、
白いレースを張って
月に向かって咲くかもしれんなあ~~」
おばあちゃん、、、とおじいちゃんの
住んでいた洋館の
すぐ横にある竹藪に、、
私は,、、カラスウリの蕾を見つけに入りました。
夕方でした。
月は,、、うっすらと太陽と一緒に空に上がっているので
夕ご飯の後、、、
「家に帰るから、、、」と言って
竹藪に入りました。
日が沈んで,、、月の光が、、、あたりを幻想的な
おとぎの国に変えました。
かぐや姫が、、竹の中から話しかけてきます、、、
私は、、明け方まで,、、
(カラスウリの花)が
あちこちに
レースを広げ始めた竹やぶで
月の,、煌々と照らす,、、
青竹の不思議な光の幻想的な空間で
この世に舞い降りた
妖精のごとく、、、
舞姫のように咲き始めたカラスウリに、、、
魅惑されて
早朝になるのも気が付かず、、
見続けていたことを
思い出すのです。
父母は、、祖父の洋館にお泊りだと思ったのでしょう、、、
祖父たちは、、、
家に帰って行ったと思ったでしょう、、、
明日、、早朝起こして
鶏のエサの作り方を手伝いながら、、、
覚えてくれればと、、、安心していたとおもいます。
疎開中の和歌山の暮らしは、、、
原野が子供を守ってくれていたのかもしれませんね。
大人たちは、、、戦場から,、、
満身創痍で帰還して疎開してきていたので
子供は、、、、野生に近い、、
ほったらかしの家が多い中でも
我が家は、、子供には過干渉のほうだったと
過去を振り返りながら、、、思うのです。
5歳にして、、、アメリカ帰りの爺ちゃんと、、
じいちゃんの兄さんの
お嫁さんにあたる、、、通称{ばあちゃん}に
アメリカナイズされた洋館の暮らしの中を
走り回ることのできた私は、、、
ラッキーな、英語圏の空気を
ごく自然にいただいていましたね。
こうして、、日本の竹藪と
明け方に満開になるカラスウリの花の
幻想の世界が、、、
「私の植物大好き」のスイッチを押していたんですね。
今日、、こうして、アメリカのカリフォルニアと
じいちゃんや、開拓民のことを書いたのは
たまたま観ていたTVで
「カリフォルニアの火事」と、、、「ドジャース」と
「大谷選手」らの、、、巨大な額の
「復興援助の被災地への寄付!!!!!!!!」
日本人の中には、、、
「カリフォルニアの生活」が忘れられない人たちが
世代を引き継いで、、大勢いるはずだと思います,、、ね。
北海道で活躍していた、、
「大谷選手」が、、、ドジャースに加わって
日本人の血を引く、、、ロバーツ監督のもとで、、、
世界中から選抜された人種を問わない選手たちの仲間と
「WBC優勝!!、、、」
歓喜の喜びの中で、、、
シーズンオフになったとき、、、
新年も燃え続ける山火事に、、、
日本人の中の土木建築課だって、、、
日本の粋を集めた技術で
火災に強い総合開拓のセンスで
復興に寄与してほしいと思いますね!!。
息子たちが、、、小学生の時、、、
「 格安航空券」で、、、
ともかく、、
カリフォルニアを見せなくっちゃ、、、と
連れて行きました。
ロスの空港では、、、
映画のような、、
こわもての
ロス警察の巡回を見れて、、
息子たちは、、、固まっていました。
ロスで、レンタカーを借りて、、、
ヨセミテ渓谷へと、、、
ひたすら一路街道を走りながら、、、
石油井戸が、街道の原野に、、あちこちに見えて
資源の豊かな、、、こんな国と戦争をするなんて、、、
日本は、、、
「世界情勢に無知」だったかもしれませんね。
日本のような、、小さな島国は、、、
核戦争に巻き込まれると
「国ごと、、、地球から消えてしまう」でしょうね。
こんなに、、アメリカと親しい、、
感情を持っている現代!!
トランプさんは、、親友以上の、、、
戦後の認め合った国同士に
アメリカ一番を願うなら、、、
一番頼りになる技術の現場力を持った日本に
カリフォルニアの復興や、、
新規一転、、都市づくり手伝いを
任せてほしいものですね。
戦争に巻き込まれないためにも、、、
カリフォルニア復興の
ビル用の鉄鋼に限るという条件付きでも、、、
鉄鋼を任せてくれれば、、、
アメリカ国内の鉄鋼が
関税なしにつかえて,、、
この、、とてつもない火事が
ドジャースにとって、、マイナスにならないような、、、
子供の教育の場となる健全な街の、、
野球の大好きマンが集まる街に
復興できたら、、、
アメリカと、、日本は
野球が結んだ、、、
野球兄弟になれるといいですね!!
今日は、、昼間のTVで、、、
大谷選手には
そっくりな兄さんがいることを知りました。
姿形はそっくりな兄さんですが、、、
「とんでもない、、、「化物」のような、、、弟が、、、」
すっかり、、傍観者として割り切りながらの口調で
親しさの持てる、、
地域の野球チームの監督さんを引き受けられたとか、、
子供たちにとって、、
大リーグの、、弟さんの大谷選手の輝きと
野球が誰にも親しめる、、、
わが町、、わがチーム、、
身近な夢中になれる野球
国籍も、、、貧富の差も、、、
地域の排他的なものの一切ない
野球のルールは、、、人と人をつなげてくれますよね。。。
女性たちも、、、それぞれ、、、勝手な手前味噌の感動で
それぞれが、、野球に夢中になれるから
人と人、、
地域と地域、、
国と国をつないで、、、
皆が、興奮して感激できるという
野球場の、、、観戦希望の、、、平和な集いのできる
野球ファンの泊まれるような、、、
「オリンピックの選手村のようなゾーン」も
火事の復興時には、、、
設計してほしいですね!!
日本の野球ファンの少年が、、、
ごっそり、、合宿観戦できるような
「ちびっこホテル」の「ちびっこ食堂」のある町も、、、
家事の復活には、、
負けない未来への
新たなる設計がほしいですね。
ついでに、、
赤ちゃん連れてくるお母さんのための、、、
ユリカゴ付、、、保育園付、、、
赤ちゃんとママのホテルも
火事の復活時には、
次世代の未来にそなえるという、、
火事に負けない設計がほしいですね。
被災にあった人たちには、、、
心の不安を消し去るために、、、
カリフォルニアから、、離れ、、、
山火事の起きない地区に
仮設住宅の上等のを建設して、、、
心の病が消えたころに、、、買い戻せるような
ビバリーヒルズに、、、
耐火建築のちょっぴり豪邸ゾーンを復活させて
火事の記憶を
乗り越えられる町の設計が期待されますね!
買い戻せる
耐火建築の街を復興させるには
日本の建築業界でも、、、大林組とか、、大成建設とか
ばあちゃんが親しんだ名前の会社が
ドバイなども建築したって??、、、本当ですか!!
こんな時は。。。アメリカに頼られる、、日本でいたいですね。
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