検索で「森山紀之の紙の本」という文字を入れてみました。
画面には15冊の本が出てきました。
このうちの、何冊かは手元にありますが後10冊は買いたいと思い
500円玉貯金をしています。
2009年に出版された「がんは何処まで治せるのか」という
1650円の読み物風の手帖大の本は、
ダンナが、読んで、能くわかるからと、一冊差し上げたそうです。
当時、勤務病院のイベントで
「クリニカルパス学会を主宰していた時の会長」をしていた関係上、
「理事長だった先生」も全国大会の主催者側というお立場でおいでになっていました。
私は、クリニカルパス学会の一会員という立場で聴きたい発表が有ったので
会場に行きました。
当時はがんの終末期の患者さんに抗がん剤を処方しながら
なんとか、、抗がん剤を投与する時の計画票を
担当する医師や看護師、薬剤師の職場仲間と作成しながら、
薬品の特性によって、溶解度が違うので
希釈したりする溶液の
「組成や量」や「投与する速度」や
「薬品の投与する順序」などを表にしながら
病棟で、患者さんの吐き気や副作用対策に使用する薬剤や
投与後の、、、休業期間なども
かなり細かく計画書を作成して、提出したいと思っていました。
専門用語では「一般では聞きなれない言葉かもしれませんが、、、」
「レジメン」と呼ばれる作成した計画票に沿って
「がん治療」の為の科学療法と呼ばれている治療を
医師の指示によって、、何クール行うかと言う時代でした。
抗がん剤は「がん細胞も死滅させてゆきますが、、、」
量や、半減期や、個人的な薬品への感受性が異なる為
医師の、綿密な指導によって、医療事故を防ぐ為にも
情報交換を密にしてデーター作成による薬品量など
綿密に計画票を作成していました。
クリニカルパス学会にとっても、、、
聴きたい講演が、盛りだくさんでした。
そういう訳で、、、薬剤師の長男と、
薬剤業務に復帰していた私は、学会員として、参加していました。
医師になってまだ駆け出しだった次男も
東京からやってきて、、、
親父が会長だというのを聴いて
休みを取って参加しに来たと、、、会場で顔見知りの先生らに
声をかけてもらい、、、おりからの抄録が
難解な日本語訳で、質問したりしていましたが
発表する側で、誤解を招く日本語訳などは、、直前まで修正したりしながら
熱の入った、早朝の会場でした。
札幌では初めての
クリニカルパス学会の全国大会が開催されました。
楽しかったのは、、、旭山動物園の坂東元副園長の講演でした。
第8回クリニカルパス学会は、
旭山動物園の副園長の「いのちを通して伝える事」という講演でした。
狭い檻に入れて展示形式だった従来の動物園から
「いのち」という、、、人間も動物も、、全ての生き物に通じる「いのち」
当時の旭山動物園が日本中の動物に興味のある老若男女すべてに
衝撃的な感動を伝えてきた、
動物園の人権ならぬ、、、
動物権の様な
動物園の展示仕方の巨視眼でした。
この動物園の坂東元副園長さんの講演は、北大の先生がたも
耳を傾けていらっしゃるのが、、、空気となって伝わってきました。
何で、、、こんな、、、仕事の延長の話を
、、、日記に書いておくか、、、
忘れない為です。
ダンナは会長だったかもしれませんが、
多くのスタッフや
事務サイドの昼夜を通しての努力の結果が、
「いのち」の大切さを守り抜くための
計画予定表の様な国際間の助け合いになれれば
患者さんがたの大きな、、見えないけれど
医療面での、、合理性という
大きな利益につながるということになるのですから。
ダンナにとったら、、、緊張の連続の日々だったのに
、ネット裏の見学というわけにはゆかないのが
家族という、、、見えない連帯感ですよね。
家族は医療家族で、、皆、国家免許を持っているわけですから
じゃまにはならないコーナーで、
参加することを許された、個人的な意思と、賛同で
個別ではありましたが、、、同じ会場の参加できたという事は
日記のメモの、、、忘れたくない思い出です。
結局、、、がんのレジメンの時、、、
「森山紀之がんセンターの検診。研究センター長の本」の話になり
患者側の医薬学に専門では無い患者さんは、
どういう事を知りたいのか?
そのような話も休憩時間に出てきました。
産まれてから20歳ぐらいまでは、、、弟でした。
その後、
私は北海道に嫁いで、
友も、卒業校も無く、、、親戚も居ない他人の土地での
50年を過ごす運命だったのですが
国家免許を持っていたおかげで、
視点を「医寮、、、旦那が医師をするという、、、大変な仕事の為の、、裏方楽屋の仕事!」
割り切って、医師になるより、、、もっと困難な
「医師をする」という、、、旦那の職業の、、、舞台裏の家庭を
雑用の面で、、、背負って、、
「医師をすること以外の仕事はしない」、、、そういう条件を
支えるという、、、家庭の仕事を引き受けてしまうという
しかも、、「雪かきは、、、私の人生の持ち時間の三分の一の時間を奪う」
北海道で暮らすという事は、、、孤独に強くなければ出来ない、、、50年でしたね。
未だに、、、配偶者でありながら
どんな人なのか?、、、と、、聞かれたら、、
先週の予約患者さんも、、、28年間も、、、毎年来て
ダンナを指名して予約していってくれるという、、、
ダンナは医師です、、、としか答えられないほど
どんな人間なのか???聞かれても、、、知りませんね、、、、
医療人として生きるために
私は「旦那が医師をすることを、、、舞台裏の家庭を引き受けた仕事人だったですから、、、」
どんな人?
そのように聞かれたら、、、
「医師をすること以外は、、、興味が無い人だと思いますが、、
野球と、、、目下、、大谷選手に夢中ですね、、、」
答えはそれだけですね、、、雪掻きと仕事が忙しくって、、、
ふと気が付くと、、、78歳になっていた、、、・
気休めの様な、、、緊張のない話題で、、
休息できた、、、頭脳だと思うので、、、
薬剤師と、、看護師と、、、薬学生と、、海の生き物に興味のある大学生の孫の為に
君らの父、、祖父が、、、過ごした若い日の、、イベントを、、、もう少し続けて
日記メモにしておきますね。
さて、、、北海道、、独りぼっちの私の孤独を救ってくれたのは
戦後の、復活の日本に、、、頑張った世代の有った事が
戦後の日本をここまで、、、頑張らせてきました。
団塊の世代、、、と呼ばれた、、、今は70歳代の、、、日本男児です。
勿論、、、わずかですが、、、女性もいました。
弟も、戦後の医療界に、CTや、MRI,ペットCT、、へりかるCTの
画像開発の分野に貢献できた、、、医師の一人です。
恐れ多いことですが、、、戦前は、宮内庁病院の様な役割を果たしていた
慈恵会医科大学の出身だった、、父の影響で
兄も、弟も、、私たちも、、、
孫子の代まで、、、医療に貢献したいという、、、影響を受けました。
弟は、父の時代には、、、外科医である父の患者さんの
がんの手術は、、、すでに、、、手遅れのものが多かったという時代でした。
弟は、、がんの早期発見の為に、、、人生を絞り込んだ医師たちの集まる
国立がんセンターの、、、検診と研究の分野の医師でした。
定年後は、、、東京の新橋にある病院や、いろいろなところで
画像診断の、、、医師をしていると聞いています。
弟の、頑張る姿が、、
北海号にも聞こえて来て、、
、私は医療に関する事が日々の生活として
友であったと、、、振り返っています。
叔父さんを尊敬していた息子は
画像診断の医師になりました。
叔父さんは日本の宝物だ、、、
戦後の、、時代に、、、がんの早期発見と、、、
人生のすべてをかけて、、、取っ組み合ったのだから、、、
僕にとったら、、「神の域」の画像診断の先駆者だね、、、と。
息子も博士ではあるが、、、叔父さんの残している
後輩の教科書にもなる、、、十数冊の本を見乍ら
某有名大学の学長さん家族や、、世界のVIPが、
がんセンターで
診断を受けていた時代の
検診検査、研究部門の長だったのだから、、、
画像診断のパイオニアだよね、、、とつぶやく。
叔父さんみたいに,、、メイヨークリニックや
ハーバード大学での臨床のように
世界を、、飛びまわれたら、、、いいだろうな~~~
しかし、、、札幌での講演会などに呼んでいただいている、弟は
会場であるロイトンを宿泊予約しているのに
我が家の、、むさくるしい所に、、、気軽に来てくれて
朝まで、、おしゃべりしたりして、、、
そのまま、、、仕事に出かけるから、、、
スタミナも、、、若き日には、、、相当のものだったね、、、。
弟の多くの出版本の中でも、、、
薬剤師の私にも、、解りやすい本が有る。
「がんはどこまで治せるのか?」
実に2009年6月に出版されている
手帖台の薄い本ですが
理事長先生に、旦那が差し上げたようで、、、
「あの本は、、、実にすばらしい!、、
全ての疑問に
専門医が解りやすく答えている。」
と、言っていらシャッタのを嬉しく聴いていました。
普段は、旦那の勤務病院なので
敬意を払って、、、
絶対近づかない様に
遠慮して
遠くで応援していましたが
各ジャンルで、、、知りたいことは一致するもので、、、
理事長酸が
会場で、
会話を交わすほど近くに来られたのでした。
その後、医科大学長さんをされた先生が
「解りやすくて、素晴らしい本だ」と、おっしゃられたので
ダンナの知人で、いつも、旦那が名前を言うので
「がんの施設の長」をされていた先生に
本を一冊お送りしたのでした。
ワツィの先走り、、、
勇実足でした。
ダンナの応援になったかどうかは、、、疑問です。
「読みました、実に興味のある質問に専門医が
わかりやすく答えていて、、、素晴らしい本でした。」
大切に読ましていただきました。
、、、、が
本の、何処のページにも
私に本を送ったのは姉です、、、とは
書いてありませんでしたね。
絶妙な、、カラかい半分の言葉の中には
ワツィの勇み足の軽率な行動に
いつの間にか、、、礼儀を忘れた、目的に走った行動を
諭してくれるという
世の中の習慣を、、学ばせていただきました。
弟自らの、、、贈呈としての作法をとるもんだと
示唆してくれたのかもしれません。
確かに、、、それがベストの方法だった、、、かもしれません。
弟の社会性に比べると、、、
姉の私は一薬剤師でしたから
ダンナの知人にダンナの名前で、、本を送っても
その本が、、、画像診断分野の本である以上
外科医のdンナが送ったはずはないと
、、、判断をサレタのでしょうね。
主人の知人とは言え、、、
本をお送りするのは
「著者本人からの贈呈のサイン」が入った方が
良かったのかもしれません。
私、、ごとき旦那の裏方が、、、
お送りする本ではなかったかもしれません。
弟は,、今でも、、姉と弟意外の何ものでもないお付き合いで、、、
電話も暮れるし、、
名物の梨も、、、贈ってくれるし、、、
家にも、、、突然、、泊まっていってくれたりしたものだった。
結婚前の私は、、、
かなり、、、世間知らずの、、、姉だったような気がします。
クリニカルパスの会場の、、、思い出のメモに、、戻りますが、、、
大學で、主人の兄貴分だった様な先生も
おいでになっておられ、、
お声をかけてくださいました。
いろいろと、、学会の話になり、、、
「大学の学会の開催は、、、もっと大変なんですよ、、、と、話された。」
学会の当日に、、いろいろと問題がおきては困るので
電話ではなくて、、、直接、、
学会に参加してくれる大学の学部を、、、廻って
イベントの確認と、、外交をするのは、、もっと大変だったそうです。
この先生には、、、なかなか。。㌿は渡せませんでした。
偶然、何人かの先生と
顔見知りだったことも有り
ロビーでの気さくなご挨拶のあと、
「がんは何処まで治せるか」という本の、お話になりました。
札幌医科大学の元学長だった先生もお読みになって
「素晴らしく、解りやすい、本だった。」と
仰られていました
札幌の某医学部の有る大学の学長を経由して、
病院理事長になられていた先生に
解りやすく、、、素晴らしい本だと褒められて、、
今年こそ、、、「森山紀之の紙の本」
紙の本であることが、、、永遠の友達になれる。
無くなるかもしれない、、、宝物になるかもしれない
画像診断黎明期の、貢献者として、数々の賞に輝いて
多くの後輩の為にも役に立つ本を残した
画像診断のCTの日本の発展の歴史の様な著者が
1000人のがん患者さんと出会って、本になった一冊は
幸せな「がん患者」という1000円前後の手帖大の本です。
幸せながん患者になるのには
「幸」と「不幸」が解る5つの分岐点が有るそうです。
「告知」「情報」「家族」「医師」「自分」について
著者が出逢った患者さんの実例を交えて、、、、中略、、、
著者が観てきた1000人以上の
がんを診てきた医師が語る、、、信頼できる本です。
生きているうちに
孫子の為にも
「森山紀之紙の本」一覧とNHKを
楽しみに、
雪解けを待って、、、「森山紀之 。 紙の本」を
一冊づつ、、、買ってみようかな、、、?
同じ母から産まれた姉と弟とは思えない、、、姉と弟!
来年こそ、、、この15冊をそろえてみる楽しみが出来ました
画面には15冊の本が出てきました。
このうちの、何冊かは手元にありますが後10冊は買いたいと思い
500円玉貯金をしています。
2009年に出版された「がんは何処まで治せるのか」という
1650円の読み物風の手帖大の本は、
ダンナが、読んで、能くわかるからと、一冊差し上げたそうです。
当時、勤務病院のイベントで
「クリニカルパス学会を主宰していた時の会長」をしていた関係上、
「理事長だった先生」も全国大会の主催者側というお立場でおいでになっていました。
私は、クリニカルパス学会の一会員という立場で聴きたい発表が有ったので
会場に行きました。
当時はがんの終末期の患者さんに抗がん剤を処方しながら
なんとか、、抗がん剤を投与する時の計画票を
担当する医師や看護師、薬剤師の職場仲間と作成しながら、
薬品の特性によって、溶解度が違うので
希釈したりする溶液の
「組成や量」や「投与する速度」や
「薬品の投与する順序」などを表にしながら
病棟で、患者さんの吐き気や副作用対策に使用する薬剤や
投与後の、、、休業期間なども
かなり細かく計画書を作成して、提出したいと思っていました。
専門用語では「一般では聞きなれない言葉かもしれませんが、、、」
「レジメン」と呼ばれる作成した計画票に沿って
「がん治療」の為の科学療法と呼ばれている治療を
医師の指示によって、、何クール行うかと言う時代でした。
抗がん剤は「がん細胞も死滅させてゆきますが、、、」
量や、半減期や、個人的な薬品への感受性が異なる為
医師の、綿密な指導によって、医療事故を防ぐ為にも
情報交換を密にしてデーター作成による薬品量など
綿密に計画票を作成していました。
クリニカルパス学会にとっても、、、
聴きたい講演が、盛りだくさんでした。
そういう訳で、、、薬剤師の長男と、
薬剤業務に復帰していた私は、学会員として、参加していました。
医師になってまだ駆け出しだった次男も
東京からやってきて、、、
親父が会長だというのを聴いて
休みを取って参加しに来たと、、、会場で顔見知りの先生らに
声をかけてもらい、、、おりからの抄録が
難解な日本語訳で、質問したりしていましたが
発表する側で、誤解を招く日本語訳などは、、直前まで修正したりしながら
熱の入った、早朝の会場でした。
札幌では初めての
クリニカルパス学会の全国大会が開催されました。
楽しかったのは、、、旭山動物園の坂東元副園長の講演でした。
第8回クリニカルパス学会は、
旭山動物園の副園長の「いのちを通して伝える事」という講演でした。
狭い檻に入れて展示形式だった従来の動物園から
「いのち」という、、、人間も動物も、、全ての生き物に通じる「いのち」
当時の旭山動物園が日本中の動物に興味のある老若男女すべてに
衝撃的な感動を伝えてきた、
動物園の人権ならぬ、、、
動物権の様な
動物園の展示仕方の巨視眼でした。
この動物園の坂東元副園長さんの講演は、北大の先生がたも
耳を傾けていらっしゃるのが、、、空気となって伝わってきました。
何で、、、こんな、、、仕事の延長の話を
、、、日記に書いておくか、、、
忘れない為です。
ダンナは会長だったかもしれませんが、
多くのスタッフや
事務サイドの昼夜を通しての努力の結果が、
「いのち」の大切さを守り抜くための
計画予定表の様な国際間の助け合いになれれば
患者さんがたの大きな、、見えないけれど
医療面での、、合理性という
大きな利益につながるということになるのですから。
ダンナにとったら、、、緊張の連続の日々だったのに
、ネット裏の見学というわけにはゆかないのが
家族という、、、見えない連帯感ですよね。
家族は医療家族で、、皆、国家免許を持っているわけですから
じゃまにはならないコーナーで、
参加することを許された、個人的な意思と、賛同で
個別ではありましたが、、、同じ会場の参加できたという事は
日記のメモの、、、忘れたくない思い出です。
結局、、、がんのレジメンの時、、、
「森山紀之がんセンターの検診。研究センター長の本」の話になり
患者側の医薬学に専門では無い患者さんは、
どういう事を知りたいのか?
そのような話も休憩時間に出てきました。
産まれてから20歳ぐらいまでは、、、弟でした。
その後、
私は北海道に嫁いで、
友も、卒業校も無く、、、親戚も居ない他人の土地での
50年を過ごす運命だったのですが
国家免許を持っていたおかげで、
視点を「医寮、、、旦那が医師をするという、、、大変な仕事の為の、、裏方楽屋の仕事!」
割り切って、医師になるより、、、もっと困難な
「医師をする」という、、、旦那の職業の、、、舞台裏の家庭を
雑用の面で、、、背負って、、
「医師をすること以外の仕事はしない」、、、そういう条件を
支えるという、、、家庭の仕事を引き受けてしまうという
しかも、、「雪かきは、、、私の人生の持ち時間の三分の一の時間を奪う」
北海道で暮らすという事は、、、孤独に強くなければ出来ない、、、50年でしたね。
未だに、、、配偶者でありながら
どんな人なのか?、、、と、、聞かれたら、、
先週の予約患者さんも、、、28年間も、、、毎年来て
ダンナを指名して予約していってくれるという、、、
ダンナは医師です、、、としか答えられないほど
どんな人間なのか???聞かれても、、、知りませんね、、、、
医療人として生きるために
私は「旦那が医師をすることを、、、舞台裏の家庭を引き受けた仕事人だったですから、、、」
どんな人?
そのように聞かれたら、、、
「医師をすること以外は、、、興味が無い人だと思いますが、、
野球と、、、目下、、大谷選手に夢中ですね、、、」
答えはそれだけですね、、、雪掻きと仕事が忙しくって、、、
ふと気が付くと、、、78歳になっていた、、、・
気休めの様な、、、緊張のない話題で、、
休息できた、、、頭脳だと思うので、、、
薬剤師と、、看護師と、、、薬学生と、、海の生き物に興味のある大学生の孫の為に
君らの父、、祖父が、、、過ごした若い日の、、イベントを、、、もう少し続けて
日記メモにしておきますね。
さて、、、北海道、、独りぼっちの私の孤独を救ってくれたのは
戦後の、復活の日本に、、、頑張った世代の有った事が
戦後の日本をここまで、、、頑張らせてきました。
団塊の世代、、、と呼ばれた、、、今は70歳代の、、、日本男児です。
勿論、、、わずかですが、、、女性もいました。
弟も、戦後の医療界に、CTや、MRI,ペットCT、、へりかるCTの
画像開発の分野に貢献できた、、、医師の一人です。
恐れ多いことですが、、、戦前は、宮内庁病院の様な役割を果たしていた
慈恵会医科大学の出身だった、、父の影響で
兄も、弟も、、私たちも、、、
孫子の代まで、、、医療に貢献したいという、、、影響を受けました。
弟は、父の時代には、、、外科医である父の患者さんの
がんの手術は、、、すでに、、、手遅れのものが多かったという時代でした。
弟は、、がんの早期発見の為に、、、人生を絞り込んだ医師たちの集まる
国立がんセンターの、、、検診と研究の分野の医師でした。
定年後は、、、東京の新橋にある病院や、いろいろなところで
画像診断の、、、医師をしていると聞いています。
弟の、頑張る姿が、、
北海号にも聞こえて来て、、
、私は医療に関する事が日々の生活として
友であったと、、、振り返っています。
叔父さんを尊敬していた息子は
画像診断の医師になりました。
叔父さんは日本の宝物だ、、、
戦後の、、時代に、、、がんの早期発見と、、、
人生のすべてをかけて、、、取っ組み合ったのだから、、、
僕にとったら、、「神の域」の画像診断の先駆者だね、、、と。
息子も博士ではあるが、、、叔父さんの残している
後輩の教科書にもなる、、、十数冊の本を見乍ら
某有名大学の学長さん家族や、、世界のVIPが、
がんセンターで
診断を受けていた時代の
検診検査、研究部門の長だったのだから、、、
画像診断のパイオニアだよね、、、とつぶやく。
叔父さんみたいに,、、メイヨークリニックや
ハーバード大学での臨床のように
世界を、、飛びまわれたら、、、いいだろうな~~~
しかし、、、札幌での講演会などに呼んでいただいている、弟は
会場であるロイトンを宿泊予約しているのに
我が家の、、むさくるしい所に、、、気軽に来てくれて
朝まで、、おしゃべりしたりして、、、
そのまま、、、仕事に出かけるから、、、
スタミナも、、、若き日には、、、相当のものだったね、、、。
弟の多くの出版本の中でも、、、
薬剤師の私にも、、解りやすい本が有る。
「がんはどこまで治せるのか?」
実に2009年6月に出版されている
手帖台の薄い本ですが
理事長先生に、旦那が差し上げたようで、、、
「あの本は、、、実にすばらしい!、、
全ての疑問に
専門医が解りやすく答えている。」
と、言っていらシャッタのを嬉しく聴いていました。
普段は、旦那の勤務病院なので
敬意を払って、、、
絶対近づかない様に
遠慮して
遠くで応援していましたが
各ジャンルで、、、知りたいことは一致するもので、、、
理事長酸が
会場で、
会話を交わすほど近くに来られたのでした。
その後、医科大学長さんをされた先生が
「解りやすくて、素晴らしい本だ」と、おっしゃられたので
ダンナの知人で、いつも、旦那が名前を言うので
「がんの施設の長」をされていた先生に
本を一冊お送りしたのでした。
ワツィの先走り、、、
勇実足でした。
ダンナの応援になったかどうかは、、、疑問です。
「読みました、実に興味のある質問に専門医が
わかりやすく答えていて、、、素晴らしい本でした。」
大切に読ましていただきました。
、、、、が
本の、何処のページにも
私に本を送ったのは姉です、、、とは
書いてありませんでしたね。
絶妙な、、カラかい半分の言葉の中には
ワツィの勇み足の軽率な行動に
いつの間にか、、、礼儀を忘れた、目的に走った行動を
諭してくれるという
世の中の習慣を、、学ばせていただきました。
弟自らの、、、贈呈としての作法をとるもんだと
示唆してくれたのかもしれません。
確かに、、、それがベストの方法だった、、、かもしれません。
弟の社会性に比べると、、、
姉の私は一薬剤師でしたから
ダンナの知人にダンナの名前で、、本を送っても
その本が、、、画像診断分野の本である以上
外科医のdンナが送ったはずはないと
、、、判断をサレタのでしょうね。
主人の知人とは言え、、、
本をお送りするのは
「著者本人からの贈呈のサイン」が入った方が
良かったのかもしれません。
私、、ごとき旦那の裏方が、、、
お送りする本ではなかったかもしれません。
弟は,、今でも、、姉と弟意外の何ものでもないお付き合いで、、、
電話も暮れるし、、
名物の梨も、、、贈ってくれるし、、、
家にも、、、突然、、泊まっていってくれたりしたものだった。
結婚前の私は、、、
かなり、、、世間知らずの、、、姉だったような気がします。
クリニカルパスの会場の、、、思い出のメモに、、戻りますが、、、
大學で、主人の兄貴分だった様な先生も
おいでになっておられ、、
お声をかけてくださいました。
いろいろと、、学会の話になり、、、
「大学の学会の開催は、、、もっと大変なんですよ、、、と、話された。」
学会の当日に、、いろいろと問題がおきては困るので
電話ではなくて、、、直接、、
学会に参加してくれる大学の学部を、、、廻って
イベントの確認と、、外交をするのは、、もっと大変だったそうです。
この先生には、、、なかなか。。㌿は渡せませんでした。
偶然、何人かの先生と
顔見知りだったことも有り
ロビーでの気さくなご挨拶のあと、
「がんは何処まで治せるか」という本の、お話になりました。
札幌医科大学の元学長だった先生もお読みになって
「素晴らしく、解りやすい、本だった。」と
仰られていました
札幌の某医学部の有る大学の学長を経由して、
病院理事長になられていた先生に
解りやすく、、、素晴らしい本だと褒められて、、
今年こそ、、、「森山紀之の紙の本」
紙の本であることが、、、永遠の友達になれる。
無くなるかもしれない、、、宝物になるかもしれない
画像診断黎明期の、貢献者として、数々の賞に輝いて
多くの後輩の為にも役に立つ本を残した
画像診断のCTの日本の発展の歴史の様な著者が
1000人のがん患者さんと出会って、本になった一冊は
幸せな「がん患者」という1000円前後の手帖大の本です。
幸せながん患者になるのには
「幸」と「不幸」が解る5つの分岐点が有るそうです。
「告知」「情報」「家族」「医師」「自分」について
著者が出逢った患者さんの実例を交えて、、、、中略、、、
著者が観てきた1000人以上の
がんを診てきた医師が語る、、、信頼できる本です。
生きているうちに
孫子の為にも
「森山紀之紙の本」一覧とNHKを
楽しみに、
雪解けを待って、、、「森山紀之 。 紙の本」を
一冊づつ、、、買ってみようかな、、、?
同じ母から産まれた姉と弟とは思えない、、、姉と弟!
来年こそ、、、この15冊をそろえてみる楽しみが出来ました
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