昨日の夜から降り出した,、、「シンシン、、、と、、降る2月の雪!」
とうとう、、本物の冬の雪が降り出した。
、、、、、、
、、、、、、
、、、、、、、
雪は降る、、、~~~
あなた≪春の櫻の花びらよ、≫
あなたは、、来ない、、、
手をかじかめて、、、雪掻くだけよ~~~
雪は降る、、~~~
ただ、、見つめている~~~
サッキ、、搔いたばかりの、、出口が
又、、雪に埋もれてしまうのを~~~
空を見上げて、、、ただ。。嘆くだけ~~~
庭に積み上げた雪の富士山のてっぺんで
早朝の電線にトマッタカラスが,、啼いた
「あほ~~アホ~~~
春になったら解けるんだから、、、、
アホ~~~あほ~~~
夜どうし、、、雪を搔いてるなんて~~~
アホ~~ :
お前も、、こんな雪の中じゃ、、餌が無くて、、苦労しているんだね、、、
昭和50年ごろ買った、、、「スズランガレージ」、、、
屋根の傾斜が30度ぐらいに見えますが
屋根に上がると、、緩やかで、、、この屋根の雪降ろし作業は
「雪が降りたての新しいうち」は、、、「軽い」ので、、、
20センチを超えたら
スキー用のヤッケを着て、、、
屋根の上がり、、、
雪を救っては、、庭の遠くに
雪を救ったポリ製のシャベルで、
ゴルフのスプーンの要領で,っ遠心力を利用して遠くに飛ばしてしまう。
100回も繰り返せば、、、
後は、斜面に沿って、
シャベルで、雪を押してゆき 屋根の外まで、
押してゆけば完了です。
昨日の夜中に一度降ろして、、、早朝も一度降ろして、、、昼ごろにはもう一度降ろしました。
もう、、、道路も、、ドアの外も、、、雪で、埋まっています。
80歳を超えても、、、月給がタクシー代で消えてしまっても
明日の出勤居タクシーが、、来れそうもないという雪の道路を視乍ら
しょんぼりと、、「明日はバスで、、行くか?」
ダンナさんは、、、ぼんやりと雪を見ていたが、、、
ひねもす雪を搔いている家内の事が、、、さすがに気になったのか???
結婚以来、、雪掻きシャベルを持ったことが無いのに、、、
搔いても搔いても、、、出口の階段がウ雪で埋まるのを除雪にやって来た。
「今日の雪は、、搔いても、明日までも、、、明後日までも、、
シンシンと、、、雪は降り続ける真冬の気象状態の天気図だから
雪掻き始めての、、、經驗のない人が外に出て来ると
力で除雪しているわけではなくて
気合と、集中力で、除雪をしているから、、、
子供が居て、、周りをチョロチョロ動き回っているのにも似た
集中力を分散させるので、、、雪掻きの加速度が無くなり、、
雪が重く感じるから、、、雪掻きのプロでない人のお手伝いは
今日のような、、明日までも、、明後日までも降り続ける雪を
ニワカニ手伝いに来られても、、、かってなところに雪を置かれるので
二重手間になって、、、アナtが置いた雪を、、除雪することになるから
家に入っ手、、TVでも見乍ら、、、休んでください、、、というと。
「解った、、、今日の雪は,、除雪しても、、もと道理に、、また降るのなら、、、やめた!」
やっと人が二人通れるだけの出口が出来た。
もう、、雪の置き場が無くなって来た。
毎年毎年、、、同じ思いで、、、雪と闘う煮ですよね、、、
この雪を、、何かのエネルギーにできないものだろうか。。。。?
ITに考えさせたら、、、雪をエネルギーにすることが出来ますよ、、、
「H2O]、、、水素がエネルギーに転換できるのだったら、、、
酸素という、、宝物の元素が余分い在雪は、、、未来においては
スゴイお金を産み出す「エネルギー」に転換できるといいですね!
北海道は,、、金満家の多国に生まれ変われるかもしれませんね。
雪を搔きながら、、車庫の上で、、こんなことを考えていました。
アホカ、、(^0^)✋、、私は、、、80才ブッこいて、、、サ!
そんなことはないんですよ、、、今日は天皇誕生日です
雪があっては、、、こころまで、、外に行く出口がないでしょう!!
雪をきっちり搔いて、、、今日の祝日は、、、きっちろ雪を搔いて、、、
日本の歴史的な文化を守り続けてきてくださった
「天皇様と、、皇室の皆さんが、、、」
皇居の大衆の前に、、お姿を見せてくださる祝日です。
北海道に住んでいても、、
日本の象徴の天皇様の誕生日は
80歳になっても、、、忘れる事の出来ない、、、青春時代の寿でした。
太平洋戦争で、、、ポツダム宣言で、、、日本はどうなるのかと、、、
戦中に生れた、、、80歳のばあちゃん事、、、私は
失意の青春時代に、、、皇室の存続がどうなるのかと、、、
日本人であるという事は、、、太古の昔から、、、
推古天皇様から、、、
ずーと、、天皇様が居てくださった文化で引き継がれた国なのだから
外国のように、、
力任せの王様とは違って、、、
千年を単位に、、、継承されて来た、、、
日本人の血液が引き継がれた
日本の象徴ですから、、、
雪ぐらいは、、、今日は,、きれいに除雪して
北海道に住んでいても、今は明治維新い逆らった時代は遠くなり
首相をされ多、、、麻生さんも、、北海道には、、
植樹をしてくださった、、、と知りました。
時代の川が流れて、、、日本という、かけがえのない一つの国が
徳川300年の歴史から、、明治維新になった時
いろいろと混乱が生じるには仕方ありません、
西郷さんも、、つぎの時代に適応できそうもない、、、
侍魂の武士を、
天の居場所に連れて行ったのかもしれません,、、
同様に、、明治維新の、、、新撰組も、、、
時代の激流にはあがないきれなかったのかもしれません。
会津、、、北海道、、東北、、、
私も、、、ひょんなことで、、北海道に55年も住んでいますが 、、、
父は江戸っ子、、、
母は南朝をお守りしてきた、、、、
今も残る紀州の皇居? 、、、、、と言われた歴史を感じる建物の
そこに行く道が阪本通りと名前がついている様な、、、
代々、、坂本を名乗って来た先祖に引き継がれている
天皇様の象徴としての、、、日本国の存続を喜び
アメリカという新しい国にも、、、
日本を理解してもらえる日が来ていると、、、、、信じたい。
天皇様の、、、天の祝福を受けられたような、、
光の中のお立場を
アメリカのような、、歴史の浅い、、銃社会の人が、
理屈を超えた、、直感のような、、、敬意を感じたことが
マカーサーの記事の中で読んだことが有ります。
天皇陛下とお会いしての感動で、、、
「かって、、あったことのない、、紳士である。」と
マカーサーも、、後日雑誌に発言されていたと、、、何かの読み物で読んだ時。
日本は、植民地にならなかったことを、、、感謝で来た。
大統領のような、、、トップクラスの人の私語の中にも、、、
「日本途いう国は、、
深遠な階層と、、、どうしようもない
どうしようも無い軽薄な感情の持ち主と、、、
日本人は。。。いろいろの階層があると
日本文化の皇室に関しての発言が、何かの読み物で読んだことが有ります。
かって、、、出逢った事のない、、紳士である方が、、、で。。。、、、あると
軍部という、、、独走する危険な集団と、、混在しているが
日本の文化は、得難いものが多い、、、」、、、書かれた記事を読んだことが有ります。
占領国とか、、、植民地とか、、、には成らなかったのは
京都という、、、皇室の歴史を未だに守り続けている寺社や、神社や文化遺産。
そして、伊勢神宮という、、、自然と光が、、、神であるかのごとく、、、
神々しい素朴さの中の気品、、、
アメリカに占領軍を派遣されて、、、管理されていた時代に
小学生だった私にとり、、、
「国を失った国民は、、、
いかに悲劇が待っているかは、、、
ドイツの歴史を学べばわかる。
皇室という「日本の象徴が存続する限り、、、」
ジャズをしよううが、、ロックをしようが、、、路上のダンスをしよううが、、
日本人のすることには1千年単位の,文化の流れが、、、
不思議な気品に満ちている、
良い意味での「大和魂は永遠だと思いますね。」
、皇室の存続が
いろいろと、、、心配されていた昭和の時代は
昭和天皇陛下も、、皇太子にも、、大変な、、、
日本の戦後の重荷がかかっていらしゃった時期でもあった。
皇太子殿下の瞳には、、、
「孤独な、、誰も、、、おささえできない、、憂いの光が感じられたころでした。」
昭和の時代、、、皇太子殿下の「孤独」は
終戦後という、、、激動の時代野皇太子殿下でいらしゃたので
国民の多くは、、、「孤独」でいらっしゃるのではと、、、心配していた時代だったと思いますね。
青春期の真っただ中の、、、軽井沢のテニス場で、、、
美智子様という女性にひとめで、、、心を奪われた皇太子殿下が
民間人の女性に恋をされた。
もう、、、大変な事でしたね、、、
アメリカ軍が常駐する沖縄、、、
そこらじゅうの本土の街には
ジープに乗った数人の
アメリカ人が、、チューインガムを、、子供らにくれたりしていました。
戦後は、、、昭和天皇陛下にとっては、、、
アメリカが、、天皇様という、、
日本人の心が無ければ理解できないお立場を
どのように理解できるのか?。。
深遠な歴史の文化の光の中に存在する天皇陛下。
アメリカのような
歴史の浅い国には難解な、、、天皇陛下という日本御国の「在る」という
どこまで、、世界的な文化の過去から続く現在を
戦争とか、 勝とか、負けるとか、、、の、、アメリカ的次元では
理解してくれないかもしれないという不安は。。
戦後の日本の知識人の中には、、、
「皇室の存続を祈っていた時代だったと記憶しています。」
揺れている、、皇室に、、、
皇太子の恋は、戦後の若者たちに、、
男性からの、、、プロポーズが出来る時代に変えてしまいましたね。
恋人たちの間の「電話デート」が流行りましてね、、、。
皇太子殿下の「恋の電話」は
間に入った侍従さんの
「大人の気の利いた取り持ち方」は、、、
日本の皇室にとっては
恋のキューピットの役割をしていたという事でしょうね。
今振り返れば、、、
皇室の存続さえ、、かかわったかもしれない、、
大きな出来事でしたよね。
民間の美智子様との間に入った侍従の方の、、いろいろの工夫が
後日、、多くの読み物や、、TVやラジオで聞くことが出来た時代でしたね。
「揺れる皇室に、、、民間の女性が、、、
皇太子殿下の恋の相手だと報道された時は、、、」
復活中の、、しょんぼりしていた日本中に、、、
闇のうす暗い時代に、、光の虹が現れた様な、、、
衝撃と、、夢と、、
おとぎ話が現実に起きていました。
「戦後の難しい時代の皇室に、、、
神様の力の「恋のキューピット」が現れて、、、
全てを解決してしまいました。
恋の力は勇気でもあるのですね、、、
美智子様の「ミッチーブーム」で
六本木界隈は、、、町ゆく若者が
ヘヤバンドをして、、ショールをまとった
皇太子の恋のお相手のファッションで、、、大変でしたね、、、!
美智子様が、皇室に入られて、、第一王子の「徳仁様」がお生まれになった時
退院される美智子様が、、徳仁様の御顔を、、、車の鋼座席の窓を
ご自身の御手であけられて、、、
皇室の王子様であるとともに、、、
民間が、、、ともに在るという事をお示しになった時、、、
私は、、「孤独だった皇太子さまには、、、美智子様という
民間とともにあるという、、、橋を天が,、、
軽井沢のテニス場で「皇太子の恋」という
殿下が心に灯された愛の光の中で、、、
民間人に虹の橋が見えた様な気がしました。
勇気ある女性だった思いましたね、、、
皇室の存続がアメリカの手によって、どうなるのかと、、、心配していた時代でしたからね。
皇室は、、日本民族の、、ルーツであり、千年単位の継承されて来た文化であり
戦争でも、、、アメリカでも、、、マカーサーでも、、、
時代の文化の継承された文化の川を、、深遠なものとして認識してくれたのでしょうね。
戦後の「ライシャワー大使」は,、、
日本女性とご夫婦でいらっしゃったからなのでしょうか?
戦後のヤンキーな若者の方が、、典型的なアメリカ人だと、、、私には思えましたね。
^大使は、、京都に原爆を落とさないようにと、、
日本の京都の文化の価値を
世界に通じる深遠な文化として、、、理解してくださっていた、、
日本を救った大使だと
当時の読み物には出ていましたね。
ともかく、、、美智子様が、、、皇室と、、民間の、、、
虹の橋でもある、、、「徳仁親王殿下を、、、御退院の手に抱かれて、、、」
ご自身の御手で、、窓を開けられて、、
、民間の皆に、、民とともに在られる、、愛おしいお子様の御顔を見せてくださいました。
あの時、、国民は「民間とともにある、、、皇室!」
皇室は存続するのだと、、、
日本を守っている、、、、邪馬台国時代からの神様が
皇太子の恋によって、、皇室の文化継承、、、
象徴天皇様の皇室の存続を
小さな赤ちゃんの、、徳仁様が、、、
国民に光のように投げかけてくださった瞬間でしたね。
美智子様の歌会始の句にも、、、腕に抱いている我が子でありながら
未来の天皇様を抱かれた重みの、、お歌が,、、印象に残っていますね。
民間人というのは、、、
目明き千人、、、メクラ千人。。ですから。。。
私は、、自分はどっちかわかりませんので、、、
思ったままを、、、日記に書いておきますね。
天皇誕生日、、、心から祝福している、、、
北海道に55年住んで居いる、、、婆ちゃんでした。
これは、、、日記ですからね、、、
私の若き日の心を振り返って、、書いておきます。
とうとう、、本物の冬の雪が降り出した。
、、、、、、
、、、、、、
、、、、、、、
雪は降る、、、~~~
あなた≪春の櫻の花びらよ、≫
あなたは、、来ない、、、
手をかじかめて、、、雪掻くだけよ~~~
雪は降る、、~~~
ただ、、見つめている~~~
サッキ、、搔いたばかりの、、出口が
又、、雪に埋もれてしまうのを~~~
空を見上げて、、、ただ。。嘆くだけ~~~
庭に積み上げた雪の富士山のてっぺんで
早朝の電線にトマッタカラスが,、啼いた
「あほ~~アホ~~~
春になったら解けるんだから、、、、
アホ~~~あほ~~~
夜どうし、、、雪を搔いてるなんて~~~
アホ~~ :
お前も、、こんな雪の中じゃ、、餌が無くて、、苦労しているんだね、、、
昭和50年ごろ買った、、、「スズランガレージ」、、、
屋根の傾斜が30度ぐらいに見えますが
屋根に上がると、、緩やかで、、、この屋根の雪降ろし作業は
「雪が降りたての新しいうち」は、、、「軽い」ので、、、
20センチを超えたら
スキー用のヤッケを着て、、、
屋根の上がり、、、
雪を救っては、、庭の遠くに
雪を救ったポリ製のシャベルで、
ゴルフのスプーンの要領で,っ遠心力を利用して遠くに飛ばしてしまう。
100回も繰り返せば、、、
後は、斜面に沿って、
シャベルで、雪を押してゆき 屋根の外まで、
押してゆけば完了です。
昨日の夜中に一度降ろして、、、早朝も一度降ろして、、、昼ごろにはもう一度降ろしました。
もう、、、道路も、、ドアの外も、、、雪で、埋まっています。
80歳を超えても、、、月給がタクシー代で消えてしまっても
明日の出勤居タクシーが、、来れそうもないという雪の道路を視乍ら
しょんぼりと、、「明日はバスで、、行くか?」
ダンナさんは、、、ぼんやりと雪を見ていたが、、、
ひねもす雪を搔いている家内の事が、、、さすがに気になったのか???
結婚以来、、雪掻きシャベルを持ったことが無いのに、、、
搔いても搔いても、、、出口の階段がウ雪で埋まるのを除雪にやって来た。
「今日の雪は、、搔いても、明日までも、、、明後日までも、、
シンシンと、、、雪は降り続ける真冬の気象状態の天気図だから
雪掻き始めての、、、經驗のない人が外に出て来ると
力で除雪しているわけではなくて
気合と、集中力で、除雪をしているから、、、
子供が居て、、周りをチョロチョロ動き回っているのにも似た
集中力を分散させるので、、、雪掻きの加速度が無くなり、、
雪が重く感じるから、、、雪掻きのプロでない人のお手伝いは
今日のような、、明日までも、、明後日までも降り続ける雪を
ニワカニ手伝いに来られても、、、かってなところに雪を置かれるので
二重手間になって、、、アナtが置いた雪を、、除雪することになるから
家に入っ手、、TVでも見乍ら、、、休んでください、、、というと。
「解った、、、今日の雪は,、除雪しても、、もと道理に、、また降るのなら、、、やめた!」
やっと人が二人通れるだけの出口が出来た。
もう、、雪の置き場が無くなって来た。
毎年毎年、、、同じ思いで、、、雪と闘う煮ですよね、、、
この雪を、、何かのエネルギーにできないものだろうか。。。。?
ITに考えさせたら、、、雪をエネルギーにすることが出来ますよ、、、
「H2O]、、、水素がエネルギーに転換できるのだったら、、、
酸素という、、宝物の元素が余分い在雪は、、、未来においては
スゴイお金を産み出す「エネルギー」に転換できるといいですね!
北海道は,、、金満家の多国に生まれ変われるかもしれませんね。
雪を搔きながら、、車庫の上で、、こんなことを考えていました。
アホカ、、(^0^)✋、、私は、、、80才ブッこいて、、、サ!
そんなことはないんですよ、、、今日は天皇誕生日です
雪があっては、、、こころまで、、外に行く出口がないでしょう!!
雪をきっちり搔いて、、、今日の祝日は、、、きっちろ雪を搔いて、、、
日本の歴史的な文化を守り続けてきてくださった
「天皇様と、、皇室の皆さんが、、、」
皇居の大衆の前に、、お姿を見せてくださる祝日です。
北海道に住んでいても、、
日本の象徴の天皇様の誕生日は
80歳になっても、、、忘れる事の出来ない、、、青春時代の寿でした。
太平洋戦争で、、、ポツダム宣言で、、、日本はどうなるのかと、、、
戦中に生れた、、、80歳のばあちゃん事、、、私は
失意の青春時代に、、、皇室の存続がどうなるのかと、、、
日本人であるという事は、、、太古の昔から、、、
推古天皇様から、、、
ずーと、、天皇様が居てくださった文化で引き継がれた国なのだから
外国のように、、
力任せの王様とは違って、、、
千年を単位に、、、継承されて来た、、、
日本人の血液が引き継がれた
日本の象徴ですから、、、
雪ぐらいは、、、今日は,、きれいに除雪して
北海道に住んでいても、今は明治維新い逆らった時代は遠くなり
首相をされ多、、、麻生さんも、、北海道には、、
植樹をしてくださった、、、と知りました。
時代の川が流れて、、、日本という、かけがえのない一つの国が
徳川300年の歴史から、、明治維新になった時
いろいろと混乱が生じるには仕方ありません、
西郷さんも、、つぎの時代に適応できそうもない、、、
侍魂の武士を、
天の居場所に連れて行ったのかもしれません,、、
同様に、、明治維新の、、、新撰組も、、、
時代の激流にはあがないきれなかったのかもしれません。
会津、、、北海道、、東北、、、
私も、、、ひょんなことで、、北海道に55年も住んでいますが 、、、
父は江戸っ子、、、
母は南朝をお守りしてきた、、、、
今も残る紀州の皇居? 、、、、、と言われた歴史を感じる建物の
そこに行く道が阪本通りと名前がついている様な、、、
代々、、坂本を名乗って来た先祖に引き継がれている
天皇様の象徴としての、、、日本国の存続を喜び
アメリカという新しい国にも、、、
日本を理解してもらえる日が来ていると、、、、、信じたい。
天皇様の、、、天の祝福を受けられたような、、
光の中のお立場を
アメリカのような、、歴史の浅い、、銃社会の人が、
理屈を超えた、、直感のような、、、敬意を感じたことが
マカーサーの記事の中で読んだことが有ります。
天皇陛下とお会いしての感動で、、、
「かって、、あったことのない、、紳士である。」と
マカーサーも、、後日雑誌に発言されていたと、、、何かの読み物で読んだ時。
日本は、植民地にならなかったことを、、、感謝で来た。
大統領のような、、、トップクラスの人の私語の中にも、、、
「日本途いう国は、、
深遠な階層と、、、どうしようもない
どうしようも無い軽薄な感情の持ち主と、、、
日本人は。。。いろいろの階層があると
日本文化の皇室に関しての発言が、何かの読み物で読んだことが有ります。
かって、、、出逢った事のない、、紳士である方が、、、で。。。、、、あると
軍部という、、、独走する危険な集団と、、混在しているが
日本の文化は、得難いものが多い、、、」、、、書かれた記事を読んだことが有ります。
占領国とか、、、植民地とか、、、には成らなかったのは
京都という、、、皇室の歴史を未だに守り続けている寺社や、神社や文化遺産。
そして、伊勢神宮という、、、自然と光が、、、神であるかのごとく、、、
神々しい素朴さの中の気品、、、
アメリカに占領軍を派遣されて、、、管理されていた時代に
小学生だった私にとり、、、
「国を失った国民は、、、
いかに悲劇が待っているかは、、、
ドイツの歴史を学べばわかる。
皇室という「日本の象徴が存続する限り、、、」
ジャズをしよううが、、ロックをしようが、、、路上のダンスをしよううが、、
日本人のすることには1千年単位の,文化の流れが、、、
不思議な気品に満ちている、
良い意味での「大和魂は永遠だと思いますね。」
、皇室の存続が
いろいろと、、、心配されていた昭和の時代は
昭和天皇陛下も、、皇太子にも、、大変な、、、
日本の戦後の重荷がかかっていらしゃった時期でもあった。
皇太子殿下の瞳には、、、
「孤独な、、誰も、、、おささえできない、、憂いの光が感じられたころでした。」
昭和の時代、、、皇太子殿下の「孤独」は
終戦後という、、、激動の時代野皇太子殿下でいらしゃたので
国民の多くは、、、「孤独」でいらっしゃるのではと、、、心配していた時代だったと思いますね。
青春期の真っただ中の、、、軽井沢のテニス場で、、、
美智子様という女性にひとめで、、、心を奪われた皇太子殿下が
民間人の女性に恋をされた。
もう、、、大変な事でしたね、、、
アメリカ軍が常駐する沖縄、、、
そこらじゅうの本土の街には
ジープに乗った数人の
アメリカ人が、、チューインガムを、、子供らにくれたりしていました。
戦後は、、、昭和天皇陛下にとっては、、、
アメリカが、、天皇様という、、
日本人の心が無ければ理解できないお立場を
どのように理解できるのか?。。
深遠な歴史の文化の光の中に存在する天皇陛下。
アメリカのような
歴史の浅い国には難解な、、、天皇陛下という日本御国の「在る」という
どこまで、、世界的な文化の過去から続く現在を
戦争とか、 勝とか、負けるとか、、、の、、アメリカ的次元では
理解してくれないかもしれないという不安は。。
戦後の日本の知識人の中には、、、
「皇室の存続を祈っていた時代だったと記憶しています。」
揺れている、、皇室に、、、
皇太子の恋は、戦後の若者たちに、、
男性からの、、、プロポーズが出来る時代に変えてしまいましたね。
恋人たちの間の「電話デート」が流行りましてね、、、。
皇太子殿下の「恋の電話」は
間に入った侍従さんの
「大人の気の利いた取り持ち方」は、、、
日本の皇室にとっては
恋のキューピットの役割をしていたという事でしょうね。
今振り返れば、、、
皇室の存続さえ、、かかわったかもしれない、、
大きな出来事でしたよね。
民間の美智子様との間に入った侍従の方の、、いろいろの工夫が
後日、、多くの読み物や、、TVやラジオで聞くことが出来た時代でしたね。
「揺れる皇室に、、、民間の女性が、、、
皇太子殿下の恋の相手だと報道された時は、、、」
復活中の、、しょんぼりしていた日本中に、、、
闇のうす暗い時代に、、光の虹が現れた様な、、、
衝撃と、、夢と、、
おとぎ話が現実に起きていました。
「戦後の難しい時代の皇室に、、、
神様の力の「恋のキューピット」が現れて、、、
全てを解決してしまいました。
恋の力は勇気でもあるのですね、、、
美智子様の「ミッチーブーム」で
六本木界隈は、、、町ゆく若者が
ヘヤバンドをして、、ショールをまとった
皇太子の恋のお相手のファッションで、、、大変でしたね、、、!
美智子様が、皇室に入られて、、第一王子の「徳仁様」がお生まれになった時
退院される美智子様が、、徳仁様の御顔を、、、車の鋼座席の窓を
ご自身の御手であけられて、、、
皇室の王子様であるとともに、、、
民間が、、、ともに在るという事をお示しになった時、、、
私は、、「孤独だった皇太子さまには、、、美智子様という
民間とともにあるという、、、橋を天が,、、
軽井沢のテニス場で「皇太子の恋」という
殿下が心に灯された愛の光の中で、、、
民間人に虹の橋が見えた様な気がしました。
勇気ある女性だった思いましたね、、、
皇室の存続がアメリカの手によって、どうなるのかと、、、心配していた時代でしたからね。
皇室は、、日本民族の、、ルーツであり、千年単位の継承されて来た文化であり
戦争でも、、、アメリカでも、、、マカーサーでも、、、
時代の文化の継承された文化の川を、、深遠なものとして認識してくれたのでしょうね。
戦後の「ライシャワー大使」は,、、
日本女性とご夫婦でいらっしゃったからなのでしょうか?
戦後のヤンキーな若者の方が、、典型的なアメリカ人だと、、、私には思えましたね。
^大使は、、京都に原爆を落とさないようにと、、
日本の京都の文化の価値を
世界に通じる深遠な文化として、、、理解してくださっていた、、
日本を救った大使だと
当時の読み物には出ていましたね。
ともかく、、、美智子様が、、、皇室と、、民間の、、、
虹の橋でもある、、、「徳仁親王殿下を、、、御退院の手に抱かれて、、、」
ご自身の御手で、、窓を開けられて、、
、民間の皆に、、民とともに在られる、、愛おしいお子様の御顔を見せてくださいました。
あの時、、国民は「民間とともにある、、、皇室!」
皇室は存続するのだと、、、
日本を守っている、、、、邪馬台国時代からの神様が
皇太子の恋によって、、皇室の文化継承、、、
象徴天皇様の皇室の存続を
小さな赤ちゃんの、、徳仁様が、、、
国民に光のように投げかけてくださった瞬間でしたね。
美智子様の歌会始の句にも、、、腕に抱いている我が子でありながら
未来の天皇様を抱かれた重みの、、お歌が,、、印象に残っていますね。
民間人というのは、、、
目明き千人、、、メクラ千人。。ですから。。。
私は、、自分はどっちかわかりませんので、、、
思ったままを、、、日記に書いておきますね。
天皇誕生日、、、心から祝福している、、、
北海道に55年住んで居いる、、、婆ちゃんでした。
これは、、、日記ですからね、、、
私の若き日の心を振り返って、、書いておきます。
凄まじい雪ですね。
近年は年末帰省くらいしか雪かきしていませんが、ぼくも元道産子なので、雪かきの大変さは身に染みています。
ムリなさらないで下さいね。
すごい雪ですよ、、、
もと道産子さんなら、、、
わかってくださるだけでも、、、
嬉しいですね(^0^)
雪掻きしながら、、、
夢を見つけたいですね
よろしく、、、