今日は、札幌は雨。
多くの家は、冬に備えて
庭の剪定を始める
何十年も前から、ハス斜めの奥の家には
この時期になると
庭師の若者と、指導のオジサンが
小型トラック2台に乗って、、、やってくる。
我が家が、、ミサワホームランドとして
羊が丘のふもとの家を買ったのが
昭和50年の頃であった。
初めての夏、、、満開の百日紅の木を買って南側に植えた。
本州に行くと、、駅などにも植えられていた
樹木の花で
ピンク色の花が咲くのを、、
ほとんどの本州の人は
無意識の中で
出勤しながらも、、
観ているはずの木に咲く花であった。
その花が散ってしまうと、
百日紅の木は枯れてしまった。
北海道は、火山の島であるから
札幌の羊が丘のあたりも
火山灰の地区である。
有珠山が噴火したときは、、、庭にも
火山灰がうっすらと、、、積もっていた。
百日紅は「函館が北限」とは聞いていたが
植物学者さんの緒論文を見たわけでは
無かったので、、、
南側に植えて、冬のケアをすれば、、、
順応してくれるかもしれないと,、買った。
故郷恋しさに、、、
トラックに積んで、、、
通りかかった庭木商売のオジサンに
「負けておくよ!、、
こんな綺麗な木は、めったにないよ、、、」
その一声の懐かしい,、訛、、、
そして和歌山、、故郷の花でも、、、あったのでした。」
そのような、、昔のことを思い出しながら
明日は、枝、葉、草を、、
ゴミステーションに出しておけば
持って行ってくれる日だと
一昨日のの2時から、、、7時30分まで
80歳を目の前に、、、力試さん、、!!
5時間以上も、、水も飲まずに、、庭の草取り、、、
樹の剪定、、、小枝を払ってそれなりに、、整える、
樹木の下向きに伸びた枝は、お気に入りのハンドのこぎりを使った。
京都の刃物やサンで買った花ばさみは
一度も磨いていないのに、、
小枝や葉は、気持ちが良いほど良く切れる。
東京で、前衛生け花を習っていた頃
京都の御所に、
嵯峨御流の生け花の先生が、
花を添えられるというので
観光を兼ねて、京都まで、教室の仲間たちと観に行った帰りに
「刃物やサン」で一緒に、
皆で買ってきた花ばさみである。
60年も前の刃物なのに、、、
花を切ったり
小枝を切ったりするだけの鋏は
未だに良く切れる。
刃を研いだことは一度も無い。
この花ばさみは、、、、絶妙なカーブと
名人芸のような、、ふくらみのある鉄でできている。
不思議な事に、その強くたくましい刃先は、
使い方によっては危険なモノでありながら
私にとっては、、花も木も、、痛みも苦痛も無く
一瞬で人間社会の役割を果たすべく、、、道具の花になってしまう。
生け花材料となる花は、、、人の御手によってつくられる「家畜花」によく似ている。
山野を歩いていて、、、一輪の花さえ、、手を触れることは出来ない、、、
しかし、、お金を出して買った、、、この個性のない花は
造形的には見事に整っていて、、、香りも良い。
ワレガチニ、、、
我こそは華の女王であると、、
、圧倒する隙の無い美しさのはなたち。
貴重な、、、野山で出会った、、花や木と違って
この鋏の前には
「人間社会の、コミュニケーションの役割の有る素材と化すから不思議です。」
生け花の花は、、、花を持って生計を立てている人たちの
経済の流通物質であり、
作品と称して、、、
その日の満開の瞬間を、会場で役割を果たせば、、、、
捨てられる。
私にとれば、、、野山の花は、、、
触れてはいけない、、山河の所属の花であり
それだけに、、、庭の木や草花は、、、
家族のように仲間であり
生け花の素材には、、、成りえないのです。
しかし、、愛犬も家族ではあるが、、、
ある種の尊厳を持って接する気持ちではあるが
人様を噛まぬようにしつけ...吠えると、、、
「ほえることを辞めさせるしつけ」をして
人間社会の邪魔者にはしない様に
飼い主の責任というものが発生する。
イヌは命は長くて20歳前後で死んでしまう。
手厚く、、ペット霊園には送るが、、、
自分と家族の墓とは別になる人が多いと推察する。
生け花も、、咲き終わり、、その日の役割を伝えれば、、捨てる。
野の花の自立して、、
、風雨に耐えて、、、
真珠貝のように、、
美しく輝く花や葉っぱ
鉄の鋏で支配するなんて,、神様の庭の花を
どうして、、鋏で切れるのでしょう、、、
小さくつぶらな野の花を、、、
やはり野に置け、、、レンゲソウ、、、。
野の花には、越してはいけない結界を感じる、、が、、、
生け花用として届けられてしまった花は、、、
どんなに立派な花も、、、
人間社会のっ役割を果たすと、、、ゴミになる。
5時間も木々の枝葉を見つめていると、
植物の中で、、、剪定していると、、
和歌山に居た頃の、、、野山の樹木や木々や草花が
懐かしく思い出されてくる。
気が付くと、、もう、、19時も過ぎている、
良く、、働いた日である、、、
こんなにスッキリと
秋の終わりを色づく葉で表現し
神様の園に立って乍らも
一つ、、ひとつ、、の根っこで、人間の友達をしてくれた。
アリガトウ、、皆、、、
今日壱日で、庭はこれからの冬の為に
スタンバイ!
、「
疲れましたね、、、久々の「こむら返り」で、、悲鳴を挙げてる深夜です。
多くの家は、冬に備えて
庭の剪定を始める
何十年も前から、ハス斜めの奥の家には
この時期になると
庭師の若者と、指導のオジサンが
小型トラック2台に乗って、、、やってくる。
我が家が、、ミサワホームランドとして
羊が丘のふもとの家を買ったのが
昭和50年の頃であった。
初めての夏、、、満開の百日紅の木を買って南側に植えた。
本州に行くと、、駅などにも植えられていた
樹木の花で
ピンク色の花が咲くのを、、
ほとんどの本州の人は
無意識の中で
出勤しながらも、、
観ているはずの木に咲く花であった。
その花が散ってしまうと、
百日紅の木は枯れてしまった。
北海道は、火山の島であるから
札幌の羊が丘のあたりも
火山灰の地区である。
有珠山が噴火したときは、、、庭にも
火山灰がうっすらと、、、積もっていた。
百日紅は「函館が北限」とは聞いていたが
植物学者さんの緒論文を見たわけでは
無かったので、、、
南側に植えて、冬のケアをすれば、、、
順応してくれるかもしれないと,、買った。
故郷恋しさに、、、
トラックに積んで、、、
通りかかった庭木商売のオジサンに
「負けておくよ!、、
こんな綺麗な木は、めったにないよ、、、」
その一声の懐かしい,、訛、、、
そして和歌山、、故郷の花でも、、、あったのでした。」
そのような、、昔のことを思い出しながら
明日は、枝、葉、草を、、
ゴミステーションに出しておけば
持って行ってくれる日だと
一昨日のの2時から、、、7時30分まで
80歳を目の前に、、、力試さん、、!!
5時間以上も、、水も飲まずに、、庭の草取り、、、
樹の剪定、、、小枝を払ってそれなりに、、整える、
樹木の下向きに伸びた枝は、お気に入りのハンドのこぎりを使った。
京都の刃物やサンで買った花ばさみは
一度も磨いていないのに、、
小枝や葉は、気持ちが良いほど良く切れる。
東京で、前衛生け花を習っていた頃
京都の御所に、
嵯峨御流の生け花の先生が、
花を添えられるというので
観光を兼ねて、京都まで、教室の仲間たちと観に行った帰りに
「刃物やサン」で一緒に、
皆で買ってきた花ばさみである。
60年も前の刃物なのに、、、
花を切ったり
小枝を切ったりするだけの鋏は
未だに良く切れる。
刃を研いだことは一度も無い。
この花ばさみは、、、、絶妙なカーブと
名人芸のような、、ふくらみのある鉄でできている。
不思議な事に、その強くたくましい刃先は、
使い方によっては危険なモノでありながら
私にとっては、、花も木も、、痛みも苦痛も無く
一瞬で人間社会の役割を果たすべく、、、道具の花になってしまう。
生け花材料となる花は、、、人の御手によってつくられる「家畜花」によく似ている。
山野を歩いていて、、、一輪の花さえ、、手を触れることは出来ない、、、
しかし、、お金を出して買った、、、この個性のない花は
造形的には見事に整っていて、、、香りも良い。
ワレガチニ、、、
我こそは華の女王であると、、
、圧倒する隙の無い美しさのはなたち。
貴重な、、、野山で出会った、、花や木と違って
この鋏の前には
「人間社会の、コミュニケーションの役割の有る素材と化すから不思議です。」
生け花の花は、、、花を持って生計を立てている人たちの
経済の流通物質であり、
作品と称して、、、
その日の満開の瞬間を、会場で役割を果たせば、、、、
捨てられる。
私にとれば、、、野山の花は、、、
触れてはいけない、、山河の所属の花であり
それだけに、、、庭の木や草花は、、、
家族のように仲間であり
生け花の素材には、、、成りえないのです。
しかし、、愛犬も家族ではあるが、、、
ある種の尊厳を持って接する気持ちではあるが
人様を噛まぬようにしつけ...吠えると、、、
「ほえることを辞めさせるしつけ」をして
人間社会の邪魔者にはしない様に
飼い主の責任というものが発生する。
イヌは命は長くて20歳前後で死んでしまう。
手厚く、、ペット霊園には送るが、、、
自分と家族の墓とは別になる人が多いと推察する。
生け花も、、咲き終わり、、その日の役割を伝えれば、、捨てる。
野の花の自立して、、
、風雨に耐えて、、、
真珠貝のように、、
美しく輝く花や葉っぱ
鉄の鋏で支配するなんて,、神様の庭の花を
どうして、、鋏で切れるのでしょう、、、
小さくつぶらな野の花を、、、
やはり野に置け、、、レンゲソウ、、、。
野の花には、越してはいけない結界を感じる、、が、、、
生け花用として届けられてしまった花は、、、
どんなに立派な花も、、、
人間社会のっ役割を果たすと、、、ゴミになる。
5時間も木々の枝葉を見つめていると、
植物の中で、、、剪定していると、、
和歌山に居た頃の、、、野山の樹木や木々や草花が
懐かしく思い出されてくる。
気が付くと、、もう、、19時も過ぎている、
良く、、働いた日である、、、
こんなにスッキリと
秋の終わりを色づく葉で表現し
神様の園に立って乍らも
一つ、、ひとつ、、の根っこで、人間の友達をしてくれた。
アリガトウ、、皆、、、
今日壱日で、庭はこれからの冬の為に
スタンバイ!
、「
疲れましたね、、、久々の「こむら返り」で、、悲鳴を挙げてる深夜です。
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