東京に残る高低几号標。
東京メトロ東西線・門前仲町駅から深川の富岡八幡宮さまへ。
鳥居をくぐれば伊能忠敬銅像が建つ。
50歳で実業から引退した伊能は江戸に出てきて門仲1丁目あたりに隠宅を構えたという。
蝦夷地への測量の旅に出たのは、寛政12年(1800年)のこと。
出立前に富岡八幡宮に旅の無事を祈ったという。
その後の測量行脚も富岡八幡宮に参詣してから千住や品川の測量開始地点へと向かったという。
ここに三等三角点がある。
高低几号標は西参道にある。
横たわる当時の鳥居。
今の赤い大鳥居の前はこの鳥居だった。
八幡宮も不動も同じ敷地だった。
鳥居の藁座は江戸町火消を引き継ぐ消防団が奉納したということなのかな。
本所深川十六組南組二組の担当は、黒江町・永代門前町・入舟町・宮川町だったそうな。
それにしても。。
あの事件以来やはり少し寂しくなったかなぁとも思う。
このあたりにはかつて油掘川という川が流れていた。
昭和50年(1975年)に埋め立てられ、関東大震災復興橋梁だった和倉橋は廃され親柱が保存されている。
水に流すということができなくなってるご時勢と川が無くなることって、関係あるのかな・・・
東京メトロ半蔵門線の清澄白河駅まで歩いて電車に乗ることが多いのだけど、あまりの高温多湿に、深川不動さまの境内から門前仲町駅へ引き返す。
こちらの人出は変わらず。