昨日は、ただただワニがまわるのを見てから、東京都写真美術館へ。
東京都写真美術館。
「メメント・モリと写真ー死は何を照らし出すのか」。
メメント・モリはラテン語。
死を想えを意味する。
この言葉は中世ヨーロッパのキリスト教世界で広がっていった。
中世ヨーロッパは伝染病と戦争と飢餓に苛まれた。
中世ヨーロッパでなくとも、日本でも平安時代は末法思想が広がった。
やはり伝染病と戦争と飢餓。
南無阿弥陀仏。
突然疫病下におかれ、狂った指導者が戦争を引き起こし、天変地異が起こり、飢餓が迫っている今は、中世ヨーロッパの人たちや平安時代の人たちの心情がわかる。
展示室の撮影は禁止。
序章:メメント・モリと「死の像」
第1章:メメント・モリと写真
第2章:メメント・モリと孤独、そしてユーモア
第3章:メメント・モリと幸福
死は目に見えない。
死期が近いとわかっていてさえその時は突然に来る。
栄華を極めた天下人とて死からだけは絶対に逃れることはできない。
死ぬのは怖い。怖くてたまらない。それなのになんで死ななきゃならないんだろ?
写真はどんなに計算しつくしたつもりでも、現像してみれば必ず偶然が写り込んでいる。カメラのレンズは人の目が捉えたように写すのを使命として進化してきたメカだけど、人の目以上のものが見えているのかもしれない。
ユージン・スミス、ロバート・キャパ、澤田教一、セバスチャン・サルガド、ロバート・フランク、藤真新也、ウジェーヌ・アジェ、などなど綺羅星のように死がきらめく。
死を意識しながら生きることなんかとてもできそうにない気もするし、軽々と飛び越えていけそうな気もする。