会計検査院と文部科学省の敷地を再開発して民間にもひろく開放した霞ヶ関コモンゲート。
碑がある。
工部大學校阯碑。
霞ヶ関コモンゲートのあたりは江戸時代には延岡藩邸があった。
開国し、特に土木・機械・建築などの工業分野での人材育成が急がれ、諸外国から教師を招いてこの地に工学校が建てられたのは明治6年。
明治10年に工部大學校と名称変更され、明治19年には帝国大学と合併し東京大学工学部として今に続く。
関東大震災で建物は倒壊しその後は会計検査院などが建てられた。
この碑の煉瓦は関東大震災の時の煉瓦。
日本の工業技術は優れているというが、その当時は工学部が最難関だったと聞いたことがある。
その時代その時代の秀才が集まる分野が発展していくのは自明の理。
となると・・・
今後の日本国はどんな分野に優れるのだろう。