学識者いわく、『自然崇拝は、原始的信仰である』として評価していない。
では、諸君が神仏だと思われたもの、守ってくれていたはずの先祖が、
この度は、水や火の自然界の力に、いとも簡単に敗退した。
諸君の神仏観や先祖観は、ある者達が、錯覚・妄想・幻想で、巧に洗脳していた事に気づく事だ。
仏像は仏であるわけがない。ロジックとして整合性がないからである。
確かに、自然崇拝は間違いである。自然は感謝の対象であるからである。
人間は自然界のものに感謝が足りていただろうか。
お水様やお火様に心から感謝していたか!という事である。
人間が、自然界をイジめた分だけ、自然界からイジめらると、セミナーで何度も警告した。
崇拝すべきは、法図であり聖人である。聖人とは、神人であり大如来である。
法図とは、大神の御心を現したものであり、写真(写神)である。
写真は、写真理という事であり、写神であり、写神理である。
ここんところが思考停止型人間に分からない。そのような人類に未来はない。
未来とは、チョット先、将来、死後の世界である。
未来がないとは、死後の世界で楽しく生きられないという事である。
あなたが天国を選ぶのではなく、天国の世界が、人を選ぶのである。
なぜなら、あなたは天国を望む存在だからである。
望むならば、ハッキリと態度で現わす事だ。
あなたは、太陽の光りを知っているが、太陽の光りは、あなたを知らないという事である。
天地を癒す秘密の言霊 あやなわん・ありんがとわ!
アヤナワン・アリンガトワ!
A YA NA WA-n ・ A Linga TA-o WA !